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鳥の巣頭の世迷い言

読書音楽観劇、ハゲタカ廃人、そしてアラシックライフをエンジョイしている三十路のお気楽会社員・ガバ鳥のblog

旅ケルクの記録15(ラムズゲート編)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年09月08日 20時28分38秒 | ダンケルク
<旅行7日目>

さて、ロンドン観光を満喫?した次の日、今度はイングランド東部の都市ラムズゲートに向かうべく、South Eastern railwayに乗り込みます。ついこの間、ドーバーからロンドンに行くときに乗った電車と同じ路線なので、少しだけ見慣れた感じがあるのがうれしいところ。というわけで、またしても水戸黄門の紋所よろしくブリットレイルパス(ロンドン)を振りかざしながらVictoria駅から出ている直通の電車に飛び乗り、いざ出発。ロンドンからラムズゲートまで電車90分程度の旅と相成りました。


ウェイマスで見た風景とは、すこし違う感じがするのはプラセボなのか、地域特有のものなのか。同じイングランドといえども、州が違うと違ってくるものなのか。下知識なしのイギリス観光をしてる客としては、よく解らず(なんとなーく違うなー…くらいで言語化できない。知識ないのが哀しい)。
そんなこんなでありもしない知識を捻り出してる日本人をさておき、多少の運行トラブルはあったものの(運行ライン上の駅でトラブルが発生したため、当初の予定を変更しつつもd迂回ルートを取るなどした)、電車は無事にラムズゲートに到着しました。


小さな駅だった。混む感じもない。

ラムズゲートはイングランド南東部の小さな港町(人口4万人程度)であり、カンタベリー物語で有名なカンタベリーや、BOBのフロントラインとして機能したRAFの基地がある街マンストンも近くにあります。
そんな街に私が行く動機は中世の物語ではなく、もちろん映画「ダンケルク」であり、つまりはラムズゲートがムーンストーン号のモデルになったSundowner(サンダウナー)号を擁する街だからであり、ジョージがかつて住んでいた街だからでもあります。<劇中に一瞬うつったジョージの新聞記事より。

ラムズゲート駅についた私は、ひとまずバス(バス; Stagecoach、路線Loop)にのってSundowner号が停泊しているハーバー(バス停:Harbour)へ向かいました(駅からバスで5分程度。近い)。バスはハーバーへ向かうバカンスのお客さんがチラホラといたので、それなりの観光地域なのかも。
<Stagecoachが出している1日フリー切符を運転手さんから買って乗車(4.3ポンド/大人; Thanet dayrider)

海軍にゆかりのある街ということで、ハーバーのあちこちに海軍所縁のモニュメントがあったりしました。ダイナモ作戦のSundowner号に限らず、多くの民間人が海軍に協力していた証左でもあります。実際、Sundowner号以外にも5隻の民間船(リトルシップ)がダイナモ作戦には参加していましたし。
ロイヤルを冠する世界一の海軍、かつ親しみのあるロイヤルネイビーに憧れる少年は多かったでしょうが、ジョージもその一人だったりしたのでしょうか。


ドーバー海峡に面する港町(@Harbor)。サマーバケーションのシーズンということもあり、近くの浜辺でマリーンレジャーを楽しむ人も。公衆トイレもあかるくて綺麗だった(とはいえ、夕方の深い時間に1人で使いたくないかも)。

ジャパンからきた呑気なオタがバスに揺られること5分、あっさりとハーバーに到着。たくさんのヨットに肝心の船を見つけきれるのかビビりましたが、あんがい簡単に見つかりました。






Sundowner号。こじんまりとした船。

Sundowner号はクルージング用のプレジャーボートですが、ダイナモ作戦で130名もの兵士を詰め込んでダンケルクからラムズゲートへ帰ってきた船と思えないくらい小さかったです。あいにく、ヨット乗り場には関係者以外の人間は下りることはできなかったので上からの撮影のみとなりましたが、思ったよりもカジュアルな感じでぷかぷか浮かんでました。
Sundowner号はその後も海軍に協力をし続け終戦を迎え、その後の1990年には再度ダンケルクへ50周年のアニバーサリー航海をしたようです。もともと1912年に製造されたことを考えると、意外と丈夫なつくりなのかしらん。もしろん、地元の方々が大事にケアされていたのでしょうが。
←これについての記事/情報は、すぐ隣にあるRamsgate maritime museum(ラムズゲート海洋博物館)のパネル展示で見ることが出来ます。


船にあった、船についての説明書き(ズームで撮影)。タイタニック号沈没事故の生き残り乗務員であるチャールズ・ライトラーは6/1にダンケルクからラムズゲートに兵士130名を連れ帰ったとある。

ちなみに、この時までに、この船に一番人が乗った時で21名だったそうなので、可能な収容人数を大幅に超過していた模様。兵士130名を乗せて船がラムズゲートに帰ってきた時、ラムズゲートの役人たち+軍人たちはまず、その人数が本当にいるのかを信じようとせず、そして驚きこう言ったそう。
「神の心理だ、兄貴!あいつらをどこに詰め込んだんだ?」
←劇中ではこう言われていた。「How many you got in there?(どれだけいるんだ?)」



ダンケルクの海岸線とリトルシップたちの航路などのメモ書き
<イギリス海軍は脱出のための海路を3つ(X,Y,Z)設定した。劇中のドーソン親子のモデルになったライトラー親子はXルートを使ってラムズゲートへ帰還するルートを選択したとされる(Ramsgate maritime museum展示パネルより)。
*上図は、Museum Dunkerque 1940 Operation Dynamo展示パネル、及び、ダンケルク海岸線(イギリス国立公文書館 No. ADM 1/9997)を基にガバ鳥がてきとうにメモ書き。


ダンケルク劇中でムーンストーン号の船長であるMr.ドーソン(ドーソンさん)のモデルになった、チャールズ・ライトラー(Charles Herbert Lightoller;タイタニック号の乗務員の生き残りにしてイギリス海軍退役中佐)は、その息子であるLieut Frederic Roger Lightoller(次男。海軍に所属。1906年生まれ。1945年、フランス ノルマンディーで38歳で戦死)と共にダイナモ作戦に参加した訳ですが、どうやら船には当時18才の少年(Gerald Ashcroft; シースカウト)も乗船していたとか(Ramsgate maritime museumの展示ブース説明より)。
ライトラーさんのもう一人の息子、ロジャーの弟(末息子)であるブライアン(Herbert Brian Lightoller;史実では、イギリス空軍所属の爆撃機ブレニムに搭乗していた。ブレニム自体はダンケルク劇中に、一瞬だけ登場している。)は空軍に義勇兵(*)として参加し、開戦した次の日の1939年9月4日にドイツで22歳で戦死したとあり、ピーターのお兄さんの運命に重なり(フィクション上の人物とはいえ)いろんな思いを馳せずにはいられません。ロジャーも1945年にフランスのノルマンディーで戦死するわけですが、息子2人を大戦で亡くすこととなったチャールズ・ライトラーの胸中やいかに。
(*)Find a graveのオリジナル説明にはRoyal Air Force Volunteer Reserveとあった。

ちなみに、1940年5月のニューヨークタイムズにはチャールズ・ライトラーらによる兵士救出劇の一部が記事になって掲載されていたのですが、ここに載っていたエピソードを見るに、本当にこの人たちがドーソン父子のモデルになったんだなあと本当に実感します。ピーターが敵を撃墜しているスピットファイア(=ファリア、コリンズ)に歓声をあげていた場面を思い浮かべることができるほどに。

