えりかさんはプライドが高い。
以前は、そんなこと全く考えられなかった。
自分のことを、ACで自己肯定間が低いと言っていたえりかさんが、
プライドが高いなんて、そんなこと有り得ないと思っていた。
元々、人間観察などというものは苦手な私である。
そんな私でも、何度か「えりかさん、プライド高いのかな?」と思ったことがある。
そのたびに、そんなはずないやと思い直していた。
でも、何がきっかけだったか、えりかさんはプライドが高いんだと理解した。
そうしたら、いろんなことの辻褄が合った。
その後、えりかさん自身、ブログの中で、
「私のプライドの高さが、なんちゃら…」と書いてあって、やっぱりと思った。
高過ぎるプライドは、生きていく上でいろんな意味で邪魔になると思う。
でも、全くプライドがないというのもどうかと思う。
まあ、悟りきったマスターと呼ばれるような人はいいのかもしれないが。
ここもやっぱりバランス。ほどほどがいい。
私はどうだろう?
そんなにプライドは高くないと思うが、全く無いわけではない。
私がプライドということを意識したのは…。
集金の仕事を始めた時。
「私は借金取りではないというプライドを持とう」と思った。
借金取りさんにもいろいろあるのかもしれないが、
この場合の借金取りさんは、あまり良くないイメージの借金取りさんである。
別に、職業で人を差別するつもりはないが、
お金を扱うのは、あまり高尚な仕事ではないイメージがあったのかな。
全くの余談であるが、同業者のO美ちゃんは、留守がちでなかなか捕まらないお客さんを、
帰ってくるまで家の前で待っていようかと思ったことがあったそうな。
(私はそこまで頑張るつもりなど毛頭ないが)
そう思っていたら、テレビで借金の取り立てのひどさ?(悪徳金融の話だと思うけど)の特集をたまたま見て、
自分のやろうとしていたことが怖くなってやめたそうである。
それから、大学生の時。
私の通っていた大学は、県内ではそこそこのレベルのところだったけれど、
私の通っていた高校は、県内でもトップレベルのところだったので、
自分でそんなにいいところに進学したとは思っていなかった。
(今思えば、みんなかなりの企業に就職していらっしゃるので、すごかったんだと思うけど)
実際には、私学の校風に合わないということもあったのだけれど。
だから、友達がここの大学に入れたことが自慢で、
学校名の入ったTシャツを買って喜んで着ているのを見て、
こんな大学の学生であることにプライド持ってばっかみたいと思っていた。
でも内心、私自身、そこの学生であることに、中途半端なプライドを持っていることに気づいていた。
それから、コーラスをしていた時。
そこの合唱団には、優秀な人が多かった。
その優秀な人の中には、地元の新設校の出身者が多かった。
(私は、新設校が嫌いだった。今となっては、新設と言っていいのかわからないが)
そんな優秀な人に圧倒されそうになる時、
「彼女は、たかが○○高の出身じゃないか。私は○○高だぞ!!」と、
大切なのは出身校ではなくて、自分自身だと百も承知の上で思っていた。
まあ、私のプライドに関して具体的に思いつくのはそれくらいである。
母もプライドが高かったと思う。
そう思うのにはいろいろあるのだが。
晩年、認知症も出かかっていた頃、町内の組長が回ってきた。
会合には、姉が出ていたそうだが、その最初の会合で、姉は組長のまとめ役のようなものを引き受けてきたのだそうだ。
姉もそういうのを断るのは苦手そうなので、わかる気はするのだが。
でも、姉は仕事が忙しいので、実際に組長の仕事をするのは母である。
配り物をするくらいならいいが、他の組の分まで何か集計したりするのは、
よくわからなかったらしい。
姉は姉で、自分がやるからいいと言うそうだが、後回しにするので母は気が気ではなかったようだ。
母がそのことを愚痴ってきた時、
「何か言われたら、おばあさんはボケてるから何にもわからん。娘に任せてあるって言っておけばいいじゃない?」
と言うと、「そうだね」と言っていたが、
後日別の話で、「近所の人によぼよぼ歩いているところを見られたくない」と言っていた。
ボケたふりなんてとんでもなかったのかもしれない。
そう言えば、免許の返納のために警察に行った時、
警察官の方が、私にいろいろ話してくるので、二人でやり取りしていた。
その時は、免許の返納は時間がかかるので、午後から出直してくれということだったので、
先にお昼を食べに行った。
母の機嫌が悪い。
ぼそっと怒り出した。
歳はとっても、あれもこれも自分でやっている。馬鹿にするんじゃないという意味のこと。
昼から出直した時には、私はずっとベンチに座って待っていて、
手続きはすべて母に自分でやらせた。
母が亡くなってから見つけた日記のようなメモに、その日のことが書いてあった。
みなみは、遠くからきていろいろやってくれているのに、怒ってしまった。
でもみなみは、私の気持ちを受け入れてくれた。
みなみは本当にいい子だ。
でも本当は、母に対してそんな態度が取れたのは、
えりかさんとの出逢いがあったから。
と、えりかさんに戻ってしまったところで、この話はおしまいにしておこう。
以前は、そんなこと全く考えられなかった。
自分のことを、ACで自己肯定間が低いと言っていたえりかさんが、
プライドが高いなんて、そんなこと有り得ないと思っていた。
元々、人間観察などというものは苦手な私である。
そんな私でも、何度か「えりかさん、プライド高いのかな?」と思ったことがある。
そのたびに、そんなはずないやと思い直していた。
でも、何がきっかけだったか、えりかさんはプライドが高いんだと理解した。
そうしたら、いろんなことの辻褄が合った。
その後、えりかさん自身、ブログの中で、
「私のプライドの高さが、なんちゃら…」と書いてあって、やっぱりと思った。
高過ぎるプライドは、生きていく上でいろんな意味で邪魔になると思う。
でも、全くプライドがないというのもどうかと思う。
まあ、悟りきったマスターと呼ばれるような人はいいのかもしれないが。
ここもやっぱりバランス。ほどほどがいい。
私はどうだろう?
