おかあさん

2015-12-11 11:59:41 | 生い立ち・家族
夫の実家に行く。
すごい田舎なのだけれど、実に人の出入りが多い。
近所の人は、家の前を通ると声をかけたり、寄って行ったりしてくれる。
親戚もよく集まって、実に仲が良い。

私の実家でも、特に祖父母がいたころは、盆暮れには親戚の人が来ていた。
でも、彼らはあくまでもお客様で、夫の実家でのように仲が良いとは感じていなかった。
特に母は、妙に小姑根性の発達したところがあって、
兄嫁さんたちが、ああしたこうしたと、祖父母や実の姉である伯母たちによくこぼしていた。
(子供だった私たちに聞こえるところで)
母のそういうところが、私も姉もあまり好きでなかった。

私は従姉妹たちとも特に親しくしていなかった。
小さいころはそれなりに会えば遊んだりしたが、ある程度の年齢からはほとんど知らない人だった。
よく「いとこと遊びに行く」とか「相談にのってもらった」とかいう話を聞くが、
私には別世界の話だった。
でも、まあ、最近では、親世代がだんだん弱ってきて、一人二人とこの世を去るようになり、
従姉妹たちと顔を合わせる機会が増えてきた。
そうしたら、不思議なことに、まるで旧友に会ったかのように自然にお話とかできることが、
ちょっと驚きで、嬉しいことだったりする。

そんなこんなで、私は夫の実家の人間関係が珍しくもあり、楽しかった。

夫の実家にいるときに、夫が少々具合いが悪いときがあった。
別に大したことではなかったのだけれど、
義母は、「大丈夫かな?」みたいなことを私に言う。
そのときに、「ああ、お母さんて、こういうものなんだ」と思った。

一頃、私は頭痛持ちで、それも自分の実家でも、夫の実家でも、行くと必ず頭が痛くなった。
夫の実家に行ったときだけなら実に体裁が悪いが、自分の実家でも必ずそうなのだから仕方ない。
そんなとき、義母は夫に言ったそうだ。
「みなみさん、あんなにいつも頭が痛いなんて、脳腫瘍とか深刻な病気なんじゃない?
 一度ちゃんと調べてもらったら?」
それを聞いた私は嬉しかった。心配してもらえた。
それ以来、義母は私の中で「母よりもお母さんみたいな人」になった。

だから、私は一時期夫のことが大嫌いだったときがあったのだが、
そのときには、「離婚するなら、義母を見送ってから」と思ったし。
義母に会うと、「あなたの息子をこんなに嫌ってごめんなさい」と心の中で謝っていた。
(笑い話だよね?)

「母よりもお母さんみたいな人」と言ったけれど、
実母の場合は、多分、母親よりも父親の役割の方が大きかったんだと思う。
だから私は、結婚してやっと父親と母親の両方を手に入れることができたのかもしれない。


食生活

2015-12-11 11:21:06 | 生い立ち・家族
実家でどんな暮らしをしていたのか、よく覚えていない。

母は一体どんな食事を用意していてくれたのか?
よくうどん屋さんとか、ラーメン屋さんとかに連れて行ってもらったのは覚えている。
でも、当然毎日外食だったわけではない。
スーパーに買い物に行って、屋上の今でいうフードコートのようなところで、
ソフトクリームなど食べて、私は多分1日1回だけゲームをさせてもらった。
その時、母はどんな食料品を買っていたのだろう?

覚えているのは、母は味御飯が好きでよく作っていたことと、
私が風邪をひいた幼いときに、茶わん蒸しを作ってくれたのだけれど、
私は口がまずくて食べれなくて、治ってから、
「この前食べれなかったから、茶わん蒸し作って」とおねだりしても作ってもらえなかったこと。
それと、幼かったころ、母はカレーライスが嫌いだったのだけれど、
「子供はカレーライスが好きだ」という認識があったのか、
自分の食べないカレーを、時々作ってくれていたということ。

大学生のとき、学校の近くのマンションに住んでいたちばこちゃん(今は千葉に住んでいるちばこちゃん)の家によく泊まりに行った。
ちばこちゃんは、入学したころはずんぶん遠方から通っていたのだが、
お母さまが亡くなり、お父様の職場も名古屋だったので、妹さんと3人で名古屋に引っ越してきていた。
余談だが、ちばこちゃんは、お忙しいお父様に代わり家探しもしたし、
3歳下の高校生の妹さんの保護者懇談にも行くというスーバー女子大生だった。
当然、家事もこなし、家計のきりもりもしていた。
私が泊まりに行くと、いろいろな家庭料理を食べせてくれた。
トンカツを家で作れるということを、私はこのとき初めて知った。
(ああ、そう言えば、中学のとき一度だけ友達の家にお泊りしたことがあって、
 そのときに、お母さまがグラタンを作ってくださったのに感動したこともあったな)
「私、おでんにキャベツ入れるんだけどさー、変かなあ?」
そう聞かれても、家で「おでん」など食べたことのない私には判断材料がない。
(多分、はんぺんを煮たものくらいは食べていただろうとは思うけど)

そんな私が結婚して、どう料理を覚えていったのか。
最初に作ったのは野菜炒めだった。
仕事から帰って、大急ぎで作ったのだけれど、
友達に「野菜炒めって、冷蔵庫の中を片付けたいときに、余り物で作るものでしょ?」
と言われたのを覚えている。

飲食店でバイト経験のあった夫が、よく私の料理に手を加えてくれた。
私より夫の方が絶対に料理がうまいと思っていた。
でも、今はたまに夫がご飯を作ってくれると、「うーん…」と思ってしまう。
面倒でも自分で作った方がいいやと思う。(ごめんなさい!!)

こっちでできた友達と一緒に買い物に行って、彼女が「鶏のもも肉」をかごに入れたとき、
「それで何作るの?」と聞いてしまったこともあった。
夫の実家で、義母が作るのを見て「唐揚げ」を覚えた。

一度実家に帰ったときに、私がビーフシチューを作ったことがあった。
実家にいたころには絶対に食べたことのないメニューだったので、私はちょっと得意気だったと思う。
母は、そのシチューをご飯にかけて食べ出した。
若かった私は、その様子にがっかりもしたし、腹も立った。

何年か前、まだ子供たちがみんな家にいたころだと思う。
買い物をしているときに頭の中で考えていた晩御飯のメニューが、少々さみしそうだったので、
出来合いの唐揚げを「一人2個くらいあればいいや」と思って買い足したことがあった。
それを食べたとき全然おいしくなかったので、
「これ、おいしくないね?」と声に出した。
「うん。お母さんの唐揚げの方がおいしい」と子供。
すると、夫が言う。「お母さんの唐揚げはおいしいよ」
夫はそういうことをあまり口にする人ではないので、
「へー。そんなこと思ってたんだ」と思った。

息子たちが出ていってしまってから、確実に料理をする気力が減っていった。
トンカツも唐揚げもあまり作らなくなった。
家に残っている娘も「今日ご飯いらないー!!」という日が多くなった。
そんな日の我が家の食卓は、まるで老人食だ。
夫と2人のときは、わざわざ買い物に行くこともないやと思う。
別に夫をないがしろにしているわけではなくて、
私も夫も、食べる量が減ってしまったから、適当にちゃちゃっと作って済ませてしまう。
ちょっとさみしいかな?と思って一品増やすと後悔したりする。