「レディ・マクベス」(「LADY MACBETH」、2016年、英)
監督 ウィリアム・オルドロイド
脚本 アリス・バーチ
原作 ニコライ・レスコフ
撮影 アリ・ウェグナー
音楽 ダン・ジョーンズ
出演 フローレンス・ピュー
コズモ・ジャーヴィス
ナオミ・アッキー
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=J2OkRCvQTFQ
この作品はW・シェイクスピアの「マクベス」ではありません、インスピレーションを得た作品でしょう、途中「眠りを殺した」という有名な台詞をつまみ喰いはしてるけど。
本作はレディ・チャタレイとレディ・マクベスを足したような作品で懐妊(愛人の子だけど〜愛人がマクベスに当たる)の件は黒澤の「蜘蛛巣城」でしょうか。
不可解な所が幾つかあって没入出来ず、ちと醒めた。(笑)
・19世紀のイギリスは「プライドと偏見」を見ても解るとおり妻も子供も女性に相続権はないはず。
・ポリティカル・コレクトネスだろうけど、当時の貴族の奥様付きのメイドが黒人、主人の愛人も黒人系で子供がハーフというのは非常に考えづらい、無理矢理考えると趣味という最悪の連想しかない。
・使用人達の戯れの集団レイプから救ってくれたとは言え、奥様の罪を被って刑場送りを引き受ける義理がメイドにある合理性を感じられなかった(人生に疲れていたとしても)、黒人のメイドと上流階級の奥様とでは証言の重みがまるで違うけど、あの証言を求められた状況は極めて奥様に不利(死亡時間の不自然さ、アザが新しい等)真実を述べれば幾ら田舎でも裁判所で審議されるレベルだったと思う。
ちょっと、着想に溺れて丁寧さを欠いた作品の気がします。
遠からず あと追う我が身 その日まで
眠り殺して 昼も夜もなし
寂庭
R3.5.2
DVD
監督 ウィリアム・オルドロイド
脚本 アリス・バーチ
原作 ニコライ・レスコフ
撮影 アリ・ウェグナー
音楽 ダン・ジョーンズ
出演 フローレンス・ピュー
コズモ・ジャーヴィス
ナオミ・アッキー
予告編 https://www.youtube.com/watch?v=J2OkRCvQTFQ
この作品はW・シェイクスピアの「マクベス」ではありません、インスピレーションを得た作品でしょう、途中「眠りを殺した」という有名な台詞をつまみ喰いはしてるけど。
本作はレディ・チャタレイとレディ・マクベスを足したような作品で懐妊(愛人の子だけど〜愛人がマクベスに当たる)の件は黒澤の「蜘蛛巣城」でしょうか。
不可解な所が幾つかあって没入出来ず、ちと醒めた。(笑)
・19世紀のイギリスは「プライドと偏見」を見ても解るとおり妻も子供も女性に相続権はないはず。
・ポリティカル・コレクトネスだろうけど、当時の貴族の奥様付きのメイドが黒人、主人の愛人も黒人系で子供がハーフというのは非常に考えづらい、無理矢理考えると趣味という最悪の連想しかない。
・使用人達の戯れの集団レイプから救ってくれたとは言え、奥様の罪を被って刑場送りを引き受ける義理がメイドにある合理性を感じられなかった(人生に疲れていたとしても)、黒人のメイドと上流階級の奥様とでは証言の重みがまるで違うけど、あの証言を求められた状況は極めて奥様に不利(死亡時間の不自然さ、アザが新しい等)真実を述べれば幾ら田舎でも裁判所で審議されるレベルだったと思う。
ちょっと、着想に溺れて丁寧さを欠いた作品の気がします。
遠からず あと追う我が身 その日まで
眠り殺して 昼も夜もなし
寂庭
R3.5.2
DVD
以前、鉦鼓亭さんに、私がシアーシャ・ローナンを好きではないと指摘されたことがありましたよね。その時、誤解されてると書いた記憶があるのですが、やはり肌が合わない女優さんかもと認めざるを得ないかも。先日ギャオで”わたしは生きていける”をながら観。主演の女優さんが何となく嫌だなと観てたら、後でシアーシャだと分りました(すぐには気づけない・・・)たぶん、色彩の薄いガラス玉のような緑色の眼に射すくめられてしまうのかもしれませんね。
本作には関係なかったのですが、マクベス絡みでコメントしました。
コメント、ありがとうございます!
