名古屋の山の手

2016-03-18 18:50:23 | 日記
ちょっと前に思いついて、ある場所に行って来た。
名古屋の山の手と言っていい場所だと思う。

何年も前に、一度行ったことのある場所。
その時のことを書いたノートがあった。
1995年の9月のことらしい。
あの時も思いつきで…。
朝早く子供たちを名古屋駅まで送って行った時だったと思う。
多分、母がディズニーランドにでも連れって行ってくれたんじゃないだろうか?
急いで帰る必要もないので、ちょっと行ってみようかと。
住所を頼りに、本屋さんで地図を立ち読みして。
そこは多分、私が赤ん坊の頃に住んだことのある家。

 高級住宅地と思われる山の手の坂道を上って…。本当にこんな所にあるんだろうか?
 この一角にあるのじゃないかしらと思われるあたりをうろうろして、
 階段を上った先に表札があると思われる家も何軒かあって、
 あの中の一軒だったらわからないやって思っている時、
 ふっと表札が一つ目の中に飛び込んできました。
 それは門だけが通りに面していて、細い引き込み通路が奥に続いてて、その先に家が。
 家の前に、ハイラックスか何か車が止まっていて。
 そんな造りでは、とても家の前まで行く勇気はなくて。
 でも、その家の屋根の朱色みたいな瓦の色を見た時、
 何だかその色には覚えのあるような気がしました。
 たとえ、その家に住んだことがあったとしても、覚えているはずはないのに。
 もう一度、その家を含む区画の周りをぐるりと一周しました。
 反対側の空の駐車場の向こうにその屋根が見えました。
 間に塀があるので、屋根とその下の少しの壁以外のものは見えないだろうと思いましたが、
 その駐車場の奥まで行ってみたかった。
 でも、近所の人が通ったら不審に思うだろうとあきらめました。
 もう一度、門の前まで行ってから帰りました。
 とても立ち去り難い気がしたけれど、それ以上いても何も得るものはないものね。
 急な坂道を降りながら、もしこの環境で育っていたら…、と思いました。
 私にはもっと可能性があったろうか…。いろんな意味で。
 ----わからない。

20年も前のことだったんだ。
今はストリートビューってやつがある。
検索してみると、朱色の屋根の家が道の角に建っている。
街並みが変わって、家の前まで行けるようになったのかもしれない。
そう思って出かけて行ったのである。

わりとすんなりとその朱色の屋根の家は見つかったのだけれど、
その家は、カーテンも破れて荒れ放題という感じで、表札も違う名前が書いてあった。
父もいい歳だし、売ってしまったのだろうかと思うが。
番地が私の知っているものとは違っていたので、ここじゃないのかもしれないと思い、
あてずっぽうに歩き回る。
朱色の屋根を見ると確認する。
もうわからないなと思いながら、最初の朱色の屋根の家に戻ってきた。
すると、その家の隣、最初に私が来たのとは反対側に、その表札はあった。
その奥に、家がある。
その家は、朱色の屋根ではなく、白い新しい建物になっていた。
家のまえにはやはり車が停まっている。

そうか、私が産まれた頃の建物がそのまま残っているはずもない。
門の中まで入って行けそうな気もしたが、やっぱり無理。
もし、姉がいなければ、今の私なら父に会うことができるかもしれない。
父は再婚しただろうか?
私には母親の違う兄弟がいるのかもしれない。
そんなことを思う。
そうであった方がいいと思う。
父にも、最期を看取ってくれる家族があればいいと思う。

もしこの環境で育っていたら…?
都会派の私は、この環境で育ちたかったというのが本音だろう。
20年前も、今も。
でも、その環境で育っていたら、間違いなく私が通った高校には行けなかっただろう。
田舎の中学でいい成績をもらえたからこそ行けた高校である。
あの高校に行けなかったら、私の人生は大きく変わっていたと思う。
高校時代が一番楽しかった。
だから、これで良かったんだろう。
と言うより、私にはこの人生しかなかったのだから。

夢か現実?

