母は、倖せだったろうか?
母が最後に入院した時、特に意識を失くしてからは、
常にと言っていいほど、姉か私が病室に付き添っていた。
看護師さんたちは、多分母のことを「いいお嬢さんに恵まれて倖せな人」と思っていたんじゃないかな。
でも、姉も私も、決していい娘ではなかったし。
母は、倖せだったんだろうか?
私が母に付き添っていられたのは、姉のおかげである。
私はなんとなくではあるが、そこまですることはないと思っていたし、
実家からある程度距離のあるところに住んでいるのだから、母の死に目にあえなくても仕方ないと思っていた。
「死に目にあう」ということが、それほど大切なことだとも思っていなかった。
母は、入院する前日までちゃんと起きて自分のことはしていた。
入院して容体はみるみる悪くなったようだ。
3日後には、もう家に帰ることは無理と言われた。
そして1週間たたないうちに、意識を失くした。
母が意識を失くす前、2日続けて姉から電話が入る。
「今日来れる?」
母の容体が悪かったようで、私は、姉は一人で心細いんだろうと思っていた。
でも、そうじゃなくて、姉は私が母の死に目にあえなかったらかわいそうだと思っているのかな?
と思うようになった。
母が意識を失くしてから、姉は片時も母のそばから離れたくないようだった。
2日ほど病室につきっきりでいた後、仕事に行くようになったが、
そんな姉を見ていたら、私は姉が仕事に行っている間、付き添わないではいられない気がした。
母のためと言うより、姉のためだったかもしれない。
私もまだ仕事が残っていたので、ずっとというわけにはいかなかったが、
できる限り、意識のない母の病室に詰めていた。
そんなこんなで、私は母の死に目にもあえた。
母は、倖せだったろうか?
私は、何と言うか、母との親子の縁は薄かったような気がする。
記憶にも無いような幼い頃に、2年ほど離れて暮らしていたのを除けば、
結婚するまでずっと一緒に暮らしていたのだから、縁が薄いはないような気がするのだが、
そう思うのである。
要は会話だな。
でも、会話のない冷めた親子というわけでもなかったはずだ。
自分の気持ちをあまり話さなかったから?
でも、子供って、親に悩みとかそうそう話すものでもないよなあ?
じゃあ、何なんだろうな?
いつか言ったことがある。
「私はお母さんよりちゃんと主婦をやっている」
母は怒った。自分は仕事が大変でそれどころじゃなかったのだと。
母は、本当は家事がしたかったんじゃないかな?
私のように、普通に「奥さん」をしたかったのかもしれないな。
子供の頃、毎月デパートからかな?食器が届いた。
専用の食器棚があって、毎月同じ柄の様々な食器が届く。
お茶碗だったり、ティーカップだったり、茶碗蒸しのだったり…。
母は、そういうのが欲しかったんだな。
定年退職して家にいた頃は、テレビのワイドショーで紹介されるお料理を、
メモを取って作っていた。
料理もしたかったんだろうな。
私が子供の頃には、時々服を作ってくれた。
洋裁学校に行っていたらしい母は、私たちのためにもっとそういうことをしたかったんだろうと思う。
母が最後に入院した時、特に意識を失くしてからは、
常にと言っていいほど、姉か私が病室に付き添っていた。
看護師さんたちは、多分母のことを「いいお嬢さんに恵まれて倖せな人」と思っていたんじゃないかな。
でも、姉も私も、決していい娘ではなかったし。
母は、倖せだったんだろうか?
私が母に付き添っていられたのは、姉のおかげである。
私はなんとなくではあるが、そこまですることはないと思っていたし、
実家からある程度距離のあるところに住んでいるのだから、母の死に目にあえなくても仕方ないと思っていた。
「死に目にあう」ということが、それほど大切なことだとも思っていなかった。
母は、入院する前日までちゃんと起きて自分のことはしていた。
入院して容体はみるみる悪くなったようだ。
3日後には、もう家に帰ることは無理と言われた。
そして1週間たたないうちに、意識を失くした。
母が意識を失くす前、2日続けて姉から電話が入る。
「今日来れる?」
母の容体が悪かったようで、私は、姉は一人で心細いんだろうと思っていた。
でも、そうじゃなくて、姉は私が母の死に目にあえなかったらかわいそうだと思っているのかな?
と思うようになった。
母が意識を失くしてから、姉は片時も母のそばから離れたくないようだった。
2日ほど病室につきっきりでいた後、仕事に行くようになったが、
そんな姉を見ていたら、私は姉が仕事に行っている間、付き添わないではいられない気がした。
母のためと言うより、姉のためだったかもしれない。
私もまだ仕事が残っていたので、ずっとというわけにはいかなかったが、
できる限り、意識のない母の病室に詰めていた。
そんなこんなで、私は母の死に目にもあえた。
母は、倖せだったろうか?
私は、何と言うか、母との親子の縁は薄かったような気がする。
記憶にも無いような幼い頃に、2年ほど離れて暮らしていたのを除けば、
結婚するまでずっと一緒に暮らしていたのだから、縁が薄いはないような気がするのだが、
そう思うのである。
要は会話だな。
でも、会話のない冷めた親子というわけでもなかったはずだ。
自分の気持ちをあまり話さなかったから?
でも、子供って、親に悩みとかそうそう話すものでもないよなあ?
じゃあ、何なんだろうな?
いつか言ったことがある。
「私はお母さんよりちゃんと主婦をやっている」
母は怒った。自分は仕事が大変でそれどころじゃなかったのだと。
母は、本当は家事がしたかったんじゃないかな?
私のように、普通に「奥さん」をしたかったのかもしれないな。
子供の頃、毎月デパートからかな?食器が届いた。
専用の食器棚があって、毎月同じ柄の様々な食器が届く。
お茶碗だったり、ティーカップだったり、茶碗蒸しのだったり…。
母は、そういうのが欲しかったんだな。
定年退職して家にいた頃は、テレビのワイドショーで紹介されるお料理を、
メモを取って作っていた。
料理もしたかったんだろうな。
私が子供の頃には、時々服を作ってくれた。
洋裁学校に行っていたらしい母は、私たちのためにもっとそういうことをしたかったんだろうと思う。