『船が動き出し、後進しながらふたたび航路に入ると、そこは相変わらず地獄絵図が繰り広げられていた。(中略)爆撃機が一気、味方戦闘機の視界に入ると、突如海をめがけ、我々の後方40メートルほどの海上へほとんど垂直に突っ込んでいった。(中略)あの黒くて大きな爆撃機が水没すると、あたりに響き渡るような歓声が上がった。』<New York times記事より抜粋>

『我が家の末の息子、空軍少尉のH-B-ライトラーが<ブレニム>爆撃機に乗っており、ある時私に攻撃、防御、回避に関する有益な情報を随分教えてくれたことがあった。(中略)あるとき敵機が明らかにわれわれのデッキを掃射しようと、およそ30メートル後方から現れたことがあった。敵機は滑るようにして急降下したが、私はこの機が10から15度ほど機首をひき起こしてから撃ってくることを承知していた。「準備しろ」と息子に言うと、敵機が引き起こす瞬間まで待ち、その動きを見せたとたんに「取り舵いっぱい」と言った。』<New York times記事より抜粋>

また一方で、ピーターがいずれ徴兵されるであろうという可能性についてピーター・ドーソンを演じたトム・グリン=カーニー自身がインタビューで言及していることもあり、物語とフィクションは別物と思いつつも、ダンケルク本編後に徴兵されるであろうピーター・ドーソンが無事であるように死なないでくれと思わずにはいられません。

なお、船の近くにあったMaritime museum(海洋博物館;サンダウナー号の管理もしている)には、それらに関する資料がたくさん展示してあり、ダンケルク撤退戦に関するビデオが上映されていました(DVDが販売されてた)。
また、海洋博物館らしく、博物館にはSoundowner号のことだけでなく、他の海洋に係る展示も多かったです。船の模型や漁業の道具など。売店には海に纏わるかわいいグッズもおいてあったし、機会があればダンケルクのファンには訪れて欲しいところです。




ダンケルク撤退戦に参加した一番小さなリトルシップ、タムジン号(IWM収蔵の船)と同じ大きさ・作りの船。博物館のオジサンが、見ていきなさいよ!と促してくれた。

船をたっぷり堪能した後は、近くにあるピーターというFish&Chipsのお店でフィッシュ&チップスを頂きました。ピーターという名前の響きだけで店をチョイスしましたが、明るくて入りやすい店でした。1人で食べてるお客さんもけっこういたので、一人旅の私も安心(←日本のレストランでさえも1人で入るのに1000000 MPくらいの心のエネルギーを使う人)。


お店では魚の種類が選べるということで、私はタラを選びました。ホクホクしていて、(予想以上に)意外と美味しかったです。量が量だったので、ぜんぶ食べるのは難しかったですが。




たっぷりの量があったフィッシュ&チップス。比較のために置いたファリアが小さく見える…。

親切な店員さんの案内に助けられながら注文をして、たっぷりの料理に満足して支払をすませたら(いろいろテンパっててチップ渡すの忘れた…ごめん…)、次の目的地に向かいます。
空軍の街であり、BOB(バトル・オブ・ブリテン)において前線基地として機能した空軍基地のあるマンストンへ向かいます。



(マンストン編に続く)


Ref.)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. New York Times (ダグラス・ブランクリー編集)2005年『ニューヨークタイムズが見た第二次世界大戦』原書房
4. Ramsgate Maritime museum公式HP <http://www.ramsgatemaritimemuseum.org/> (2018-05-03参照)
5. Haru(@haru-hall) (2018年)、「ドーバーからダンケルク旅2018冬・ラムズゲート編」<twitterモーメント>(参照2018-04-24)
6. Find a grave「Lieut Frederic Roger Lightoller」<https://www.findagrave.com/memorial/56275932/frederic-roger-lightoller>(2018-09-04参照)
7. Find a grave「Helbert Brian Lightoller」<https://www.findagrave.com/memorial/18427318/herbert-brian-lightoller>(2018-09-04参照)
8. Find a grave「Charles Herbert Lightoller」<https://www.findagrave.com/memorial/8165323/charles-herbert-lightoller>(2018-09-04参照)
9. Stagecoach公式HP <https://www.stagecoachbus.com/> (2018-04-24参照)
10. Wikipedia「ラムズゲート」<https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%88>(2018-04-24参照)
11. Visit Kent公式ホームページ “Sundowner” <https://www.visitkent.co.uk/sundowner/>(2018-09-07参照)

旅ケルクの記録14(ロンドン編5)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年09月02日 17時54分07秒 | ダンケルク
<旅行6日目続き>

チャーチル博物館で予定外の時間を過ごしたのち(入場までに3時間待ったから)、HMVベルファスト号の内部見学をスキップして、先に帝国戦争博物館(IWM)に向かいました。地下鉄ランベスノース駅を降りてしばらく歩いたところにそれはあります。


なんとなく、上野(東京)にある東京国立博物館の本館に雰囲気が似てるような建物

戦争博物館があって研究員がいて、誰にもアクセスが開かれている(無料)というのが、イギリスの豊かさだよなあと羨ましい気持ちになりつつ、入館です。そして入って早々に、宙に浮かんでいるスピットファイアに口をポカンと開けてる間抜けな観光客となってしまいました。


いきなり登場スピットファイア。天井から吊られている状態なんですが、まあカッコいい。

スピットファイアはぶち抜きになっている建物の天井からぶら下がっているのもあり、博物館の階段からも見えやすかったです。ということで、ダンケルク劇中でフォーティス隊の2番機(コリンズのスピットファイア)を狙うドイツの戦闘機メッサーシュミットのパイロットになった気持ちでスピットファイアを狙うような視点で追いかけてみることに。






'He is on me!'的な。






コリンズがファリアに'Where’s the escort?!'と言われた直後くらいのタイミングでまさに2番機を撃ってる感じ


そしてここにもあった、ロールスロイス社製のSweetest soundを奏でるエンジン

スピットファイアをばっしばっしと撮影したあとは、ダイナモ作戦に参加したリトルシップ、タムジン号へ。タムジン号はダイナモ作戦に参加した民間船の中で、もっとも小さな船になります。こんな小さな船でも作戦に参加した...というのが、当時の逼迫した状況を伝えているというか。何と言っても40万人以上の兵士たちを救出しなければならなかったのですし。






シップというよりボートというのがふさわしい。Dunkirk 1940のプレートが誇らしげ。ダイナモ作戦に参加したリトルシップの数は940とも言われるが、未だに正確な数はわからないとか。

帝国戦争博物館は、その名の通り、イギリスが関わってきた戦争を中心としたものが多く展示されているのですが、その中には敵軍のものもRAF博物館同様に多く展示されています。とドイツ以外のものだと、日本の千人針などが展示されてました。ちょっと生々しく、私には写真はとれなかったのですが...(血が付いてたとかでなく、あくまでも個人的な感情として)。
いうことで、ダンケルク劇中で海軍の船がどんどこ沈められる原因となったドイツの潜水艦Uボートの魚雷も展示されていました。キリアン演じる謎のイギリス兵がシェルショックになる原因となったやつです。


思ったよりも小さい魚雷。とはいえ、私の身長(1.6 m弱)よりゆうに大きい。


ナチスは宣伝(プロパガンダ)がたくみだったという説明と一緒に展示されてたワシの像。確かにかっこいい。ワシだし。


撃墜されたドイツの戦闘機の一部(尾翼?)

