黒澤映画を書くのは苦手なんです、一寸のめり込み過ぎてる所もあるし、
手が付けられない気がして。
「天国と地獄」1963年 出演 三船敏郎、仲代達也、山崎努
エド・マクべインの「87分署」シリーズから「キングの身代金」を原作にし
て舞台をニューヨークから横浜に置き換えた作品、ただ、原作を大きく改
変しています。
黒澤の現代物で超1級のサスペンス映画、1949年に作った刑事物の
原型「野良犬」の発展型。
新人だった山崎努の出世作で三船&仲代の最終作。
丘の上に豪奢な邸宅を構える大手製靴会社の重役・権藤(三船)、その
子供を誘拐して身代金奪取を企てる犯人・竹内(山崎)、しかし誘拐した子
供は権藤の子供ではなく、お抱え運転手の子供だった、それでも権藤に身
代金を要求する犯人、誘拐犯を追う刑事チームのリーダー戸倉警部(仲代)。
前半1時間は殆ど権藤邸の室内が舞台で、緊迫した状況をギリギリまで
高めていきます、そして身代金の受け渡し、当時、日本で最速だった電車
特急「こだま」)を捉えたアングルと轟音で映画は静から動へと一変します、
そして後半は一つ一つ手がかりを摑んで犯人を追い詰めていく刑事達が主
役になります。
この映画を観た人達の多くが疑問を感じるみたいです。
犯人は貧しいインターンで、冬は寒く夏は耐えられない暑さの木造アパー
トの小さな部屋に住んでいる、毎日、毎日、その部屋から眺める丘の上の
豪邸が妬ましくてしょうがない、それが恨みとなり犯罪に走る。
でも、犯人はインターン、今は貧しくても将来は「お医者様、先生」になる
身分じゃないか(当時のインターン制度は、確かに薄給)、そこまで妬むの
はオカシイんじゃないかって。
以下、誰かが昔、雑誌に書いてた事の受け売りなんですが(これ、探し捲
ったんですが、何処に載ってた記事か今では不明)、それが解答だと思うの
で書いてみます。
黒澤映画の作り方の多くは、困難を乗り越え人間としてマトモな道を進ん
だ人間と困難に負けて道を誤った人間が出会い対立する、この二人は昔、
同じような境遇、立ち位置にいて、分身同士がぶつかり合う、という形式を
とります。
黒澤は言います「人生って、どこかに危険な別れ道があるんだよね、そ
こで、どちらに進むかでその人の価値が決まると思うんだよ」
デビュー作の姿三四郎と桧垣源之助、「野良犬」の新米刑事と犯人・遊佐、
七人の侍と野武士、「椿三十朗」の三十朗と室戸半兵衛、或いは直接対決
しないけど対比して描かれる「酔いどれ天使」のヤクザ松永と女子高生、
「赤ひげ」の医学生二人等々。
具体的に言えば「野良犬」の新米刑事・村上(三船)と犯人・遊佐は、どち
らも復員直後に全財産を盗まれます、村上は、どうにもならないドス黒い気
分に包まれますが「ここが、危ない別れ道だ」と刑事の道を選びます、対し
て遊佐は、その気持ちに負けて強盗・殺人犯になってしまいます。
「椿三十朗」では最後に三船が死んでる仲代を見て若侍達に言います、
「こいつは俺とそっくりだ、どちらも鞘に入ってない抜き身だ~」
さて、「天国と地獄」ですが。(笑)
本作では権藤=竹内は明快に解るんですよね、同じ不幸な境遇から這い
上がった人間と挫折し負けた人間、最後に権藤と竹内がガラス越しに対面
するのですが、喋ってる竹内の姿とガラスに映る権藤の姿が映像の中で重
なっていきます。
でも竹内=戸倉でも有るんです。どうも、ここが気付きにくい。
悪を代表してる竹内と善を代表してる戸倉警部も根っこで共通点が有る
んです。
戸倉警部、東大法学部あたりを出て、頭が切れ年上の刑事たちを自在に
使い捲る若い刑事課長、つまり、犯人・竹内と刑事・戸倉はエリートという共
通項で結ばれているんです。
そのエリートが持つ鼻持ちならない独善性に於いて、二人は権藤、竹内と
同じ程、そっくりなんです。
竹内はエリートなのに今の自分の境遇に負け、「金持ちから金を奪って、
何が悪い」とドストエフスキーの「罪と罰」で質屋を殺すラスコリーニコフと同
じ独善に陥る。