思考、行動が読まれました。(笑)
シアーシャ・ローナン〉
以前、「ブルックリン」の評を拝見して、苦手かなと感じたもので(汗)、僕はあれ大評価だったから。
今年、初めに観た「ふたりの女王 メアリーとエリザベス」で初めてイマイチの彼女を見ました、ヘンリー8世の血筋エリザベスより血統が上で、フランス王妃から死別によりスコットランドの女王に戻りイングランド女王と張り合う役なのですが、現代の女性成分が入って「威厳」が無いのですよ軽い、あれでは、只の気の強い女でしかないしマーゴット・ロビー演じるエリザベスの方が余程、女王らしかったですね。
僕の二回目は7月15日の予定です、女房はその少し後で一回目(障害者の同居家族という資格で普通の60代より少しだけ早い)。
「鴨川ホルモー」、今度、観てみます。
>ポリティカル・コレクトネスだろうけど、当時の貴族の奥様付きのメイドが黒人、主人の愛人も黒人系で子供がハーフというのは非常に考えづらい、無理矢理考えると趣味という最悪の連想しかない。
そこは同感します。先日「どん底作家の人生に幸あれ」を観て不可解でした。イギリスの文豪チャールズ・ディケンズの代表作「デイヴィッド・コパフィールド」を映画化してあり、自伝的要素が高い作品らしいのです。「デイヴィッド・コパフィールド」は未読ですが、ディケンズは白人のはずなのに、デヴ・パテルが主演を務めていて、最初につまずいた感は拭えませんでした。勿論、彼の巧さで引っ張ってあり楽しめたのですが・・・。著名な作家なので判る人にはわかるのでしょうけどね。趣味とまではいかないけれど、主義を通されたら、観客に戸惑いを与える危険性があると思いました。
このセリフは気づけませんでした。しかし、彼女に限って眠りを殺される女性ではないでしょうね。何とか言い逃れを企て、たくましく生きていくような気がします。着想に溺れて丁寧さを欠いた作品かな?
依って、
遠からず あと追う我が身 その日まで
眠り殺して 昼も夜もなし
は、彼女には通用しないと考えました。キャサリンは子供の殺人にも手を貸していますからね。
久々に映画評のやりとり、楽しい時間でした。ありがとうございました。
コメントありがとうございます!
ポリティカル・コレクトネス
他人を意図的に侮辱しなければ映画も文学も自由であるべきだと思うし、現在の思想で過去を脚色するのは滑稽でしかない、今の映画界は果たして共産国家の表現規制を笑えるのでしょうか。正義とは始末の悪いものです。
「眠りを殺した」セバスチャンの台詞ですが、そのままは使ってなかったと思います、せいぜい、「眠ろうとしても眠れないんだ」くらいの意訳的使用だったかと。(汗)
たくましく生きていく
僕はどちらかと言うと「天網恢恢疎にして漏らさず」となるんじゃないかと感じました。そもそも愛人が大人しく引き下がるとも思えず、もしかしたら、今度は愛人が正妻の子をという因果応報の泥沼に・・・。
ちょっと生活が不安定になり「映画」を観る気が起きません、夏以降、1本も見てない状態で(汗)、来年1月辺りには低空飛行で安定する予定なのですが、どうなることやら、そうなれば、少し心の余裕も生まれて映画へ意識が向かうのではと自分に期待してる現状です。
こちらこそ、久しぶりに映画の話が出来て嬉しかった、ありがとうございます。
※「ナイブズアウト/名探偵と刃の館」が今年一番楽しかったかな、懐かしいホームズやポアロみたいな雰囲気の作品でした。