夢と現実

2015-12-10 16:00:08 | 霊性
(「夢と現実」って、確か『バクマン。』のタイトルにあったような…?)

2日続けてMくんの夢を見た。(これはもう相当重症だな…)
初日の夢の中のMくんは、途中から性格が豹変して、顔まで変わっちゃって、
それはもう、いやな男だったんだけど、
私は驚きながらも、Mくんには逆らえなくて…っていう感じ。
これも警告かなあ?と思った。
そして昨夜の夢の中のMくんは、妙にリアルで…、表情まではっきりしてて…、
なんか、夢と妄想と現実との区別がつかなくなってしまいそうな、そんな気がした。

最近の私の思考回路は、「壊れかけ」とまでは言わないまでも、少々「接触不良」状態のようで、
たまに妄想と現実の境界線がぼやけてしまうように感じるときがある。
二つのことを同時に考えられないというか、こっちのことに気を遣いながら現実の言動ができないことがあったり。
パニクってるわけでもないのに、自分が何を言ったのか、相手が何を言ってくれたのか、
全く覚えていないことがあったりする。
これはもう病気だね!やっぱり。それともただの老化?

「考え過ぎ」は良くないとか、「思考より直観を大切にする」とか、
そんなことを思って、あまり物を考えない習慣がついていたこのごろなので、
その影響がこんな風に出てしまったのかしら?

「夢と妄想と現実」なんてことを思ってしまったので、前から思っていたことを記事にしてみる。

高齢者の方で、夜あまり眠れないというような方もみえるようだけれど、
だんだん、昼でも常にうつらうつらしているような方がいると思う。
(夜も昼も同じように(?)うつらうつらしてみえるのでしょう)
うちの母も、春ごろにはそんな状態で。
そんな母の様子を見て思った。

こうやってだんだんあの世とこの世を行ったり来たりするようになっていくのかな?
そうして夢の中(あの世)と現実(この世)の境界線がぼけていって、
やがて、自然にあの世の方に溶け込んでいく。
そんな小説を前に読んだなあ。今だからもう一度読まなくては。
と思って読んだのが玄侑さんの『アミターバ(無量光明)』。

私は魂の存在を信じているが、そういうことを信じていない人でも、
人が亡くなる前には、いろいろな現象を感じることが多いと聞く。

母は、入院してまだ意識のあったうちに、窓から飛び降りようとする夢を見たという。
(目覚めたときには、自分がどこにいるのかよくわからなかったらしい)
病院の看板が見えたから、窓から外に出ようとしていたみたいだと。
母の病室の窓から外を見ると、確かに隣の部屋の前あたりに看板がかかっている。
でも、母の寝ているベッドからは見えないはず。
私はすぐに、「幽体離脱かな?」と思った。
でもよく聞くのは、寝ている自分の姿を見下ろすというものだけど、
そういったことは言ってなかったので、違うのかな?と。
夫にそう言うと、「俺もそう思った」と。
夫がそんなことを思ったというのには驚いた。

また、意識を無くしてからは、よく右手を上の方に伸ばしていた。
そんな姿を見て、姉が言った。
「きっと誰か来てるんだよ」
「え?お姉さんでもそんなこと言うの?」
「だって、そういう話よく聞くんだもん」
「そうだね。迎えに来てくれる人は、たくさんいるよね」

なんだかまとまらなくなってしまって、何が言いたいのかよくわからない文章になってしまったけれど、
ここまでにしておこう。

その後の出来事

2015-12-09 17:21:23 | IGUちゃんとのこと
「それきりIGUちゃんから電話がかかってくることはなかった」
と書いたけれど、
本当は、もう一回IGUちゃんから電話をもらったことがある。

結婚して、最初の子供が産まれた後だった。
「どうして電話番号わかったの?」と聞くと、
まあ予想通りなんだけど、実家に電話して母から聞いたと言う。
(この時、IGUちゃんは私が結婚したことを知っていたのかな?)
全く!娘の元彼に、結婚先の電話番号なんて教えるかね!?
それも、IGUちゃんが結構いわく付きの元彼だってことくらい、
母だって、ある程度はわかってくれていたと思うんだけど…。
でもまあ、私は母のこんなあまり神経使わないところが嫌いではない。
(でも別の場面では、母のこういうあまり神経使わないところが大嫌いだったかもしれない)

高校の部活の顧問だった先生の結婚式で、校歌を歌うことになったんだけど、歌詞わからない?
っていうのが用件だった。
「歌詞なんて、卒業アルバムに載ってないの?」
「載ってない」
「もう、しょうがないねぇ…」
と言って、電話口で校歌を歌いだす。
1番はすらすら出てくる。「1番はわかる」とIGU。
そして2番…。
ん!?んんん…???
なんと!2番3番の歌詞が部分的にしか出てこない!!
あんなに大好きだった高校の校歌なのに!!