パックスブリタニカを築いた大英帝国らしく、ヨーロッパだけでなく、いろんな国/地域でWW IIをしたので様々な気候の元で戦争をするための装備が満載でした。アフリカとかインドとか。あと、第二次世界大戦だけでなく、最近の戦争/内戦関連のものも。それを展示しちゃうのが、イギリスという国だなあとも思いましたが(ちょっと羨ましい)。

IWMにはアウシュビッツに関する展示室もあり(ここは撮影禁止)、色々考えさせられます。私は長崎に住んでいた時に海外からのお客を原爆資料館や浦上天主堂に連れて行く機会が多かったのですが、その時のゲストの反応を今度は自分がすることになろうとは思いませんでした。
いろいろショックな感じで。

ここで俗っぽい話に戻りますが、
IWMのグッズ売り場もRAF博物館と同様に充実しており、スピットファイアグッズやチャーチルの演説CDを買ってしまった私は、鞄をパンパンにした状態で博物館を後にしたのでした。


.....で。
博物館をでた時点で、時間が時間だし、あとは紅茶やら何やら、ふつーの買い物をしたりしようかなと思ったのですが(俗っぽいものを摂取したくなった)、まだ時間が博物館の開館時間内ということで、少し足を伸ばして、大英博物館へ向かいました。1時間くらいは見れる...!ということで、とまたしてもロンドンを爆走して地下鉄に乗り込んで博物館へダッシュして、博物館内をシュタタタタタ!とパタリロのゴキブリ走法よろしく(若い子知ってるかな?)博物館を周りました(正直、あまりにも早足だったから、今度はじっくりと時間と機会を持ちたいです...。)まあ、イギリスといえば大英博物館と思ってきた私なので、時間があれば少しでも突っ込みたいと思ってたんで、1時間でも行きたかったんですよね。


爆走してギリギリな時間にたどり着いた大英博物館


ロゼッタストーン。思わず「教科書!教科書!」などと口走る。


死者の書。これを見ながら「資料集!資料集!」などと口走る。←語彙力nothing


ギリシャの影響を受けたローマの文物。Call me by your name的な。

1時間しかないため、お土産も何もかも買えない状態でしたが(スフィンクスのラバーダックを買いたかった...)、とにかく博物館を練り歩きました(ゼイゼイ)。閉館時間になると容赦無く追い立てられるので(潔くはいはい、外へーみたいな感じで)、迷わないように無駄がないようショートカットであらゆるところを巡りました。
個人的に、エジプト、アッシリア、ギリシャの展示エリアを回ることができましたので、すごくこれには満足してます。MET(メトロポリタン博物館)を巡った時にみたサルゴン大王(古代のアッシリアの王様)の彫像がすごく好きだったので、それに関連するものが見たかったので。
(ちなみにサルゴン大王が気になったきっかけは、「青のメソポタミア」という漫画です...。漫画大好き。)
大人の社会科見学みたいで楽しかったですね。ここも入場料はタダなのだから、おそるべしイギリスですよね。最高のものを人類に平等にアクセス権を与えているってなんなん?!とか言いたくなる。

さて、そんな嫉妬と憤り?を感じつつ、M&Sで買い物をしたり(同僚へのお土産も含めてここで買った。紅茶、パンケーキの粉、チョコレート、クッキーの詰め合わせ等)、本屋で買い物をしたり(なぜか東京の観光ガイドブックを買った。AKIHABARAとASAKUSAがオススメらしい)と、俗っぽいお土産やら何やらをたっぷりとして、ホテルに帰還いたしました(サブバックとして持っていたパッカブルのリュックサックにもぎゅうぎゅうに詰め込んだ)。

そういえば。
ウェイマスで買ったコーニッシュパスティ(Cornish Bakehouse)ですが、空腹に負けてあまり写真をとらず(特に中身)食べてしまったので、もう一度、ヴィクトリア駅にあったコーニッシュパスティのチェーン店(West Cornwall Pasty Co.)のtraditional cornish pastyをこの夜の晩御飯として買ってホテルで食べました。
これもまた、ボリューム満点。West corn wall pastyの方がCornish bakehouseの方よりもスパイスが効いていて、コーラやビールなど、炭酸の効いた飲料水とあわせて食べるといいかも...な味でした。例によって、お腹いっぱいすぎて付け合わせのサラダが食べられなくなりましたが。






餃子が大きくなって硬くなったようなパイ。中身もぎっちり。醤油やだしの味じゃない肉じゃがみたいな中身なんだけど、伝わるかしら。


ということで、たっぷりとロンドンを満喫した私は、コーラを片手にいい気分になりつつパスティ食べたりなんだりしてホテルの夜を満喫したのでした。
次の日はイングランド南東部の都市、ラムズゲートとマンストンに向かい、ムーンストーン号のモデルとなったsoudowner号とスピットファイア&ハリケーンに会いに行きます。

(ラムズゲート編へ続く)

旅行6日目の移動)
Victoria駅→Westminster駅(地下鉄5分程度)
Westminster駅⇄War room(徒歩5分程度)
Westminster駅→Lambeth north(地下鉄8分程度)
Lambeth north駅⇄IWM(徒歩10分程度)
Lambeth north駅→Warren street駅(地下鉄25分程度)
Warren street駅⇄大英博物館(徒歩15分程度)
Oxford street(East)駅→Victria駅(地下鉄5分程度)


iphoneに入ってるアプリで算出された旅行中のウォーキング+ランニングの距離のメモ)
6日目: 13.6 km(ロンドン)


Ref.)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 地球の歩き方 ロンドン2017-2018(2017年)ダイヤモンド・ビッグ社
4. Cornish bakehouse公式HP <http://www.cornishkitchen.com/> (参照2018-04-14)
5. West Cornwall Pasty Co.公式HP <http://m.westcornwallpasty.co.uk/>(参照2018-04-14)
6. モモグラモ(2016年6月24日) 「【イギリスで食べたい】固くて持ち歩けてカイロの代わりにもなる?コーニッシュ・パスティ」<https://theryugaku.jp/1318/> (参照2018-04-14)

旅ケルクの記録13(ロンドン編4)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年08月27日 21時45分04秒 | ダンケルク
<旅行6日目>

ウェイマス・スワネージの一日旅行の翌朝、いつもより遅く起床した私は、首相官邸や外務省の近くにある建物に入るための行列に並んでおりました。目的の施設は、入るまで3時間かかると言われた人気スポット、戦時執務室・チャーチル博物館です。
正直、入口までの長い列を見た瞬間、予約してくれば良かったと軽く後悔しました…orz(3時間待ちとか、どこのジャニーズのグッズ列なんだよなんて)
旅行前にon line予約をしようとも思ってはいたのですが、いつ見てもチケットはSold outになってなかったし、すぐに入れるだろうと踏んでいたんです。
とんだ勘違いでした。
1個人の1回経験からのコメントで恐縮ですが、これから博物館を訪れる人でこんなにも待ちたくない人は、朝早くに並ぶか、事前にオンライン チケットを買った方が良いかと…(開館30分前とかダメ、絶対に)。

さて、列に1人で待ってる私ができることと言えば、目に移る景色の写真をとったりすることなんですが、その景色がおもいきりRAFちっく?(というより、まさにRAF)なものでした。
今年でちょうど創立100周年になるイギリス空軍(RAF)ですが、その記念式典があるとのことで(この日の次の週にパレードがあった)、道にはイギリスの国旗とRAFの旗が並んではためいていました。

‘Where is the bloody air force?!’などと劇中でも現実でも言われていたRAFですが、首相官邸の前の通りにずらりと旗が並んでいるのを見ると、本当に報われた感がでてきます。(日本ではどうなんだろう?)