一方、戸倉は刑事であるにもかかわらず、犯人が解った後も、「誘拐だけ
じゃ死刑にできん、奴は間接的にせよ二人殺してるんだ」と新たな殺人を起
こすまで犯人を泳がし続ける、そこにあるのは正義に名を借りた恐ろしい
エリートの独善なんです。
権藤=竹内=戸倉≠権藤
この構図でドラマを展開させる為に竹内の職業はプータローではなくイン
ターンである必要があったんです。
と、評論家が昔、書いてました。(自爆)
エリートを犯罪者とした事で本作の竹内は邦画史上、初の本格的知能犯
として記憶されました、電話から響く怜悧で嘲笑うような竹内(山崎努)の声
は逸品です。
※「野良犬」1949年の黒澤作品。
戦後間もない東京を活写した作品としても有名。
日本初の本格的刑事物、現在の刑事ドラマの原点にして傑作に数えられ
る作品。
出番は少ないけど、ピストル密売の手先を演じた千石規子の蓮っ葉ぶり
が秀逸。
その千石をベテラン刑事・佐藤(志村喬)が取り調べるシーンと、その佐
藤が撃たれる前後のシーンが大好き。
H.22.10.28
手が付けられない気がして。
「天国と地獄」1963年 出演 三船敏郎、仲代達也、山崎努
エド・マクべインの「87分署」シリーズから「キングの身代金」を原作にし
て舞台をニューヨークから横浜に置き換えた作品、ただ、原作を大きく改
変しています。
黒澤の現代物で超1級のサスペンス映画、1949年に作った刑事物の
原型「野良犬」の発展型。
新人だった山崎努の出世作で三船&仲代の最終作。
丘の上に豪奢な邸宅を構える大手製靴会社の重役・権藤(三船)、その
子供を誘拐して身代金奪取を企てる犯人・竹内(山崎)、しかし誘拐した子
供は権藤の子供ではなく、お抱え運転手の子供だった、それでも権藤に身
代金を要求する犯人、誘拐犯を追う刑事チームのリーダー戸倉警部(仲代)。
前半1時間は殆ど権藤邸の室内が舞台で、緊迫した状況をギリギリまで
高めていきます、そして身代金の受け渡し、当時、日本で最速だった電車
特急「こだま」)を捉えたアングルと轟音で映画は静から動へと一変します、
そして後半は一つ一つ手がかりを摑んで犯人を追い詰めていく刑事達が主
役になります。
この映画を観た人達の多くが疑問を感じるみたいです。
犯人は貧しいインターンで、冬は寒く夏は耐えられない暑さの木造アパー
トの小さな部屋に住んでいる、毎日、毎日、その部屋から眺める丘の上の
豪邸が妬ましくてしょうがない、それが恨みとなり犯罪に走る。
でも、犯人はインターン、今は貧しくても将来は「お医者様、先生」になる
身分じゃないか(当時のインターン制度は、確かに薄給)、そこまで妬むの
はオカシイんじゃないかって。
以下、誰かが昔、雑誌に書いてた事の受け売りなんですが(これ、探し捲
ったんですが、何処に載ってた記事か今では不明)、それが解答だと思うの
で書いてみます。
黒澤映画の作り方の多くは、困難を乗り越え人間としてマトモな道を進ん
だ人間と困難に負けて道を誤った人間が出会い対立する、この二人は昔、
同じような境遇、立ち位置にいて、分身同士がぶつかり合う、という形式を
とります。
黒澤は言います「人生って、どこかに危険な別れ道があるんだよね、そ
こで、どちらに進むかでその人の価値が決まると思うんだよ」
デビュー作の姿三四郎と桧垣源之助、「野良犬」の新米刑事と犯人・遊佐、
七人の侍と野武士、「椿三十朗」の三十朗と室戸半兵衛、或いは直接対決
しないけど対比して描かれる「酔いどれ天使」のヤクザ松永と女子高生、
「赤ひげ」の医学生二人等々。
具体的に言えば「野良犬」の新米刑事・村上(三船)と犯人・遊佐は、どち
らも復員直後に全財産を盗まれます、村上は、どうにもならないドス黒い気
分に包まれますが「ここが、危ない別れ道だ」と刑事の道を選びます、対し
て遊佐は、その気持ちに負けて強盗・殺人犯になってしまいます。
「椿三十朗」では最後に三船が死んでる仲代を見て若侍達に言います、
「こいつは俺とそっくりだ、どちらも鞘に入ってない抜き身だ~」
