ボッケニャンドリの思ったこと

思ったこと感じたことを書いているけど間違い、勘違い、思い込みも(^^;

出物腫れ物所構わず、そして猫も

2009年12月10日 08時54分13秒 | 犬猫
よりによってこんな所に

 犬と比べると猫は綺麗好きで暇とやる気さえあればしょっちゅう身体を舐めて綺麗にしてる。しかし寝る場所はというと理解に苦しむ時がたまにある。薪の上ってどう見ても寝心地が良さそうには見えない。しかも木屑だらけの板の上で寝ることもある。あんた綺麗好きじゃなかったのかい、と聞きたい。
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客が来るとストーブをつけてた頃

2009年12月10日 08時52分29秒 | 薪ストーブ、木こり、チェーンソー
 信州の南部、南信(なんしん)にはねこと呼ばれてるちゃんちゃんこがあるというのを最近知った。前身ごろの無い綿入りベストって感じで背中と腰だけ暖かくする服だ。猫を背負ってるように暖かいから猫って名前らしい。これを見てそこの冬の生活が少し見えた。恐らく昔の暖房は囲炉裏か炬燵だけだったので寒い背中を暖めるために考え出されたのだろう。

 10代の頃は山梨に住んでいた。冬の暖房は炭を使う掘り炬燵。石油ストーブはあったけど客が来た時しか使わなかったなぁ。なんでだろ、もしかしてビンボーだったのかな。まぁ兎に角下半身は炬燵の中だから暖かいが背中が寒かった、というより冷たかった。

 そういえば炬燵に入ってる時、昔は背中が丸まってたな。今は部屋全体が暖かいからそんなあたり方はしない。当時の室温は10℃にも届かなかった。少なくもと寝る頃、寒暖計が丁度0℃を示してるくらいだから居間は5℃前後だと思う。

 今の家はというと山梨より遥かに寒い長野でありながら2日くらいでかけて戻って来ても室温は10℃を少し切ったくらいだ。勿論その間暖房は無いのにである。その程度の留守なら断熱材のお陰で氷点下になることすら無い。だから子供の頃の生活を思うと暖房なんて無くてもいいはずなんだけどストーブをつけて起きてる間は20℃くらいにしている。

 地球温暖化だの省エネだのと騒いでるけど当時に比べると電気、石油、ガスは随分と使ってる。東京から山梨に移ったばかりの頃、昭和40年だから1965年か、そこには祖父母と叔母が住んでいた。叔母といっても歳が近いから兄弟みたいなもんだけど、その家の電気のブレーカーがたったの5アンペアだった。たったそれだけで生活してたのだ。勿論今よりは不便には違いないけどね。だけど何が不便かっていうとご飯を炊くのと風呂くらいしか思いつかない。
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