中央官庁が並ぶ通りにはためくユニオンジャックとRAF

ということで、オタクが心を無にして待つこと3時間。案内のおじさんが「予約がないと入るまでに最低3時間かかるよ!」と言った通りの時間分待った後に、入口に辿りつきました(へろへろ)。




3時間まった末に見えてきた入り口

戦時執務室・チャーチル博物館は、もともとは大蔵省であった建物の中にWW II中に設置された執務室になります(War room)。もとは旧大蔵省の建物と聞くと、なんとなく壁が分厚つそうなイメージが。日本でも、空襲があった市街地の写真を見る機会がありますが、その中で残ってる建物は大抵は分厚いコンクリ造りの○○銀行だったりしますもんね。大蔵省も銀行と同じつくりにしてるのかは知らんけど。
中央官庁がひしめく街中、大蔵省の隣に観光客に人気の博物館があるのも変な感じですが、イギリスだからなのか日本にそういう施設がないだけなのか。
まあ、いずれにせよ、長い列を突破した私は、その中央官庁の真っただ中にある博物館にヘロヘロになりつつ突入しました。もうね、へろへろでしたが待った分、風をきって歩きましたよ(ずんずん)。
しかし、ずんずん歩いていこうとした矢先、天井からぶら下がってた爆弾にいきなり遭遇して面食らう羽目になったのですが。なんでも、ロンドン空襲に関する展示だそう。なんでそんなものを展示するんだ、と思いましたが、ここはwar room(戦時執務室)なんだし当たり前といえば当たり前だった。

ちなみに、ここで私、爆弾とツーショットをとりました。自分からではありません。とあるイギリス人女性に、爆弾と一緒の私の写真を撮らせてくれと頼まれたからです。爆弾の大きさを比較するためとかで。
私があなたと爆弾の写真を撮るよ、と言いましたが、それはヤダと言われました。私だってヤダよ。結局は根負けして爆弾とのツーショットを撮りましたが、疲れ切った私のアホ面がFace bookとかにポストされてないことを祈ってます(恥ずかしい…)。


入り口すぐのところの天井にぶら下がってた爆弾。この爆弾とツーショットを取る羽目になった(恥)。

心のMP(マジックポイント)をツーショット撮影で使いつくした後は、うれしたのしの見学コースの始まりです。
まずは、閣議室(Cabinet room)から。映画Darkest hourで、チャーチル、アトリー、イーデン、ハリファックス、ダウディング等が協議をした場所だったか。鼻息あらくバシバシ撮影です。


Cabinet room。この当時の最高級の人材がそろってたんだろうなあなどと妄想した部屋←自分があたま悪いから、これ以上の想像ができない。

これ以降は、映画Darkest hourのシーンを頭に思い浮かべながら撮影です。
ダンケルクでトミーやアレックス、ボルトン中佐やウィナント大佐、フォーティス隊(ファリア、コリンズ)たちが足掻いたりなんだりすることとなったダイナモ作戦にいたるまで、あるいはそれ以後の政治的決定がここでなされる訳で。彼らはあんなにも現場で足掻いていましたが、ダンケルクから遠く離れたロンドンで、こんな風にあっさりと多くの人の運命は決まってしまうのかあと思ったくらいです。紙切れ一枚、あるいはそれすらなく決まる運命的な。カレーの部隊はこうして「見捨てられた」のか…とか。


ガードマン+ドア+緊急用ウォータースプレー。悪いことはしてなくても制服姿のものにはビビる。←小心者


Darkest hour劇中でチャーチルがルーズベルト大統領にアメリカ(New world)の参戦を頼んでいた電話。武器貸与などはしていたが、参戦についてはイギリスからの要請もフランスからの要請も断り続けた米国が第二次世界大戦に参戦をするのは、1941年12月パールハーバー(太平洋戦争)から。←ダンケルク撤退戦において、ほとんどの武器を失ったイギリス軍(フランスに置いてきた)は、不足した武器をアメリカがらの貸与で補った。








地図(ダンケルクやカレーが見える)とピン(地図上で部隊等の配置を表すためのもの)。館内にはMap roomという部屋があるくらい、重要なものとして位置づけられていたと思われる。

地図を見ながら、映画Darkest hourで、カレーのイギリス軍に増援を送らないことを決めたチャーチルが、タイピストの女性(彼女の兄はカレーにいた)に地図を見せていたシーンを思い出してました。あまりにも多くの人たちの運命が、ピン1つに省略化され、あるいは数値化されて、運命が決定されていくあっけなさ。
イギリス軍をあらわすピンが地名にぷすぷすと刺さっていたが、そこには何万人もの兵士たちがいて、奮闘していたことを、映画を通して、あるいは、墜落した飛行機や沈没した船、戦死した兵士の遺物を通して、私たちは知っているわけですが、おもわず、ぐっと来てしまいます。


ドーバー城のWW II地下トンネルにも同じのが。各地点、各項目ごとに情報をずらずらと並べていくためのもの


チャーチルのタイピストの使用してたタイプ。Darkest hourにも登場。躁うつ病だったというチャーチルのタイピストを務めるのは並大抵のことではなかった模様。複数の女性たちが従事していたが、彼女たちは当時の国の最高機密情報を取り扱うこととなる。博物館では、そんな彼女たちのインタビューVTRを見ることが可能。


当時のキッチン。スペースの問題とはいえ狭い。


チャーチル夫人の寝室。戦時中とはいえ、華やか。自分が無知なだけなんだろうが、首相夫人の部屋も設置されてることに驚いた。


チャーチルの寝室。地図がここにもある。ちゃんと眠れたのだろうか。Darkest hourでは、当時の英国国王ジョージ6世と語り合う場面に登場した部屋はここ...のかな?(記憶が曖昧。後日にでるブルーレイで要確認)。

War roomの脇には、チャーチル博物館が付設されており、様々な彼の演説を聞くことが出来ます。BBCを通じて全国放送されていることもあり、音源が今でも聴けるようになっています(けっこう不思議な感じが)。
ダンケルク劇中でトミーが読み上げた「We shall fight on the beaches.」もありました。実際に聞いてみると、想像よりもずっと、語尾は荒々しくもなく劇場的な感じでもなく、静かな平坦な感じでした。日本の政治家の演説、けっこう五月蠅いんだなあと思うくらいで。イギリスの政治家のスピーチには、ふんだんにギリシャ哲学やシェークスピア等の知識がちりばめられていると言いますが、そうなる理由が解るというか(こんな感じにフラットにたんたんと話すなら、たしかに必要になってくるよね…ごまかせない)。


ダウニング10番街、いわゆる首相官邸のドア(チャーチルの頃のもの)。思ったよりも小さい。

War roomの近くには、さすがに中央官庁街ということもあってか、たくさんの役所がひしめいてました。といっても、流石は沈まぬ太陽の帝国をつくった国の中央官庁、いちいち歴史+迫力を感じる建造物です。


外務省の門
(日本の役所は慎ましいですよね。あんまり豪華だと国民の怒りをかう..というのは解るんですが、伝統工芸を守りたい文化庁(いまの文科省)だけでも、そういう人たちに断続的に仕事を与えるような建物・仕様にした方がよかったんじゃあ..とか思います。当の昔にそうしてるわ!とか言われそうだけど。)

さて、大英帝国の威信にひれふしそうになった極東の田舎者の私は、ロンドンのランベス地区にある帝国戦争博物館に向かいました。スピットファイアとリトルシップに会いに行きます。

(ロンドン編5へ続く)

Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 地球の歩き方 ロンドン2017-2018(2017年)ダイヤモンド・ビッグ社
4. war room公式HP<https://www.iwm.org.uk/visits/churchill-war-rooms> (2018-04-23参照)
5. ジョン・コヴィル(1985年オリジナル初版、1990年日本語版初版)ダウニング街日記(都築忠七、見市雅俊、光永雅明 翻訳)、平凡社
6. ウィンストン・チャーチル(2001年)『第二次世界大戦』第1巻(佐藤亮一 翻訳)河出書房新社
7. ウィンストン・チャーチル(2001年)『第二次世界大戦』第2巻(佐藤亮一 翻訳)河出書房新社
8. Winston S. Churchill (1985) The second world war (volume II: Their finest hour), Penguin books
9. New York Times (ダグラス・ブランクリー編集)、ニューヨークタイムズが見た第二次世界大戦(2005年)原書房
10. 岩堂憲人(昭和57年)「機関銃・機関砲<近代戦の主力兵器総鑑>」サンケイ出版

旅ケルクの記録12(ドーセット スワネージ編)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年08月26日 23時13分04秒 | ダンケルク
<旅行5日目つづき>


さて、ウェイマスの街をウロウロして遅いランチボックス(餃子みたいな形の固い皮のパイ:コーニッシュパスティ)を手に入れた私は、スワネージ行きのバスに乗るべく、ビーチのすぐ側にあるバス停(Kings stature: Stop K5)で待機しておりました。
「さむい、あめ、バス、まだか」
寒さと雨とで気分がジメジメ落ち込む+バスが遅れている(後でDelay 20分くらいと判明)..ということもあり、私だけでなく、他の乗客予定の人たちも口数少なく、津軽海峡冬景色の歌詞みたいな感じで待機。<♪北へ帰る人たちはみんな無口で~
風もつよくなってきて、いよいよカフェに避難しようか…などとバス停で隣り合わせになった某イギリス人夫婦と話し始めた矢先、ようやくバスがやってきました。サマーバケーションシーズン限定のバス路線なだけあって、目に鮮やかなブルーの色のバスです。雨雲の灰色の中、青いビビッドの色が生えてまぶしいくらいです(滝涙)。


ガタガタ震えながら待機したバス停


青い色がまぶしいバス

バスに入って温かい座席に一安心。
バスの終点であるスワネージに向かうべく、ウェイマスのビーチを出発して、さっきまで遠くに見ていたホワイトクリフの上の道路を走ってスワネージに向かいます。




ホワイトクリフへだんだん近づいて行く




ホワイトクリフの上の道を走る

ホワイトクリフの上の道路は放牧地になっており、羊や牛がウロウロのんびりしてました。その中を観光客や地元の人たちをピックアップしながら、バスは走って行きます。ちなみに、バスの中には、すこしだけ家畜どくとくの臭いが漂っておりました。←端的に言うとウ*コの臭い




スワネージ駅に向かう途中で見かけた城(Corfe castle)

途中、あまりにもお腹がすいてしまったので、ウェイマスで購入したコーニッシュパスティをパクつくことに。
写真では分りにくいかもしれませんが、けっこう大きい(手のひらにどすんと乗るサイズ)。中にはジャガイモと肉とがぎっしり詰まっていて(1個5ポンド弱ぐらい)、これ1個で本当にお腹がイッパイになります。付け合せは必要ないくらい。


パスティと大きさ比較のためのファリア熊

さて、パスティをぱくぱく食べながら+牛の臭いに苦笑いしながら、バスが走ること2時間弱、スワネージ駅に到着。
ここは、ダンケルクから帰国したトミーやアレックスたちが列車に乗っていったシーンの撮影地になります。Daily echo新聞によると、2016年7月25日から26日に、スワネージ駅からCorfe castleまでの線路を止めて映画の撮影を行ったとか。
<TODAY MONDAY 25TH JULY. Partial Closure of railway for filming. No services between Swanage and Corfe Castle.(2016/7/25付 Swanage railway公式ツイッターアカウント(@swanRailway)のツイートより抜粋)



トミーやアレックスの中の人が見たかもしれないスワネージの街並み


スワネージ駅。駅舎からしてレトロ。




プラットホーム。日本の改札っぽいところはなく、駅で購入した切符を車内でスタッフさんに切符を見せるスタイル。


どこかで見た景色。たくさんの兵士たちの後ろ姿が見えるよう。石炭をたく列車が走るせいか、地面の色が黒い。

スワネージ鉄道は駅舎からしてレトロだったのですが、その他のもの全てがレトロでした。小道具からしてレトロだし、スタッフの人たちもお年を召した方が多かったイメージが(おじいちゃんばっかり)。
スワネージ鉄道を走っているのはディーゼルエンジンタイプとスチームエンジンタイプの2種類ですが、もちろん、私はスチームエンジンタイプの列車に乗り込みます。スチームタイプの機関車というと、ずいぶん昔の産物のようにも感じますが(江戸末期とか明治とか)、うちの母(現在の年齢は還暦くらい)が小学生の時分に通学のために乗っていたというくらいなので、こちらが思うよりも最近まで現役だったのかも。



レトロ感漂う小道具?のトランクの山


スタッフの方々



石炭を満載した機関車(LSWR 4-4-0 T9 Class No.30120)。ここには映っていないが、
撮り鉄があちらこちらに。
写真を撮り終えたら、いざ、乗車です。



列車に乗り込んだ私は、トミーとアレックスのように、隅っこの座席に腰をおちつけてみました。重油まみれの彼らが座って椅子は汚れなかったのだろうか。寒くはなかったのだろうか。
そんなことを思いつつ、Corfe castleまで機関車にがったんごっとん揺られて行きます。










アレックスとトミーの、年若い疲労した青年たちが座っている姿を想像しながら。椅子は意外とフカフカだった。




トミーとアレックスたちが列車から見た景色

Corfe Castleまでの移動中(20分くらい?)、もくもくと煙が窓から侵入してくるのに慌てふためいたり(1人でぎゃあぎゃあ騒ぎつつ自分の周りの席の窓を閉めまくった)、車内切符の確認の際に切符をあさっての方向に飛ばしてしまったりしながら、Corfe castle駅に到着しました。ここに来るまでの風景も含め、すべてレトロな雰囲気。



Corfe castle駅のプラットホーム


非常用バケツ


プラットホームをつなぐ橋の上から撮影

列車を降りたら、遠くから見えていたCorfe Castleへ5~10分程度歩いて移動です。もとはウィリアム征服王により建てられた石造りの城ですが、廃墟となった今はナショナルトラストの管理下にあります。殉教王エドワード(975年に即位。978年15-16歳でCorfe castleにて暗殺されたとの伝説が)にゆかりの城でもあり、近くにはエドワード所縁の教会もあります。
この城が今のような廃墟となったのは1600年代の議会の命令によるものですが、この崩れっぷりは素晴らしく、廃墟スキーは是非とも立ち寄っていただきたいところ(あと、線路を走ってくる機関車を撮影するスポットでもあるので、撮り鉄さんもいらっしゃった)。
入場料を払い、「イーングランド万歳!イングランド国王万歳!」と言ってたかもしれない領民の気持ちになって、いざ入場です。




廃墟なのに美しい城。とても絵的。兵どもの夢の跡ならぬ、王たちの夢の跡的な。

城は小高い丘の上にあるため、そこからの景色はナカナカよろしかったです。ちょうど晴れてきたというのもあって、とても色が鮮やかに見えました(なんで私がウェイマスにいるときは雨+曇りで…以下略)。








殿さまになった気分で城の上から撮影

それにしても、見渡す限りの緑の絨毯+青いバックです。美しさに涙が出そう。<♩グリーングリーン
史実では、ダンケルクから帰還したイギリス兵士たちは、部隊が再編されるまでは比較的のんびりとした時間を過ごします。イギリス兵と一緒に救出されたフランス兵も部隊再編がされるまで数週間くらい英国で戦わない日々を過ごしたようで、彼らも(戦場である)フランスに戻されるまで、つかの間の休息をこんな美しい緑色と青色の風景のもとで味わうことはできたのでしょうか。