さて、「天国と地獄」ですが。(笑)
本作では権藤=竹内は明快に解るんですよね、同じ不幸な境遇から這い
上がった人間と挫折し負けた人間、最後に権藤と竹内がガラス越しに対面
するのですが、喋ってる竹内の姿とガラスに映る権藤の姿が映像の中で重
なっていきます。
でも竹内=戸倉でも有るんです。どうも、ここが気付きにくい。
悪を代表してる竹内と善を代表してる戸倉警部も根っこで共通点が有る
んです。
戸倉警部、東大法学部あたりを出て、頭が切れ年上の刑事たちを自在に
使い捲る若い刑事課長、つまり、犯人・竹内と刑事・戸倉はエリートという共
通項で結ばれているんです。
そのエリートが持つ鼻持ちならない独善性に於いて、二人は権藤、竹内と
同じ程、そっくりなんです。
竹内はエリートなのに今の自分の境遇に負け、「金持ちから金を奪って、
何が悪い」とドストエフスキーの「罪と罰」で質屋を殺すラスコリーニコフと同
じ独善に陥る。
一方、戸倉は刑事であるにもかかわらず、犯人が解った後も、「誘拐だけ
じゃ死刑にできん、奴は間接的にせよ二人殺してるんだ」と新たな殺人を起
こすまで犯人を泳がし続ける、そこにあるのは正義に名を借りた恐ろしい
エリートの独善なんです。
権藤=竹内=戸倉≠権藤
この構図でドラマを展開させる為に竹内の職業はプータローではなくイン
ターンである必要があったんです。
と、評論家が昔、書いてました。(自爆)
エリートを犯罪者とした事で本作の竹内は邦画史上、初の本格的知能犯
として記憶されました、電話から響く怜悧で嘲笑うような竹内(山崎努)の声
は逸品です。
※「野良犬」1949年の黒澤作品。
戦後間もない東京を活写した作品としても有名。
日本初の本格的刑事物、現在の刑事ドラマの原点にして傑作に数えられ
る作品。
出番は少ないけど、ピストル密売の手先を演じた千石規子の蓮っ葉ぶり
が秀逸。
その千石をベテラン刑事・佐藤(志村喬)が取り調べるシーンと、その佐
藤が撃たれる前後のシーンが大好き。
H.22.10.28
しかし、犯人=刑事という風には見てなかったので、新鮮に読ませて頂きました。黒澤作品にはそういうテーマが隠されていたんですね。
>新たな殺人を起こすまで犯人を泳がし続ける
ここはすっかり記憶から抜け落ちていてギョっとしてしまいました。犯人を死刑にするためにそこまでやってたとは…。同属嫌悪?
これも時期がきたら再見したい作品です!
いやぁ、あの、お詫びします。
この記事、DVD持ってない頃に書いたもので、ちょっと事実誤認がありました。
新たな殺人を起こすまで犯人を泳がし続ける
>じゃなくて、泳がしてたら、想定外の殺人が起きてしまった、でした。
ただ、独善で事を進めたのは確かです。
どの雑誌で、評論家の説を読んだのか、思い当たる所や、ウチにある黒澤本全部読み返したのですが(「天国と地獄」の部分だけ)、結局、見つからず、今だにスッキリしません。(笑)
3、4ヶ月前、2度続けて見直したんですが、ラストシーンが強烈でした。
ガラガラガシャーン!から「終」の文字が出るまでのタイミング、もう神業としか思えない。
僕の邦画ラストシーン№1です。
前半は誘拐犯と警察との、攻防。後半は川を挟んだ捜査の進捗状態見えてくる、権藤の屋敷と誘拐犯との、天国と地獄見えてくる、捜査が進むにつれ、権藤の人物と未来が見えてくる。そして最後に権藤と誘拐犯との天国と地獄が見えてくる。
レスが遅くなりすいません
推理ドラマとはまったく違う事が>普通の推理ドラマと違うという事でしょうか。
推理ものとしては「刑事コロンボ」タイプに近いですが、サスペンス性に溢れ、世界を見渡しても屈指の作品と思っています。
仰るように「特急第2こだま」のシーンは特筆モノで初見の時、実際に乗り合わせているような錯覚を覚えた程でした。
後半の地味な捜査会議のシーンも結構好きです、
様々な天国と地獄の対比、興味深く拝見しました。
河を挟み、向こう側を歩く犯人、
彼は、いろいろな意味で既に彼岸の人だったのですね。
コメント、ありがとうございました。