2016-03-18 10:04:16 | 霊性
母の夢を見た。

亡くなった母から電話がかかってくる。
最初は夕方。
何かの会合に出ているという母が愚痴を言うのを聞く。
私は亡くなった母からの電話に驚きはするのだけれど、
こういうこともあるよね?という感じで、怖いとかは思わない。
夜になって、夫もいる時にまた電話がかかる。
私は、また母からだと思いながら、「何で液晶で気付かなかったんだろう」と思う。
電話は途中で通信状態が悪くなって、雑音ばかりになったので、
私は「お母さん!お母さん!!」と声に出すが、電話はそのまま切れる。
この私の声を聞いて、初めて夫が不審そうな目を向ける。
その後、私は着信履歴を確認しようとするのだが、
液晶画面には、バクったように、ゲームか何かの映像が映し出されるばかりで操作できない。

思いがけない内容の夢を、はっきり覚えている状態で目覚めた時、
私は、その夢が何を意味するのかを考えるようにしている。
母は、私に何を伝えたかったのだろう?

まず思ったのは、Mくんのこと。
私は、今度Mくんと話す機会があったら、あることを伝えようと思っていた。
それを言うと面倒くさいことになるからやめなさいということだったのかな?
でも、途中でそれは単に私の願望であるということに気がついた。

次に思ったのが、私はある場所に行こうと思っていたこと。
その場所のことの方が、母には関係がある。
それをやめろということか?
でも、私がそこに行ったからといって、何をするわけでもなく、何も起こらない。
だから、私は母に反対されても行くだろう。

そして、昨日の私のあまりに怠惰な生活を見るに見かねてのことだったのかな?と思う。

それとも、母は、単に私に母の死をもっと悲しんでほしいのだろうか?と思った。
もちろん、母が亡くなったことは悲しかったし、
母に早く死んでほしいなどと思っていたわけでは決してないのだけれど。
私は、晩年の母をかわいそうに思うところがあって。
呆けてきた母が、いろいろ失敗を重ねた時期があって、その時に、
「私は長く生き過ぎた」と言ったことがあった。
娘なら、「そんなこと言わないで、長生きしてちょうだい」とか、
「生きててくれるだけでいいよ」とか言うべきだったんだろうが、
元々長生きはしたくないと思っていた私は、
私だって、こんな状態で生きていたいとは思わないだろうなと思ってしまって何も言えなかった。

死んでしまった母を羨ましく思うところもあったし。
それに、母はとてもいい死に方をしたと思う。
私たちに、それなりの親孝行らしきものをさせてくれる機会を作ってくれたし、
私たちに、それほどの負担をかけることもなく亡くなった。
私もそんな死に方ができればいいと思う。
ただし、母よりも、もう少し若いうちに死にたいと思うけれど。

だから、単に「悲しい」と言うよりも、「良かったね」に近いような、そんな思いがある。
でも、本当はそれは私の「きれい事」と言うか、「こじつけ」で、
私はただの「薄情な娘」なのかもしれないとも思う。
母は、そんな私のことを見抜いていて、夢に現れたのかもしれない。

私は、眠っている時に見る夢にとても興味があって、夢日記をつけていたこともある。
目が覚めた時に、忘れてしまっている夢を呼び覚ますコツもちょっとだけ知っている。
でも、それをするには結構エネルギーがいるので、あまりやらない。
あまりやらないと言うか、目覚めた時にそれを意識していないと無理なので、
夢に執着している時しかできない。

眠って夢を見ている時の私も、目が覚めている時の私も、同じ私である。
本当の私と言うか、魂の私?私の本質?そんな私にとっては、
夢の中のことも、目覚めている時と同じように現実なのだという。
そんなことが、なんとなくわかるような、
いや、「わかる」とまでは言えないけれど、
そんな私の存在を信じている、信じたいという、最近の私である。