アダルトチルドレン

2015-12-16 16:17:31 | 霊性
えりかさんは、自分のことを「アダルトチルドレン(AC)」だと言う。
アダルトチルドレンなんて、言葉しか知らなかった私は、
えりかさんのことを理解したいがために、ACのことを調べた。

なるほどと思った。
私がこんな性格なのは、親から愛されたという実感が薄いせいなのかと思った。
前にも言ったが、私は決して母から愛されていなかったとは思っていない。
ただ、私が愛してほしいやり方では愛してもらえなかったと思っていた。
そんな私の思いが、私の性格に影響しているのかと思ったのが素直な感想である。

例えば、自分に自信が持てない。自己主張ができない。対人関係が苦手。
無気力。他人は自分と違うと思う。他人から言われたことが気になってクヨクヨする。…等々。
いつもそうだというわけではないけれど、思い当たるふしがある。
少なくとも、ACの傾向はあるんだろうなと思った。

夫の言動に腹を立てる。
ものすごく腹が立って哀しいのだけれど、
「私にそれを責める資格があるだろうか?私はあれもこれも人並みにできないのに」
と思ってしまって、文句も言えなかった。
一人でこそこそ泣いていた。
だから、夫婦喧嘩はほとんどなかった。

夫を見ていて、なんだか堂々と生きているなあと感じることがある。
それは、あのお義母さんに育てられたからなんだろうなと納得。

いろいろな過程があってからだと思うけれど、結局、私はACではないと確信した。
それは、世の中に完璧な親などいないと思えば、
私程度のAC傾向のある人なんていくらでもいると思えたから。
そして、自分の生き辛さを、親のせいにしたくはないと思えたから。

確かに、幼いころに虐待を受けたりして、深刻なACの症状のある人は、大勢みえると思う。
他人から見て、そこまで深刻だとは思えなくても、
自分のことをACだという人は、本当に苦しんでいる。
本当に苦しんでいるということは事実だと思う。

だけど、不思議なのだけれど、
ACに限らず、うつ病など、「誰がかかってもおかしくない」ということを言うけれど、
なんだか、私は絶対に「かからない」と思ってしまったのである。
確かにヤバかったんだ。一歩とは言わないまでも、かなり近くまで行っていたと思うのだけれど。
世の中には、同じ状況にあったとしても、
そういう病気に、かかる人と、絶対にかからない人がいる、と思ってしまった。
強いとか弱いとか、そういうことじゃなくて、
どちらかと言えば、運がいいとか悪いとか、そっちに近い気がする。


おかあさん

2015-12-11 11:59:41 | 生い立ち・家族
夫の実家に行く。
すごい田舎なのだけれど、実に人の出入りが多い。
近所の人は、家の前を通ると声をかけたり、寄って行ったりしてくれる。
親戚もよく集まって、実に仲が良い。

私の実家でも、特に祖父母がいたころは、盆暮れには親戚の人が来ていた。
でも、彼らはあくまでもお客様で、夫の実家でのように仲が良いとは感じていなかった。
特に母は、妙に小姑根性の発達したところがあって、
兄嫁さんたちが、ああしたこうしたと、祖父母や実の姉である伯母たちによくこぼしていた。
(子供だった私たちに聞こえるところで)
母のそういうところが、私も姉もあまり好きでなかった。

私は従姉妹たちとも特に親しくしていなかった。
小さいころはそれなりに会えば遊んだりしたが、ある程度の年齢からはほとんど知らない人だった。
よく「いとこと遊びに行く」とか「相談にのってもらった」とかいう話を聞くが、
私には別世界の話だった。
でも、まあ、最近では、親世代がだんだん弱ってきて、一人二人とこの世を去るようになり、
従姉妹たちと顔を合わせる機会が増えてきた。
そうしたら、不思議なことに、まるで旧友に会ったかのように自然にお話とかできることが、
ちょっと驚きで、嬉しいことだったりする。