結局IGUちゃんの役に立てなかった私だった。
その後で、少し話してたとき、子供が声をあげた。
電話の向こうでIGUちゃんが言う。
「お幸せそうで…」
そこで私は、あの復讐を誓った言葉を思い出す。
”私はIGUちゃんのせいで一生を棒にふったと思わせる!!”
だから言ってみる。
「そんなはずないでしょ?」

そして、IGUちゃんとのその後の出来事といえば、今から15年前の高校の同期会。
このことは長くなるので、また次の記事に書くことにしよう。



すり替え

2015-12-09 13:10:05 | 日記
あれもこれもすり替えかなー?と思う。

Mくんへの私の想いは、絶対に実らせちゃいけないものだし。
それ以前に本人に気づかれてもいけないもの。
だって、こんなおばさんに想われてるなんて知ったら、
絶対「ひく」でしょ?気持ち悪いって思うでしょ?
だから、Mくんへの想いをいろんなものにすり替える。

最初はTくんだった。
Mくんに会うたびに、本当にTくんに似ていると思っていた。
Mくんと30年前のTくんを並べてみることはできないから、本当のところはわからないと言えるけど。

Mくんのことを思うと、自然にTくんのことを思い出す。
そして、私はMくんのことを想っているのか、Tくんのことを想っているのかわからなくなった。
でも、30年もほとんど思い出したこともないTくんのことが、本当に好きなわけがない。
Tくんは、街中で私のことを見ていてくれた。
だから町を歩いていると、どこかでMくんが私のことを見ていて声をかけてくれるんじゃないかと、
そんな妄想に取りつかれる。
でも、そんなことあり得ない。
私とMくんとの接点は、私がMくんに会いに行く「あの場所」にしかないのだから。

無性にTくんに会いたくなった。
Tくんなら、今私が接点を求めたなら、喜んでくれるだろうと思う。
(変な意味じゃなくてね!)
だから、全く可能性のないMくんより、可能性のあるTくんのことを考える。
気楽に冗談を言い合えそうなTくんのことを考える。
でも、実際にMくんに会ったときにはTくんに謝っていた。
「ごめん!!やっぱりあんたじゃなかった」

IGUちゃんのこともそうだ。
私は、確かにここにIGUちゃんとのことを書き綴りたっかった。
でも、そのつもりでもなかったのに、続けてIGUちゃんのことばかり書いてしまったとき、
「ああ、これもすり替えかな?」と思った。
IGUちゃんのことを書いていれば、それなりに過去の懐かしい想いに浸ってしまうこともある。
でも、パソコンから離れてみれば、頭に浮かぶのはMくんのこと。
(不思議とIGUちゃんには、今会いたいとか、連絡取りたいとか、思わないんだよね)

そして、Mくんへの想いをすり替えるために、私は楽しいことを探す。
懐かしい友達に連絡を取ってみたり。
誘い下手な私が、友達を誘ってみたり。
でも、それはいいことだよね?
そのおかげで、友達が増えたり、前より仲良くなれたりする。
これから先の人生まで楽しくなる。
何と言っても、人生楽しく過ごすのが一番!!

昨日も、思いがけずずっと会いたかった懐かしい友達と繋がることができた。
そして、
私は、あと何回Mくんに会えるのだろう?

宝箱

2015-12-09 12:36:00 | 日記
宝箱(秘密箱とも言う)を開けた。
ずいぶん昔に、私が実家で人に見られたくなかったものを封印しておいた箱である。
厳重に封印された箱を開けてみると、中でもいくつかに分けて袋に入れたり、
小さな箱に入れたりしたものが、それぞれ厳重に封印されていた。

入っていたのは、日記がメインだけれど。
私は学生時代、2回雑誌に載ったことがある。
一つは、『テニスマガジン』(そんな名前だったと思うけど)さんのテニスサークルの紹介記事。
何ページかにわたって、みんなと一緒に写った写真とか、先輩のインタビュー記事とかあったと思う。
もう一つは、友達と神戸に遊びに行ったとき、
カメラを持ったお兄さんに写真を撮らせてと言われ、これこれの雑誌に載るから、って。
「異人館を歩いてた女の子」みたいなコーナーで、ちゃんと名前入りで載せていただいた。
これらの雑誌が部屋に見当たらないので、もしかしたら宝箱に入れたのかな?と思っていたのだが、
入ってなかった。
どうも捨てられたらしい。
まあ、それは仕方ない。実家に置きっぱなしにしていた私が悪い。
家を出た息子が、不用品をどんどんうちに置いていくので、片付かなくて困っているが、
人のことは言えない。