実際のところ、劇中でトミーが電車の中で淡々と読み上げていたチャーチルの演説(We shall fight on the beaches; 6月4日夕方 @庶民院)の「我々は決して降伏しない/We shall never surrender.」にあるように、イギリス政府はこの時点ですでに徹底抗戦の方針をとっており、つまりは兵士たちの戦いはまだ続いていき、多くの死者が出るわけですが。
ダンケルクの戦いから5年たった1945年に終戦することを考えると、むしろ、ダンケルクの戦いは序章にすぎず、トミーもアレックスもまた、マルタやアフリカ、あるいはドイツやフランスなどの戦場に駆り出されていくのだろうと思うと、穏やかな緑の景色の中でひとり、スンと感傷にひたってしまうのです(守りたい、その命。英雄にならなくてもいい、元気でいてくれー)。

さて、そんな感傷をひとしきりした後は、スワネージ駅に戻り(売店でお土産を買ったりしてた)、こんどはロンドンに戻る電車にのるべくボーンマス駅に行くバス(Purbeck breezer bus 50番線)に乗車。海沿いを走る観光地を走るバスらしく、屋根なしの2階建てオープンバスでした。見晴が良かったです。
スワネージ駅からシェルベイ(化石がよく出るジュラシックコーストにあるベイエリア。新婚さん+恋人たち向けにプロモーションがでてるリゾート地でもある)を経由して、ボーンマス駅まではだいたい1時間程度の道のりです。


シェルベイ。見るからにリア充な感じのひとたちで溢れてる(偏見)


シェルベイから見えるホワイトクリフ

それにしても、イングランド南東部のドーバーで見ていたホワイトクリフを、イングランド南西部のウェイマス/スワネージでもまた見ると、石灰岩の海岸(ジュラシックコースト)の長さを思い知ります。ずっと途切れることなく続いてるんですよね、当たり前なんですけど。
トミーやアレックス、コリンズを乗せたムーンストーン号は、ダンケルクからウェイマスに帰る時にはジュラシックコースト沿いに帰ったはずなので、ボートの進行方向の右側にあった白い崖を、フランスの海岸を出発してからずっと彼らは見ていたことになるんだなあ。

トミー:Is it Dover?(ドーバー?)
ピーター:No. That’s Dorset.(いいえ、ドーセットです)
というトミーとピーターの会話があった地点は、有名な絶景地であるセブンシスターズあたりの海岸にも見えたのですが、これについては有識者による特定を待ちたい所。←次にウェイマスに行くときは2泊3日くらいしたいし、ジュラシックコーストのクルーズ船にも乗りたい…。

シェルベイからボーンマス方面に行くには海を渡る必要がありますが、乗ってたバスは、乗客を乗せたままフェリーに乗って、どんどこ海を渡ります(10分もいくかいかないか)。あいにく、バスが駐車したスペースから外の景色は見えないため、フェリーの中では何もできなかったのが残念。


ガンダムみたいな配色のフェリー

フェリーから降りたバスは、プールやボーンマスといった都市の中を走ってボーンマス駅まで向かいます。さっきまで見ていたスワネージの景色とは、また異なる風景です。


ボーンマスの街。旧い建物と新しい建物がうまく混在している感じ

ボーンマス駅に到着した私は、ようやく温かいコーヒーを飲み一息をつくことができました(濡れた体でオープンバスに1時間も乗車すると、やっぱり体は冷える)。


売店で買った珈琲

駅中の売店であれこれ買ってお腹を満たすと、ボーンマスからロンドン ウォータルーまで2時間ほど電車に揺られてロンドンの宿泊先に帰りました。
この時点でだいたい22時くらい。それにしても忙しいスケジュールになってしまい、いろいろと味わうことが出来なかったのが残念なところ。ロンドンから日帰り旅行をすることは出来るが、できれば1泊か2泊くらいした方がウェイマスやスワネージを楽しむことが出来るな...と反省しつつ、ベッドに横になりました。(ばたんぎゅー)。ピーターとジョージたちがドーソンさんに見守れながら船の上で遊んでいる夢をみることを期待しながら明日に備えます。


(ロンドン編に続く)


旅行5日目の移動)
Victoria Stn→St Thomas' Hospital County Hall(バス25分程度)
ロンドン ウォータルー駅→ウェイマス駅(South Western railway:3時間程度)
ウェイマス kings stature→スワネージ バスターミナル(Purbeck Breezerバス30番線:1時間45分程度)
スワネージ駅⇔Corfe Castle駅(スワネージ鉄道:片道20分程度)
スワネージ駅→ボーンマス駅(Purbeck Breezerバス50番線:1時間程度)
ボーンマス駅→ロンドン ウォータルー駅(South Western railway:2時間程度)
*Purbeck Breezerバスは1日フリー切符が便利:Day rider ticket; Zone ABC (8.8ポンド)←車中で運転手から購入できる

iphoneに入ってるアプリで算出された旅行中のウォーキング+ランニングの距離のメモ)
5日目:21.9 km(ウェイマス,スワネージ)



Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 地球の歩き方 イギリス2017-2018(2017年)ダイヤモンド・ビッグ社
4. ドーセット観光協会 (Visit Dorset)、「Dunkirk Filming Locations」<https://www.visit-dorset.com/ideas-and-inspiration/film-and-tv/dunkirk-filming-locations>(参照2018-04-24)
5. Dorset ECHO (2017年5月8日付), “WATCH: Weymouth shines in the new Dunkirk movie trailer” < http://www.dorsetecho.co.uk/news/15271511.WATCH__Weymouth_shines_in_the_new_Dunkirk_movie_trailer/ > (参照2018-04-24)
6. Dorset ECHO (2017年5月9日付), “Weymouth shines in Christopher Nolan’s new Dunkirk trailer-but there’s something not very 40s in the background!” (参照2018-04-24)
7. Dorset ECHO(2017年12月8日付)“Dunkirk, starring Harry Styles, and with scenes filmed at Weymouth harbour comes to DVD” <http://www.dorsetecho.co.uk/leisure/stage/15707757.dunkirk-starring-harry-styles-and-with-scenes-filmed-at-weymouth-harbour-comes-to-dvd/>
8. Dorset ECHO Picture Galleries “Dunkirk Movie” <http://www.dorsetecho.co.uk/news/picture_galleries/dunkirk/25/>
Katie Williams, THE PRESS (2017年7月20日付) “IN THE SPOTLIGHT: Time for Weymouth to shine in Dunkirk as town's wartime history is remembered” < http://www.yorkpress.co.uk/news/15421688.IN_THE_SPOTLIGHT__Time_for_Weymouth_to_shine_in_Dunkirk_as_town_s_wartime_history_is_remembered/?ref=nuo>
9. Haru (2017年)『On my way』個人同人誌
10. VOF (2018年)『Traveler』個人同人誌
11. MoreBus公式HP <http://www.morebus.co.uk/> (参照2018-04-14)
12. Purbeck Breezer Bus公式HP<http://purbeckbreezer.co.uk/> (参照2018-04-14)
13. Daily Echo (2016/7/26) PICTURES AND VIDEO: Harry Styles films scenes for Dunkirk at Swanage Railway <http://www.bournemouthecho.co.uk/news/14633473.PICTURES_AND_VIDEO__Harry_Styles_films_scenes_for_Dunkirk_at_Swanage_Railway/> (2018-04-24参照)
14. Swanage railway公式HP <https://www.swanagerailway.co.uk/> (参照2018-05-03)
15. Swanage railway公式twitter <@swanRailway> (参照2018-05-03)
16. Wikipedia「Corfe castle」<https://en.wikipedia.org/wiki/Corfe_Castle>(参照2018-08-22)