そんなこんなで、私は夫の実家の人間関係が珍しくもあり、楽しかった。

夫の実家にいるときに、夫が少々具合いが悪いときがあった。
別に大したことではなかったのだけれど、
義母は、「大丈夫かな?」みたいなことを私に言う。
そのときに、「ああ、お母さんて、こういうものなんだ」と思った。

一頃、私は頭痛持ちで、それも自分の実家でも、夫の実家でも、行くと必ず頭が痛くなった。
夫の実家に行ったときだけなら実に体裁が悪いが、自分の実家でも必ずそうなのだから仕方ない。
そんなとき、義母は夫に言ったそうだ。
「みなみさん、あんなにいつも頭が痛いなんて、脳腫瘍とか深刻な病気なんじゃない?
 一度ちゃんと調べてもらったら?」
それを聞いた私は嬉しかった。心配してもらえた。
それ以来、義母は私の中で「母よりもお母さんみたいな人」になった。

だから、私は一時期夫のことが大嫌いだったときがあったのだが、
そのときには、「離婚するなら、義母を見送ってから」と思ったし。
義母に会うと、「あなたの息子をこんなに嫌ってごめんなさい」と心の中で謝っていた。
(笑い話だよね?)

「母よりもお母さんみたいな人」と言ったけれど、
実母の場合は、多分、母親よりも父親の役割の方が大きかったんだと思う。
だから私は、結婚してやっと父親と母親の両方を手に入れることができたのかもしれない。


食生活

2015-12-11 11:21:06 | 生い立ち・家族
実家でどんな暮らしをしていたのか、よく覚えていない。

母は一体どんな食事を用意していてくれたのか?
よくうどん屋さんとか、ラーメン屋さんとかに連れて行ってもらったのは覚えている。
でも、当然毎日外食だったわけではない。
スーパーに買い物に行って、屋上の今でいうフードコートのようなところで、
ソフトクリームなど食べて、私は多分1日1回だけゲームをさせてもらった。
その時、母はどんな食料品を買っていたのだろう?

覚えているのは、母は味御飯が好きでよく作っていたことと、
私が風邪をひいた幼いときに、茶わん蒸しを作ってくれたのだけれど、
私は口がまずくて食べれなくて、治ってから、
「この前食べれなかったから、茶わん蒸し作って」とおねだりしても作ってもらえなかったこと。
それと、幼かったころ、母はカレーライスが嫌いだったのだけれど、
「子供はカレーライスが好きだ」という認識があったのか、
自分の食べないカレーを、時々作ってくれていたということ。

大学生のとき、学校の近くのマンションに住んでいたちばこちゃん(今は千葉に住んでいるちばこちゃん)の家によく泊まりに行った。
ちばこちゃんは、入学したころはずんぶん遠方から通っていたのだが、
お母さまが亡くなり、お父様の職場も名古屋だったので、妹さんと3人で名古屋に引っ越してきていた。
余談だが、ちばこちゃんは、お忙しいお父様に代わり家探しもしたし、
3歳下の高校生の妹さんの保護者懇談にも行くというスーバー女子大生だった。
当然、家事もこなし、家計のきりもりもしていた。
私が泊まりに行くと、いろいろな家庭料理を食べせてくれた。
トンカツを家で作れるということを、私はこのとき初めて知った。
(ああ、そう言えば、中学のとき一度だけ友達の家にお泊りしたことがあって、
 そのときに、お母さまがグラタンを作ってくださったのに感動したこともあったな)
「私、おでんにキャベツ入れるんだけどさー、変かなあ?」
そう聞かれても、家で「おでん」など食べたことのない私には判断材料がない。
(多分、はんぺんを煮たものくらいは食べていただろうとは思うけど)

そんな私が結婚して、どう料理を覚えていったのか。
最初に作ったのは野菜炒めだった。
仕事から帰って、大急ぎで作ったのだけれど、
友達に「野菜炒めって、冷蔵庫の中を片付けたいときに、余り物で作るものでしょ?」
と言われたのを覚えている。

飲食店でバイト経験のあった夫が、よく私の料理に手を加えてくれた。
私より夫の方が絶対に料理がうまいと思っていた。
でも、今はたまに夫がご飯を作ってくれると、「うーん…」と思ってしまう。
面倒でも自分で作った方がいいやと思う。(ごめんなさい!!)