昔書いた日記を読んで、呆れたりびっくりしたり。
前に記事に書いたけれど、2人目の子供が産まれる前に書いた日記を読んだとき、
そのあまりの暗さにびっくりして、こんな暗いものは何度も読めるものじゃないとしまい込んだ。
そのころは、結婚する前よりも暗さは落ち着いていたという認識だったので、
結婚前の日記なんて読んだら、もっとすごいことになるかと思っていたけれど、
全然そんなことなかった。
実にかわいらしい。

確かにね、結婚する前は恋に悩んで、実家が辛くて早く逃げ出したくて、
すごくすごく暗かったんだけどね、
いろいろと楽しいこともたくさんあったなって思ってたんだ。
自由に行きたいとこに行けたからね。
気ままにいろんな人に会えたからね。

中学までの自分が嫌いで、男子から女の子扱いされないような子だったけど、
好きな男の子はいたんだ。
それらのことを、私は「恋に恋していた状態」と思っていたけれど、
確かにそうなんだろうけど、
なんか、すっごいかわいい恋もしてたんだなーって思った。

高校生になって、IGUちゃんの前につき合った人が一人いる。
その人とは、もう本当にベタベタして仲良かったんだけど、
私はもうずっと、そのときのことを「過去の汚点」として見てきた。
ある時から、その人が近くにいるだけでいやでいやで仕方なかった。
だから、その人のことが書いてある時期のページは読まなかった。

そしてIGUちゃんとのこと。
へー、IGUちゃんてこんなこと言ってくれたんだぁって思ったり、
IGUちゃんに会いに行って、こんな風に楽しかったこといっぱいあったんだって思ったり。
私の中で、IGUちゃんは常に冷たい人、みたいに思うところがあったんだけど、
そうだよね。考えてみれば、
そんなにいつもいつも冷たくされてたんだったら、さすがの私もそんなに会いに行ったりしないよね。
最初に大阪へ車で行ったとき(環状線でパニクったとき)は、帰りに2人で名古屋までドライブしたらしい。
IGUちゃんは名古屋から新幹線で大阪へ帰ったという。
いかにもIGUちゃんのやりそうなことなんだけど、
こんな楽しいこと、私覚えてなかったのかー!!ってびっくりした。

やっぱり私の脳も、「楽しかったこと<辛かったこと」になってて、
それで病気になりそうだったのかしら?

宝箱には、もう少し楽しませてもらおうと思っている。




記憶

2015-12-08 12:19:40 | あれこれ
昔、中学生くらいだろうか?
何かの本で読んだのか、誰かから聞いた話だったのか、
「人間の脳は、辛い思い出は忘れて楽しい思い出を記憶するようにできている。
 辛い記憶が多過ぎると生きていけないから」
ということを聞いた。
ああ、そういうもんなんだ。と思っていたけれど。

最近思う。
本当にそうだろうか?

例えば、同じ仕事をしているOさん。
彼女はどうも、得したことはさっさと忘れて、損したことばかり覚えてるような気がする。
このことは、ご本人様にも指摘させていただいた。
だって、損したことをさっさと忘れて、得したことだけ覚えていた方が楽しく生きられると思うから。

別のある友達は、
まるで自分が関わってきた過去の出来事や人々をすべて悪者にして、
自分を守ろうとしているように見える。
彼女に楽しい思い出ってあるのだろうか?

私は…。
前に書いたけれど、あるときふっと、それまでの辛い思いを忘れてしまった。
すごく辛かったということだけ覚えていて、
何が辛かったのか、どんな風に辛かったのか、思い出せなくなっていた。
だから思う。
辛い思い出を忘れることがどんなに倖せなことかと。

そして思った。
最近、うつ病とかの心の病が多いのは、
楽しい思い出より、辛い思い出の方をたくさん覚えている人が増えたからじゃないのだろうか?と。

確かに私も辛かったときは、やばいやばい病気になりそう、と思っていた。
だけど私は、楽しかったこともちゃんと覚えていたつもり。
だから、本当に病気にならずに立ち直ることができたのかなあ?と思う。