NEWS ZERO特別版の「世界を、取材する」を見ました。
翔さんがZEROのキャスターになってから行ってきた海外での取材を中心にして、翔さんのキャスターに対する思いや当時の感想が交わっている内容でした。
翔さんを見て思うのは、彼は自分の言葉にブレがないということ。
キャスターをしている・・・というのもあるのでしょうが、なるべく正確に誤解を与えないように言葉を選んでいる・・・というのもそうなのでしょうが、人物としてもブレがないのかな・・と。
(正直、言動にブレのある人間がキャスターをして物事を伝えていても説得力がカケラもないですから、これってとっても重要なことなんじゃないかな・・と思ってます。)
翔さんが報道へ踏み出すことになったものは、セプテンバーイレブン(911)の多発テロ。
ということで、NYのWTC跡地に翔さんが訪れているのだけども。
この風景を見て、また胸熱なものがぐぐーっと。
まさに原点なのだな・・・と。
WTC跡地には、すでに跡地とは言えないまでのビルやモニュメントが設置されていて、時の流れも感じましたね。
今年の2月にWTC跡地に私も行ったのですが、その時は工事中な所が多かったし。
タワーの外観は変わりませんが、工事の垂れ幕みたいなのは撤去されてたのかな?
時が着実に流れているのを感じました。
被害者であろうと加害者であろうと、そして私たちのような傍観者であろうと。



キャスターになりたての頃に向った朝鮮半島の軍事境界線での取材は2006年みたいでしたが、その時と比較しても翔さん自身の中にもイロイロ研ぎすまされていったものがあるのかなあ・・・と考えてみました。
その頃の映像も流れましたが、未熟ながらも目の前に広がるギャップや現実に向き合おうとする若い翔さんの姿があって、変わらぬ芯の強さを感じました。
徴兵された若い男性の夢が歌手になることだと聞いた時の翔さんの顔。
歌手という同じ将来の方向を向いているというのに、あまりに違う現実を抱えている彼に言葉がかけられなくて困惑した様子。
それでも何かを伝えようとする様子。
2006年の時の彼は、取材慣れしてない。
長髪茶髪で、言葉も若者言葉が抜けてなくて、とっさの言葉もキタナくなるのを抑えている感じがあって。
(やべっとか言いそうになるのを堪える感じあり)
それでも向き合おうとする翔さんの強さにカンパイです。
今となっては安定した取材力を遺憾なく発揮する彼の最初の頃を見て、ああ、若いなあと思う自分が恥ずかしいのですがね。
2008年や2012年のオリンピック取材の時の北島選手や三宅選手を応援する映像もHSHSさせて頂きましたがW
いつか、興味があると言ってた、オバマ米国大統領のスピーチを担当するファブローに取材出来ると良いね、と思うのです。
きっと面白い映像になるんじゃないかしらん?と思ってます。
(大統領が交代するまでは無理なのかなあ・・・。)
キャスターを続ける意義を「(僕を通じて)世の中のことに興味を持ってもらえれば」とブレなく語る翔さんに、これからも期待して付いていこうと思った次第。
*今までに書いたキャスターな翔さんについての記事
記者としての姿勢
ZERO写真展に行ってきた
公開セミナーのレポート1;制作者に聞く!番組制作の現場から NEWS ZERO
公開セミナーのレポート2;制作者に聞く!番組制作の現場から NEWS ZERO
翔さんがZEROのキャスターになってから行ってきた海外での取材を中心にして、翔さんのキャスターに対する思いや当時の感想が交わっている内容でした。
翔さんを見て思うのは、彼は自分の言葉にブレがないということ。
キャスターをしている・・・というのもあるのでしょうが、なるべく正確に誤解を与えないように言葉を選んでいる・・・というのもそうなのでしょうが、人物としてもブレがないのかな・・と。
(正直、言動にブレのある人間がキャスターをして物事を伝えていても説得力がカケラもないですから、これってとっても重要なことなんじゃないかな・・と思ってます。)
翔さんが報道へ踏み出すことになったものは、セプテンバーイレブン(911)の多発テロ。
ということで、NYのWTC跡地に翔さんが訪れているのだけども。
この風景を見て、また胸熱なものがぐぐーっと。
まさに原点なのだな・・・と。
WTC跡地には、すでに跡地とは言えないまでのビルやモニュメントが設置されていて、時の流れも感じましたね。
今年の2月にWTC跡地に私も行ったのですが、その時は工事中な所が多かったし。
タワーの外観は変わりませんが、工事の垂れ幕みたいなのは撤去されてたのかな?
時が着実に流れているのを感じました。
被害者であろうと加害者であろうと、そして私たちのような傍観者であろうと。



キャスターになりたての頃に向った朝鮮半島の軍事境界線での取材は2006年みたいでしたが、その時と比較しても翔さん自身の中にもイロイロ研ぎすまされていったものがあるのかなあ・・・と考えてみました。
その頃の映像も流れましたが、未熟ながらも目の前に広がるギャップや現実に向き合おうとする若い翔さんの姿があって、変わらぬ芯の強さを感じました。
徴兵された若い男性の夢が歌手になることだと聞いた時の翔さんの顔。
歌手という同じ将来の方向を向いているというのに、あまりに違う現実を抱えている彼に言葉がかけられなくて困惑した様子。
それでも何かを伝えようとする様子。
2006年の時の彼は、取材慣れしてない。
長髪茶髪で、言葉も若者言葉が抜けてなくて、とっさの言葉もキタナくなるのを抑えている感じがあって。
(やべっとか言いそうになるのを堪える感じあり)
それでも向き合おうとする翔さんの強さにカンパイです。
今となっては安定した取材力を遺憾なく発揮する彼の最初の頃を見て、ああ、若いなあと思う自分が恥ずかしいのですがね。
2008年や2012年のオリンピック取材の時の北島選手や三宅選手を応援する映像もHSHSさせて頂きましたがW
いつか、興味があると言ってた、オバマ米国大統領のスピーチを担当するファブローに取材出来ると良いね、と思うのです。
きっと面白い映像になるんじゃないかしらん?と思ってます。
(大統領が交代するまでは無理なのかなあ・・・。)
キャスターを続ける意義を「(僕を通じて)世の中のことに興味を持ってもらえれば」とブレなく語る翔さんに、これからも期待して付いていこうと思った次第。
*今までに書いたキャスターな翔さんについての記事
記者としての姿勢
ZERO写真展に行ってきた
公開セミナーのレポート1;制作者に聞く!番組制作の現場から NEWS ZERO
公開セミナーのレポート2;制作者に聞く!番組制作の現場から NEWS ZERO