こっちでできた友達と一緒に買い物に行って、彼女が「鶏のもも肉」をかごに入れたとき、
「それで何作るの?」と聞いてしまったこともあった。
夫の実家で、義母が作るのを見て「唐揚げ」を覚えた。

一度実家に帰ったときに、私がビーフシチューを作ったことがあった。
実家にいたころには絶対に食べたことのないメニューだったので、私はちょっと得意気だったと思う。
母は、そのシチューをご飯にかけて食べ出した。
若かった私は、その様子にがっかりもしたし、腹も立った。

何年か前、まだ子供たちがみんな家にいたころだと思う。
買い物をしているときに頭の中で考えていた晩御飯のメニューが、少々さみしそうだったので、
出来合いの唐揚げを「一人2個くらいあればいいや」と思って買い足したことがあった。
それを食べたとき全然おいしくなかったので、
「これ、おいしくないね?」と声に出した。
「うん。お母さんの唐揚げの方がおいしい」と子供。
すると、夫が言う。「お母さんの唐揚げはおいしいよ」
夫はそういうことをあまり口にする人ではないので、
「へー。そんなこと思ってたんだ」と思った。

息子たちが出ていってしまってから、確実に料理をする気力が減っていった。
トンカツも唐揚げもあまり作らなくなった。
家に残っている娘も「今日ご飯いらないー!!」という日が多くなった。
そんな日の我が家の食卓は、まるで老人食だ。
夫と2人のときは、わざわざ買い物に行くこともないやと思う。
別に夫をないがしろにしているわけではなくて、
私も夫も、食べる量が減ってしまったから、適当にちゃちゃっと作って済ませてしまう。
ちょっとさみしいかな?と思って一品増やすと後悔したりする。

ヨーコちゃんからの手紙

2015-12-10 16:29:17 | IGUちゃんとのこと
20周年の同期会が終わってしばらくしたら、ヨーコちゃんから手紙がきた。

IGUちゃんから聞いた話など教えてくれた。
今、名古屋に隣接する市に親と一緒に住んでいるということ。
まだ結婚していないということ。
私がIGUちゃんのことを「今も好きだ」と言ったのを聞いて羨ましいと思ったということ。
そして、IGUちゃんの携帯番号が書いてあった。
「電話してごらん」って。

全部フェイントだと思った。
絶対来るはずがないと思っていたのに、同期会に来たこと。
こんなに近くに住んでいたということ。
そして、まだ独身だということ。

ずいぶん迷ったけれど、しばらくしてから電話してみた。
不動産屋さんだと言っていたので、休みだと思われる水曜日のお昼ごろ。
懐かしいIGUちゃんの声に、どうしても「みなみです」って名乗れなくて。
あんなに電話し合っていた私の声覚えててくれるんじゃないかと思って、
「わたし」
「以前親しくしていただいていたんですが…」
いたずら電話だと思われても仕方がない。
「失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「本当にわからんの!?」
「あー。わかったわかった!」

しばらくしょーもないこと話した後、電池切れだと思うけど、電話は突然切れた。
あちらからかけ直してはくれなかった。

その後、一度年賀状を出して、
哀しいときに、2回ほどSMSを送ってみたけれど、
それらに返事はなかった。

そして、5年後の同期会をさぼった後だったか、
たまたまヨーコちゃんがIGUちゃんの消息を知っている人に会う機会があったからだったか、
ヨーコちゃんはまた手紙をくれた。
「IGUちゃん、結婚して子供も産まれたんだって」
なんだか、そのとき、少しほっとしたような気がする。