旅ケルクの記録11(ドーセット ウェイマス編)@ダンケルク ロケ地+ゆかりの地を巡る旅

2018年08月19日 22時54分19秒 | ダンケルク
<旅行5日目>

ロンドン市内観光をした翌日、私は朝4時に起床をして薄暗いロンドン市街を爆走しておりました。朝5時30分に出発するドーセットのウェイマス行の電車(South Western railway)に間に合うよう、始発駅であるロンドン ウォータルー駅をへ行くバスに乗るためです。
地下鉄は始発をつかったとしてもウォータルー駅への到着が5時30分を過ぎるということで、それよりも前から運転を開始するバスに乗って行った訳です。1人で薄暗い人通りのないロンドン市街を徒歩で移動…ということもあり、ホテルから所定のバス停までノンストップで爆走いたしました。
で、乗車したバスが目的とは逆方向のバスだったというオチが(白目)。2つほどバス停を通り過ぎたところで気付いて、あわてて本来乗るべき場所に戻り、そして無事に乗車してウォータルー駅に辿りつくという、トラブル満載の予感しかないスタートをきりました。幸先よくない。


フランスへ向かう機内映画でみたような気もするロンドンアイ(どの映画だったかは忘れてしまって不明。007かピーターラビットか。)。ウォータルー駅へ向かう途中で撮影。

さて、ウォータルー駅に到着しました私は、(フランスのシステムと同様に)電光掲示板に当該の電車の乗り場が掲示されるまで、ひろい駅構内で待つことに(とにかく広い)。5時に到着してしまったので、お店もひらいてないし駅員さんも見当たらないし寝る訳にもいかないし。ということで、心を無にして待つことに(素数を数えたりはしない)。


眠気と戦いながら掲示板を眺めるの巻

心を無にして待つこと〇〇分、プラットフォーム番号が掲示されたのでブリットレイルパス(ロンドン)を特権のように振りかざしながら、ほとんど駅員さんがいないプラットフォームへ突入です。
一回バリデートされると、3日間、何回でも使える便利な切符(ブリットレイルパス)に感動しながらプラットホームに滑り込み、いざ出発。
例によって、またまた列車のドアの開け方がわからず(やってみたけど開かなかった。ぶきっちょ…)、たまたま空いてたドアから入り、腰を落ち着けて、ようやく一息。終点のウェイマスまで3時間くらいの旅程を楽しむことに。




South Western Railwayの電車。先日乗車したSouth Eastern Railway(ドーバー→ロンドン)とはまた異なるカラーリングと様相。

とはいえ、電車に乗って一息つきましたが、油断はできません。ウォータルー駅の一駅先にはWoking駅があるので、電車の中から撮影せねばならないので。
Working駅は、劇中でアレックスたちダンケルクからの帰還兵が歓迎をうけた駅になります。
アレックスに尋ねられた新聞売りの子供が最寄駅を元気よく「Working!」と答えた駅の名前であり、アレックスが新聞記者?らしき初老の男性からビールをうけとった駅でもあります。

駅舎自体は電車の中から見た限り、プラットホームはこじんまりとしてました。都内のJR駅でいうと、原宿より大きいくらいかなあと(たぶん)。
ということで、Working駅につく前からカメラをかまえ、ばっしばっしと撮影です。←ぶれまくってる







こじんまりとしたWorking駅

アレックスとトミーが眺めていた光景を妄想している私が撮影している間に、Working駅を出発した電車はBasingstokeを通り過ぎ、やがてwifiの電波もあんまり立たなくなった放牧地(牧草とウシと羊がいる地帯)に突入。ロンドンとはずいぶんと様相が違い、人家もまばらな風景です。曇り空を気にしつつ、どんどんイングランドの南西部(ドーセット)へ向かいます。先日までいたドーバー(ケント)とは完璧に空気の色が違う感じです。






世界の車窓から的な。途中でウシや羊もいました(撮影したがブレて何が何やら)

そんなこんなで3時間の電車の旅が終わり、ウェイマスに到着。
改札がない駅をノーチェックで通過です。ゆるい。
そういえば、ウェイマスにつくまでの間、1回だけ乗務員さん(ワゴン販売みたいなの)に会いましたが、それ以外は会う機会がなく、イギリスの電車はおおらかだなあと思いました…。
<後に、あんまり駅員が出勤自体をしていなかったことをアナウンスで知る。ワールドカップのせいかしら…と思ったけど、全員が全員、それで休むわけでもないだろうし、不思議。

(閑話休題)

さて、ウェイマスに着いたとたんに「さっむっ!!」となった私、ウィンドブレーカー含む手持ちの上着全て+スカーフの類を全て着るはめになりました。
というのも、ウェイマスの天気は小雨、気温は16度〜18度。前日までのロンドンの気温は25〜27℃+ぎらぎら晴天つづきだったため、体の調子が一気に狂ってしまいまして(あまりにも寒くてポンポンペインになり、頻繁にトイレの住民になってしまい、スワネージ行きのバスを予定より1本遅らせる羽目になるのですが、それは後程)。
夏のリゾート地じゃなかったのか、ウェイマス。こんなに寒くてどうするんだ、みんな厚めジャンパー着てるじゃん!。それよりYa*ooよ、お前の天気予報を信じてここにやってきたのにこんなんじゃ青い空とホワイトクリフの写真がとれなくね?!このfuc(以下自粛)などと、ぶつぶつ文句を言いながらも、ひとまずウェイマス駅から歩いてすぐ近くのビーチに出ていき、ウェイマスの東側の地形を観察+撮影です。


標識に従って、海岸まで歩く...と言いたいが、駅からすぐ見えるところにビーチがあった


途中の街並み




ウェイマスの海


ビーチから眺めた街並み


プライオリーから見た街並み

ドーソン兄弟やジョージが、ここを通ったのかもしれない、ここで遊んだのかもしれない、ここを見てきたのかもしれない。彼らが通り抜けてきた風景を、私も今、観ているんだなあと胸がいっぱいになります。
あいにくの曇り模様のため、ホワイトクリフと空のコントラストが薄いのが非常に残念無念の極みなのですが、トミーやアレックス、コリンズもムーンストーン号から見たドーセットのホワイトクリフを見ると、涙も滝のように流れるというものです。
<ビーチから撮影したホワイトクリフ、曇り空だったから白+白で区別がしずらくて。青と白のコントラストが欲しかった、しくしく。



トミー‘Is it Dover?’(ドーバー?) 
ピーター‘No, that's Dorset.’(いいえ、ドーセットです。)
トミー'But it's home' (でも故郷だ)

正直、外国人旅行者の私には、ドーバーで見たホワイトクリフと、ウェイマスで見たホワイトクリフは同じように見えてしまうのだけど、ウェイマスが地元のピーターにとっては、きっと違うものなのでしょう。いつも見ているものだから。
丁度私が、移動する新幹線の車窓から見える山のラインが少しずつ見慣れたラインに変わっていくことで、地元に帰っていることを実感するように。
ピーターが地元を誇りに思っている…のかまでは劇中から明確には読み取れませんが、少なくとも地元にうんざりしてるようには見えませんでしたし、きっと地元が好きなのではないでしょうか?

