今から20年前、会社の昼休みに毎日走っていた。夏は暑いので速くは走れない。秋になって涼しくなった頃、今までになく速く走れるようになった。これはいいぞと思ってたら1週間後に膝が痛くなった。関節の強さが筋肉の強さに付いていけなかったようだ。それからはこういう事に気を付けるようになった。
人は調子が上がった時によくしでかすのをフリークライミングや登山の世界で何度か見た。そしてそれは簡単に予測出来るし何度もその予測は当たった。しかし本人はそんな話を信じないし認めないのが特徴だ。最近、このオレサマは体調が良い。気を付け頃かもしれない。
降りられなくなったウマシカ猫
メメの鳴き声が微かに聞こえるが何処に居るのか分らない。家の中で見当たらないので外に出るとこんな所に居た。洗濯物を干す時に開けた窓からベランダや屋根を伝わってここに辿り着いたようだ。降りられなくなって泣いていた。
怪我が治って調子こいた馬鹿猫である。馬鹿猫って書くと馬と鹿と猫の集会みたいだ。で、ニャーニャーを日本語に翻訳すると早く下ろせになる。人間に対する猫語には命令系しか無いというのがこのオレサマの発見だ。
人は調子が上がった時によくしでかすのをフリークライミングや登山の世界で何度か見た。そしてそれは簡単に予測出来るし何度もその予測は当たった。しかし本人はそんな話を信じないし認めないのが特徴だ。最近、このオレサマは体調が良い。気を付け頃かもしれない。
メメの鳴き声が微かに聞こえるが何処に居るのか分らない。家の中で見当たらないので外に出るとこんな所に居た。洗濯物を干す時に開けた窓からベランダや屋根を伝わってここに辿り着いたようだ。降りられなくなって泣いていた。
怪我が治って調子こいた馬鹿猫である。馬鹿猫って書くと馬と鹿と猫の集会みたいだ。で、ニャーニャーを日本語に翻訳すると早く下ろせになる。人間に対する猫語には命令系しか無いというのがこのオレサマの発見だ。
久々に大型カミキリがやってきた。夜だったので翌朝撮ろうと思って虫かごに入れといたら忘れてしまった。結局次の日の夜に撮って離したけど気の毒なことをした。触覚が身体よりずっと長いので雄。
語源由来辞典のカミキリ虫の冒頭に下に示した説明がある。書いてあることは正しいんだろうけどやはり違和感がある。紙は切れないし、まして髪なんて絶対無理そうだ。実態としては噛切虫かな。
語源由来辞典の冒頭の文 |
カミキリ虫は、「噛み切り」「紙切り」「髪切り」の三通りが考えられ、特に、木の枝を噛み切ることから「噛み切り」の意味と思われがちだが、「髪切り」が正しい。 |
東京オリンピックが開かれるまで俺はオリンピックというものを知らなかった。直前のローマ大会が1960年だ。テレビが無かったというのもあるだろう。なんたって当時テレビに登場するスポーツは野球、相撲、プロレスだった。相撲なんてNHK以外の各民放でも実況してたくらい人気だった。
1968年のメキシコ大会はテレビでもよく中継された。その時生まれた言葉が高地民族。標高2000mのメキシコシティーでの大会では高地が多い国の選手が活躍した。そして高地トレーニングが積極的に行われたのはこの頃からだ。
中学校では年に1度マラソン大会があった。男子の上位者は運動部に所属してたけど女子は違った。運動部とは全く縁の無い人が上位に何人か居た。共通点は山の中腹のような場所に住んでることだった。日々の徒歩通学で鍛えられたようだ。当時は肥満体型の人は少なかったけど、その中でも皆細身体型だった。そして高地民族と呼ばれた。
少し前に棡原(ゆずりはら)の話をした。その地域がある上野原市の別の場所で山の上に出来た新興住宅地がある。バブルの頃に開発された住宅地は中央線の四方津(しおつ)駅から標高差約100mの間をエスカレーターで行き来するようになっている。川崎に住んでる頃、デパートでもないのにエスカレーターってことでその様子をテレビを何度か見た。どんな人が住んでるのか知らないが、もしエスカレーターも車を使わなければ自然と足腰が強くなって細身体型になるだろう。
甲府に走るのが大好き、と言っていいような知り合いがいる。高い山から下山して登山口から甲府の自宅までの数10kmの距離を走って帰ったとか、東京で知人の結婚式があるというので甲府から走って行ったとか。そんな作り話のような伝説を沢山持ってる人がこう言った。「 甲府は坂道が無いのでトレーニングに不便だ 」
ヨメ友達の旦那は自転車が趣味だ。ある時新潟県の新発田(しばた)から自転車でたった1日で小諸まで帰ってきた。さすがに距離が長過ぎたので菅平超えは断念し奥さんが車で迎えに行った。その後奈良に転勤。坂道が無いのでトレーニングにならないとぼやいてた。
甲府市の中心部は平らだが少し離れると坂がある。アスリートは坂のある場所に住みたいらしい。奈良に行った時、坂道はそれなりにあった。でもアスリートには平らに見えるようだ。アスリートは急坂のある場所に住みたいようだ。
1968年のメキシコ大会はテレビでもよく中継された。その時生まれた言葉が高地民族。標高2000mのメキシコシティーでの大会では高地が多い国の選手が活躍した。そして高地トレーニングが積極的に行われたのはこの頃からだ。
中学校では年に1度マラソン大会があった。男子の上位者は運動部に所属してたけど女子は違った。運動部とは全く縁の無い人が上位に何人か居た。共通点は山の中腹のような場所に住んでることだった。日々の徒歩通学で鍛えられたようだ。当時は肥満体型の人は少なかったけど、その中でも皆細身体型だった。そして高地民族と呼ばれた。
少し前に棡原(ゆずりはら)の話をした。その地域がある上野原市の別の場所で山の上に出来た新興住宅地がある。バブルの頃に開発された住宅地は中央線の四方津(しおつ)駅から標高差約100mの間をエスカレーターで行き来するようになっている。川崎に住んでる頃、デパートでもないのにエスカレーターってことでその様子をテレビを何度か見た。どんな人が住んでるのか知らないが、もしエスカレーターも車を使わなければ自然と足腰が強くなって細身体型になるだろう。
甲府に走るのが大好き、と言っていいような知り合いがいる。高い山から下山して登山口から甲府の自宅までの数10kmの距離を走って帰ったとか、東京で知人の結婚式があるというので甲府から走って行ったとか。そんな作り話のような伝説を沢山持ってる人がこう言った。「 甲府は坂道が無いのでトレーニングに不便だ 」
ヨメ友達の旦那は自転車が趣味だ。ある時新潟県の新発田(しばた)から自転車でたった1日で小諸まで帰ってきた。さすがに距離が長過ぎたので菅平超えは断念し奥さんが車で迎えに行った。その後奈良に転勤。坂道が無いのでトレーニングにならないとぼやいてた。
甲府市の中心部は平らだが少し離れると坂がある。アスリートは坂のある場所に住みたいらしい。奈良に行った時、坂道はそれなりにあった。でもアスリートには平らに見えるようだ。アスリートは急坂のある場所に住みたいようだ。