必然

2015-12-16 17:13:32 | IGUちゃんとのこと
魂は、この世に産まれてくる前に人生の筋書きを書いてくるという。
出逢う人、巡り合う出来事、すべて産まれる前から決まっているのだという。

それを知ったときに、
「私とIGUちゃんが出逢ったのは、何かの間違いだったのじゃないかしらん?」
と思ってしまった。
あんなに求めたのに、どうしてもうまくいかなかったのは、
「間違い」だったから、どうあがいても同じ道の上を歩くことがないようにと、
修正が働いたのじゃないかというように感じたのである。

でも、すぐに思い直した。
あれが「間違い」だったなら、私はこんなにIGUちゃんから影響を受けたはずがないのだと。

私は、知らず知らずのうちに、考え方の傾向とか、IGUちゃんの真似をして生きてきたような気がする。

学生時代、占い好きの友達が、IGUちゃんの性格診断みたいなのをしてくれたことがある。
「命令や指示を嫌うが、反発するわけではなく、はいはいと頷きながら、自分の思い通りにする」
一緒にいたともだちは、「これ、怖いねー!?」って言ったけど、
私は「当たってる」と思った。
そして、今はまるで私のことみたい!と思う。

最後に大阪で会ったとき、IGUちゃんは言った。
「がんばってるころの自分を知っている人間にはそばにいてほしくない」
私も、「IGUちゃんを好きだった自分を知っている人とは結婚したくない」と思った。

中島みゆきさんを教えてくれたのもIGUちゃんだった。
「中島みゆき知ってる?俺、何枚もレコード買って聴いてる」
そのときの私は、みゆきさんと言えば、「わかれうた」しか知らなかったのだが、
みゆきさんのファンだった友達のところに行って、
「みゆきさんのレコード買おうと思うんだけど、お薦めは何ー?」と聞いてそのレコードを買い、
その後、また別のみゆきさんファンの友達からそれまでに出ていたアルバムを全部借りて録音して聴いていた。
そして今に至るまで、私はどれだけみゆきさんに支えられ、助けられてきたか…。

越智啓子さんの講演会に、えりかさんを誘って行った帰り道、
「私は私が大好き!」と言いながら、自分のことを抱きしめるというワークがあったのだが、
えりかさんは、どうしてもそれができなかったと言う。
私は驚いてしまったのだが、えりかさんは、同じような人間の私も、自分のことは嫌いだと思っていたようである。
「私は…、私は、自分のことはそんなに嫌いじゃない」と答える。
それが、私とえりかさんとの分岐点だったかもしれないけど。
後から思った。
私の中には、大好きなIGUちゃんに似たところがたくさんある。
そんな自分を嫌いになれるわけないじゃないか!?って。
だから、私がACにならなかったのも、IGUちゃんのおかげかもしれない。

私がIGUちゃんと出逢うことは、産まれる前から決まっていた。
そして多分、最後まで一緒に歩けないことも、産まれる前から決まっていた。
だから、最初にふとIGUちゃんの顔が目に留まってしまったのは、
前世からのメッセージ、あるいは未来の記憶?
私とIGUちゃんは、前世でどんな道を歩いていたのだろう?

アダルトチルドレン

2015-12-16 16:17:31 | 霊性
えりかさんは、自分のことを「アダルトチルドレン(AC)」だと言う。
アダルトチルドレンなんて、言葉しか知らなかった私は、
えりかさんのことを理解したいがために、ACのことを調べた。

なるほどと思った。
私がこんな性格なのは、親から愛されたという実感が薄いせいなのかと思った。
前にも言ったが、私は決して母から愛されていなかったとは思っていない。
ただ、私が愛してほしいやり方では愛してもらえなかったと思っていた。
そんな私の思いが、私の性格に影響しているのかと思ったのが素直な感想である。

例えば、自分に自信が持てない。自己主張ができない。対人関係が苦手。
無気力。他人は自分と違うと思う。他人から言われたことが気になってクヨクヨする。…等々。
いつもそうだというわけではないけれど、思い当たるふしがある。
少なくとも、ACの傾向はあるんだろうなと思った。

夫の言動に腹を立てる。
ものすごく腹が立って哀しいのだけれど、
「私にそれを責める資格があるだろうか?私はあれもこれも人並みにできないのに」
と思ってしまって、文句も言えなかった。
一人でこそこそ泣いていた。
だから、夫婦喧嘩はほとんどなかった。

夫を見ていて、なんだか堂々と生きているなあと感じることがある。
それは、あのお義母さんに育てられたからなんだろうなと納得。

いろいろな過程があってからだと思うけれど、結局、私はACではないと確信した。
それは、世の中に完璧な親などいないと思えば、
私程度のAC傾向のある人なんていくらでもいると思えたから。
そして、自分の生き辛さを、親のせいにしたくはないと思えたから。

確かに、幼いころに虐待を受けたりして、深刻なACの症状のある人は、大勢みえると思う。
他人から見て、そこまで深刻だとは思えなくても、
自分のことをACだという人は、本当に苦しんでいる。
本当に苦しんでいるということは事実だと思う。

だけど、不思議なのだけれど、
ACに限らず、うつ病など、「誰がかかってもおかしくない」ということを言うけれど、
なんだか、私は絶対に「かからない」と思ってしまったのである。
確かにヤバかったんだ。一歩とは言わないまでも、かなり近くまで行っていたと思うのだけれど。
世の中には、同じ状況にあったとしても、
そういう病気に、かかる人と、絶対にかからない人がいる、と思ってしまった。
強いとか弱いとか、そういうことじゃなくて、
どちらかと言えば、運がいいとか悪いとか、そっちに近い気がする。