さて、街中を散策しながら、まずは劇中でウェイマス ヘラルド社となったHarbour masterのある通り(ウェイマス カスタムキー13)を目指して、旧い建物が立ち並ぶ商店街のような通りを歩いていきます。
(ここの道沿いにあった教会の近くのお土産屋さんで、Dorset teaというお茶をゲット。美味しかった!)

狭い道を走り抜けるトラックや乗用車にびびりつつ道路を渡って行きましたが、その途中に、ジョージがムーンストーン号を目指して駆け下りていった階段と船着き場がありました。関係者以外は立ち入れないので、すこし体を乗り出しつつ撮影です。


Mr. Dowson!というジョージの声が聞こえてくるような景色。

劇中にはジョージの家族について具体的な言及はありませんでしたが、ジョージと共通点が多いとレヴィーン(映画ダンケルクの歴史考証担当)に指摘されているジョー・リード(ダイナモ作戦に参加したニュー・ブリタニカ号の乗務員;15歳)の父親の言葉を思い出して、スンとしてしまいます。
『息子は勇敢だった。でも私の祖父、父、それから私自身もイギリス海峡を横断して生還した。息子にも、自分の命を大切にして欲しかった』

船着き場のすぐ側には、ジョージの記事を載せた新聞社「ウェイマス ヘラルド社」(Harbour master;ウェイマス カスタムハウスキー13)があります。
劇中では、ピーターはごく自然に新聞社の建物に入り、新聞社の人(記者?)にジョージの記事に添付する用の写真を見せてましたけど、ピーターはここの新聞社の人たちと顔なじみだったのかしら。それともアポイントメントをとっていたのか?あと、むかしからドーソン家ではウェイマス ヘラルド新聞を購読してたのかな?
建物を眺めていたら、ジョージのモデルの一人とされる、18歳のハロルド・ポーター(ダイナモ作戦に参加したレナウン号の乗務員。機雷により乗務員全員死亡)が1940年6月7日付のデイリー・ミラーに掲載された内容を思い出して、撮影しながら「うおおおお」と声を出してしまいましたが。←不審者
「ダンケルクの英雄の一人に数えられる18歳の少年は、学校では落ちこぼれだった。病気がちで、勉強でもスポーツでも賞をとったことはない。しかしある日、彼は父親に言った。『学校でいいところを何も見せられなくてごめんね。でもいつか、名誉者名簿に僕の名前が載る日がくるから。』」
そういえば新聞報道といえば、1940年6月当時、イギリス政府は反戦新聞を禁止(緊急国防に関する法律に拠る)していますが(1940年5月31日付東京朝日新聞より)、ウェイマス ヘラルド社さんはどうしてたんだろうか。








劇中のウェイマス ヘラルド社。青い扉をピーターがあけてる様子が見えるよう(雨に濡れながらの撮影になりました、しくしく)





対岸に渡ってウェイマス ヘラルド社を撮影。カラフル。




対岸の建物のカラフルさも含め、非日常の空間のよう。ジュラシックコースト(化石海岸)をめぐるクルーズをする船がたくさん係留されている。

ウェイマスは様々なパステルカラーの建物がたくさん並んでいて、まるでアートの中に自分が入ったかのようでした。藤城清治さんの影絵の作品にでてそうな感じで。温かい暖色系の色合いにあふれている。←ピーターやジョージという名前の小人がでてきそう
(劇中で)異国の地で泥まみれ+重油塗れになった兵士たちがムーンストーン号からホワイトクリフとこれらの街並みを見たら、あまりの違いに泣きたくなるんじゃないかなあと思いました。今まで茶色/緑色の迷彩の軍服や青色の軍服、茶色の砂に黒色の重油を目にしていたのに、白い崖、オレンジ色の夕日、淡いピンク色や水色の建物を目にすることになるから。

さて、寒さに震えつつあった私は、ウェイマスにあるコーニッシュパスティのお店Cornish bakehouseで、コーニッシュパスティを買いました。
劇中で、イギリスに帰還した兵士たちに老人が渡していたパイになります。コーニッシュパスティはイギリスの南西のコーンウォール地方で17-18世紀ごろに今の形となったのですが、この当時、鉱山で働いていた労働者が簡易にランチを取るために壊れにくい固い皮に具を包んで手づかみで食べることができるようにしたのが始まりだとか(諸説あり)。


ボリューム満点のパスティ。1個食べてお腹がいっぱいに。

ということで、ホッカイロ兼用のランチを購入し、いそいそとバス乗り場(Purbeck Breezer Bus)へ移動。ここからスワネージ/ウール方面のバス(路線30番;夏季限定の路線)に乗り、スワネージに向かいます。


(ドーセット スワネージ編へ続く)


Ref)
1. ジョシュア・レヴィーン(2017年)『ダンケルク』(武藤陽生 翻訳)ハーパーコリンズ・ジャパン社
2. A.J.バーカー(1980年)『ダンケルクの奇跡 イギリスの大撤退作戦』(小城正 翻訳)、HAYAKAWA nonfiction
3. 地球の歩き方 イギリス2017-2018(2017年)ダイヤモンド・ビッグ社
4. ドーセット観光協会 (Visit Dorset)、「Dunkirk Filming Locations」<https://www.visit-dorset.com/ideas-and-inspiration/film-and-tv/dunkirk-filming-locations>(参照2018-04-24)
5. Dorset ECHO (2017年5月8日付), “WATCH: Weymouth shines in the new Dunkirk movie trailer” < http://www.dorsetecho.co.uk/news/15271511.WATCH__Weymouth_shines_in_the_new_Dunkirk_movie_trailer/ > (参照2018-04-24)
6. Dorset ECHO (2017年5月9日付), “Weymouth shines in Christopher Nolan’s new Dunkirk trailer-but there’s something not very 40s in the background!” (参照2018-04-24)
7. Dorset ECHO(2017年12月8日付)“Dunkirk, starring Harry Styles, and with scenes filmed at Weymouth harbour comes to DVD” <http://www.dorsetecho.co.uk/leisure/stage/15707757.dunkirk-starring-harry-styles-and-with-scenes-filmed-at-weymouth-harbour-comes-to-dvd/>
8. Dorset ECHO Picture Galleries “Dunkirk Movie” <http://www.dorsetecho.co.uk/news/picture_galleries/dunkirk/25/>
Katie Williams, THE PRESS (2017年7月20日付) “IN THE SPOTLIGHT: Time for Weymouth to shine in Dunkirk as town's wartime history is remembered” < http://www.yorkpress.co.uk/news/15421688.IN_THE_SPOTLIGHT__Time_for_Weymouth_to_shine_in_Dunkirk_as_town_s_wartime_history_is_remembered/?ref=nuo>
9. Haru (2017年)『On my way』個人同人誌
10. VOF (2018年)『Traveler』個人同人誌
11. MoreBus公式HP <http://www.morebus.co.uk/> (参照2018-04-14)
12. Purbeck Breezer Bus公式HP<http://purbeckbreezer.co.uk/> (参照2018-04-14)
13. Cornish bakehouse公式HP <http://www.cornishkitchen.com/> (参照2018-04-14)
14. モモグラモ(2016年6月24日) 「【イギリスで食べたい】固くて持ち歩けてカイロの代わりにもなる?コーニッシュ・パスティ」<https://theryugaku.jp/1318/> (参照2018-04-14)
15. 東京朝日新聞(東朝)「英反戦新聞を禁止」、1940年5月31日(3版)(明治大正昭和新聞研究会、新聞集成 昭和編年史15年度版、平成4年、新聞資料出版 収載)
16. BBC breaking news (2016/7/27) ‘Preparations for filming of Dunkirk movie in Weymouth ‘ (参照2018-05-03)