そんなにプライドは高くないと思うが、全く無いわけではない。
私がプライドということを意識したのは…。
集金の仕事を始めた時。
「私は借金取りではないというプライドを持とう」と思った。
借金取りさんにもいろいろあるのかもしれないが、
この場合の借金取りさんは、あまり良くないイメージの借金取りさんである。
別に、職業で人を差別するつもりはないが、
お金を扱うのは、あまり高尚な仕事ではないイメージがあったのかな。
全くの余談であるが、同業者のO美ちゃんは、留守がちでなかなか捕まらないお客さんを、
帰ってくるまで家の前で待っていようかと思ったことがあったそうな。
(私はそこまで頑張るつもりなど毛頭ないが)
そう思っていたら、テレビで借金の取り立てのひどさ?(悪徳金融の話だと思うけど)の特集をたまたま見て、
自分のやろうとしていたことが怖くなってやめたそうである。
それから、大学生の時。
私の通っていた大学は、県内ではそこそこのレベルのところだったけれど、
私の通っていた高校は、県内でもトップレベルのところだったので、
自分でそんなにいいところに進学したとは思っていなかった。
(今思えば、みんなかなりの企業に就職していらっしゃるので、すごかったんだと思うけど)
実際には、私学の校風に合わないということもあったのだけれど。
だから、友達がここの大学に入れたことが自慢で、
学校名の入ったTシャツを買って喜んで着ているのを見て、
こんな大学の学生であることにプライド持ってばっかみたいと思っていた。
でも内心、私自身、そこの学生であることに、中途半端なプライドを持っていることに気づいていた。
それから、コーラスをしていた時。
そこの合唱団には、優秀な人が多かった。
その優秀な人の中には、地元の新設校の出身者が多かった。
(私は、新設校が嫌いだった。今となっては、新設と言っていいのかわからないが)
そんな優秀な人に圧倒されそうになる時、
「彼女は、たかが○○高の出身じゃないか。私は○○高だぞ!!」と、
大切なのは出身校ではなくて、自分自身だと百も承知の上で思っていた。
まあ、私のプライドに関して具体的に思いつくのはそれくらいである。
母もプライドが高かったと思う。
そう思うのにはいろいろあるのだが。
晩年、認知症も出かかっていた頃、町内の組長が回ってきた。
会合には、姉が出ていたそうだが、その最初の会合で、姉は組長のまとめ役のようなものを引き受けてきたのだそうだ。
姉もそういうのを断るのは苦手そうなので、わかる気はするのだが。
でも、姉は仕事が忙しいので、実際に組長の仕事をするのは母である。
配り物をするくらいならいいが、他の組の分まで何か集計したりするのは、
よくわからなかったらしい。
姉は姉で、自分がやるからいいと言うそうだが、後回しにするので母は気が気ではなかったようだ。
母がそのことを愚痴ってきた時、
「何か言われたら、おばあさんはボケてるから何にもわからん。娘に任せてあるって言っておけばいいじゃない?」
と言うと、「そうだね」と言っていたが、
後日別の話で、「近所の人によぼよぼ歩いているところを見られたくない」と言っていた。
ボケたふりなんてとんでもなかったのかもしれない。
そう言えば、免許の返納のために警察に行った時、
警察官の方が、私にいろいろ話してくるので、二人でやり取りしていた。
その時は、免許の返納は時間がかかるので、午後から出直してくれということだったので、
先にお昼を食べに行った。
母の機嫌が悪い。
ぼそっと怒り出した。
歳はとっても、あれもこれも自分でやっている。馬鹿にするんじゃないという意味のこと。
昼から出直した時には、私はずっとベンチに座って待っていて、
手続きはすべて母に自分でやらせた。
母が亡くなってから見つけた日記のようなメモに、その日のことが書いてあった。
みなみは、遠くからきていろいろやってくれているのに、怒ってしまった。
でもみなみは、私の気持ちを受け入れてくれた。
みなみは本当にいい子だ。
でも本当は、母に対してそんな態度が取れたのは、
えりかさんとの出逢いがあったから。
と、えりかさんに戻ってしまったところで、この話はおしまいにしておこう。
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