ちょっと前に思いついて、ある場所に行って来た。
名古屋の山の手と言っていい場所だと思う。
何年も前に、一度行ったことのある場所。
その時のことを書いたノートがあった。
1995年の9月のことらしい。
あの時も思いつきで…。
朝早く子供たちを名古屋駅まで送って行った時だったと思う。
多分、母がディズニーランドにでも連れって行ってくれたんじゃないだろうか?
急いで帰る必要もないので、ちょっと行ってみようかと。
住所を頼りに、本屋さんで地図を立ち読みして。
そこは多分、私が赤ん坊の頃に住んだことのある家。
高級住宅地と思われる山の手の坂道を上って…。本当にこんな所にあるんだろうか?
この一角にあるのじゃないかしらと思われるあたりをうろうろして、
階段を上った先に表札があると思われる家も何軒かあって、
あの中の一軒だったらわからないやって思っている時、
ふっと表札が一つ目の中に飛び込んできました。
それは門だけが通りに面していて、細い引き込み通路が奥に続いてて、その先に家が。
家の前に、ハイラックスか何か車が止まっていて。
そんな造りでは、とても家の前まで行く勇気はなくて。
でも、その家の屋根の朱色みたいな瓦の色を見た時、
何だかその色には覚えのあるような気がしました。
たとえ、その家に住んだことがあったとしても、覚えているはずはないのに。
もう一度、その家を含む区画の周りをぐるりと一周しました。
反対側の空の駐車場の向こうにその屋根が見えました。
間に塀があるので、屋根とその下の少しの壁以外のものは見えないだろうと思いましたが、
その駐車場の奥まで行ってみたかった。
でも、近所の人が通ったら不審に思うだろうとあきらめました。
もう一度、門の前まで行ってから帰りました。
とても立ち去り難い気がしたけれど、それ以上いても何も得るものはないものね。
急な坂道を降りながら、もしこの環境で育っていたら…、と思いました。
私にはもっと可能性があったろうか…。いろんな意味で。
----わからない。
20年も前のことだったんだ。
今はストリートビューってやつがある。
検索してみると、朱色の屋根の家が道の角に建っている。
街並みが変わって、家の前まで行けるようになったのかもしれない。
そう思って出かけて行ったのである。
わりとすんなりとその朱色の屋根の家は見つかったのだけれど、
その家は、カーテンも破れて荒れ放題という感じで、表札も違う名前が書いてあった。
父もいい歳だし、売ってしまったのだろうかと思うが。
番地が私の知っているものとは違っていたので、ここじゃないのかもしれないと思い、
あてずっぽうに歩き回る。
朱色の屋根を見ると確認する。
もうわからないなと思いながら、最初の朱色の屋根の家に戻ってきた。
すると、その家の隣、最初に私が来たのとは反対側に、その表札はあった。
その奥に、家がある。
その家は、朱色の屋根ではなく、白い新しい建物になっていた。
家のまえにはやはり車が停まっている。
そうか、私が産まれた頃の建物がそのまま残っているはずもない。
門の中まで入って行けそうな気もしたが、やっぱり無理。
もし、姉がいなければ、今の私なら父に会うことができるかもしれない。
父は再婚しただろうか?
私には母親の違う兄弟がいるのかもしれない。
そんなことを思う。
そうであった方がいいと思う。
父にも、最期を看取ってくれる家族があればいいと思う。
もしこの環境で育っていたら…?
都会派の私は、この環境で育ちたかったというのが本音だろう。
20年前も、今も。
でも、その環境で育っていたら、間違いなく私が通った高校には行けなかっただろう。
田舎の中学でいい成績をもらえたからこそ行けた高校である。
あの高校に行けなかったら、私の人生は大きく変わっていたと思う。
高校時代が一番楽しかった。
だから、これで良かったんだろう。
と言うより、私にはこの人生しかなかったのだから。
名古屋の山の手と言っていい場所だと思う。
何年も前に、一度行ったことのある場所。
その時のことを書いたノートがあった。
1995年の9月のことらしい。
あの時も思いつきで…。
朝早く子供たちを名古屋駅まで送って行った時だったと思う。
多分、母がディズニーランドにでも連れって行ってくれたんじゃないだろうか?
急いで帰る必要もないので、ちょっと行ってみようかと。
住所を頼りに、本屋さんで地図を立ち読みして。
そこは多分、私が赤ん坊の頃に住んだことのある家。
高級住宅地と思われる山の手の坂道を上って…。本当にこんな所にあるんだろうか?
この一角にあるのじゃないかしらと思われるあたりをうろうろして、
階段を上った先に表札があると思われる家も何軒かあって、
あの中の一軒だったらわからないやって思っている時、
ふっと表札が一つ目の中に飛び込んできました。
それは門だけが通りに面していて、細い引き込み通路が奥に続いてて、その先に家が。
家の前に、ハイラックスか何か車が止まっていて。
そんな造りでは、とても家の前まで行く勇気はなくて。
でも、その家の屋根の朱色みたいな瓦の色を見た時、
何だかその色には覚えのあるような気がしました。
たとえ、その家に住んだことがあったとしても、覚えているはずはないのに。
もう一度、その家を含む区画の周りをぐるりと一周しました。
反対側の空の駐車場の向こうにその屋根が見えました。
間に塀があるので、屋根とその下の少しの壁以外のものは見えないだろうと思いましたが、
その駐車場の奥まで行ってみたかった。
でも、近所の人が通ったら不審に思うだろうとあきらめました。
もう一度、門の前まで行ってから帰りました。
とても立ち去り難い気がしたけれど、それ以上いても何も得るものはないものね。
急な坂道を降りながら、もしこの環境で育っていたら…、と思いました。
私にはもっと可能性があったろうか…。いろんな意味で。
----わからない。
20年も前のことだったんだ。
今はストリートビューってやつがある。
検索してみると、朱色の屋根の家が道の角に建っている。
街並みが変わって、家の前まで行けるようになったのかもしれない。
そう思って出かけて行ったのである。
わりとすんなりとその朱色の屋根の家は見つかったのだけれど、
その家は、カーテンも破れて荒れ放題という感じで、表札も違う名前が書いてあった。
父もいい歳だし、売ってしまったのだろうかと思うが。
番地が私の知っているものとは違っていたので、ここじゃないのかもしれないと思い、
あてずっぽうに歩き回る。
朱色の屋根を見ると確認する。
もうわからないなと思いながら、最初の朱色の屋根の家に戻ってきた。
すると、その家の隣、最初に私が来たのとは反対側に、その表札はあった。
その奥に、家がある。
その家は、朱色の屋根ではなく、白い新しい建物になっていた。
家のまえにはやはり車が停まっている。
そうか、私が産まれた頃の建物がそのまま残っているはずもない。
門の中まで入って行けそうな気もしたが、やっぱり無理。
もし、姉がいなければ、今の私なら父に会うことができるかもしれない。
父は再婚しただろうか?
私には母親の違う兄弟がいるのかもしれない。
そんなことを思う。
そうであった方がいいと思う。
父にも、最期を看取ってくれる家族があればいいと思う。
もしこの環境で育っていたら…?
都会派の私は、この環境で育ちたかったというのが本音だろう。
20年前も、今も。
でも、その環境で育っていたら、間違いなく私が通った高校には行けなかっただろう。
田舎の中学でいい成績をもらえたからこそ行けた高校である。
あの高校に行けなかったら、私の人生は大きく変わっていたと思う。
高校時代が一番楽しかった。
だから、これで良かったんだろう。
と言うより、私にはこの人生しかなかったのだから。