卒業20周年

2015-12-10 16:28:35 | IGUちゃんとのこと
わりとどこの高校でもやってるみたいなんだけど、
うちの高校も卒業から20年たつと、お正月に学年全体で大同窓会が行われる。
うちの学年はそれ以来5年ごとに開催している。
幹事様、毎回毎回ありがとうございます。
今度のお正月は35周年。
だから、これは今から15年前のお話。

同期会の連絡がくる。「出席」の返事を出す。
ネット上で、メンバーの出欠状況がアップされる。
びっくりである。IGUちゃんの名前の横に○がついている。
IGUちゃんは絶対に名古屋近郊には住んでいないと思っていた。
多分、実家ももう名古屋にはないと思っていたし、
その状況でわざわざ名古屋で同窓会に出るような人ではないと思っていた。
でも、IGUちゃんに会える、そう思うと怖かったけれど、嬉しかった。
楽しみにしていた。
そして同期会に出かけた。

同期会に行って驚いたのは、
私は高校時代は友達がたくさんいたと思っていた。
特に女の子は少なかったので、ほとんどみんな知っているような気がしていたのだけれど、
なんと知らない人が多かったことか!
特に、この時は溜まり場で仲良くしていたメンバーがほとんど不参加だった。
何でも、最初に流れた情報と日程が違っていたということで、
みんな、最初に流れた情報の日を空けて、この日に予定を入れてしまっていたらしい。

会場内を一人で歩いていたときに、IGUちゃんとすれ違った。
向こうも一人だった。
「元気ー?」
「うん。仕事変わったの?」
「え?何で知ってる?」
「なんか○○屋さんには見えないから」
「そっかー。今は不動産屋さんだ」と言って笑った。
そ・れ・だ・け。

その日の私はものすごくIGUちゃんのことが好きだった。
IGUちゃんと話したかった。声をかけてもらいたかった。
でも、自分からお話に行く勇気はなかった。
仲良しのMちゃんも、次から次へと懐かしい友人たちと話し込んでいる。
(何と言っても彼女は人気者だからね!)
私は一人ふさぎ込んでいた。ものすごく顔が熱かった。

周りでは、当時つき合ってたカップルさんが、懐かしそうに話し込んでいたり、
片想いしていた相手とお話ししている人がいたり、
そんな人たちを羨ましそうに眺めていた。
私は、IGUちゃんとのことを過去にできていないから、そんな風にできないと思った。
(ちなみに、ケハミくんはこのときは不参加だった。海外にいたらしい)

部屋の向こうの方で、高2のときに一緒にIGUちゃんと仲良くしていたヨーコちゃんが、
ずっとIGUちゃんと話し込んでいるのが見えた。
呼んでほしいと思ったけど、自分からはそこに入って行けなかった。
その後ヨーコちゃんが来て、「IGUちゃんとお話しておいで」って言ってくれたけど、
「恥ずかしくて行けない」って答えた。
ヨーコちゃんはもう一度IGUちゃんのところへ行って、戻ってきた。
「僕も恥ずかしいだって!」
ヨーコちゃんに言った。「今も好きだから」

別部屋で行われた2次会も終わり、それぞれ親しい人同士で3次会に分かれていく。
私は、IGUちゃんが会場のホテルを出て行くのを、何も言えずに見送っていた。

Mちゃんもヨーコちゃんも3次会には出られないと言って帰り、
私は、いつもならお正月は山奥の夫の実家にこもっているところを一人家に残っていたので、
もったいなくてまだ帰る気にもなれない。
なんとか友達を見つけてついて行くが、そのメンバーは、よく知らない子も大勢いて、
なかなかその場になじめなかった。

私はこの日が辛すぎて、この5年後の同期会には出られなかった。