laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

そういえば

2012-09-14 | kabuki a Tokio

夜の部の道成寺はこのかたの一周忌(神道だから違うか?)の追善でもあったのね。もう一年、というより、まだ一年、という気がします。それほど喪失感は大きい。

まずは一つ目。

時今桔梗なんちゃら(外題くらい調べろ!)

俗に言う馬盥の場を中心とした、光秀の謀反に至るまでのお話ね。

しかし、秀山さんのレパートリーって、lavieを安眠に誘う演目多いなあw
河内山然り、菊畑然り。そしてコレも。
今回珍しく、ちょっとしか寝なかったので、ほぼ全容が明らかに!、って何度目なんだ自分。

これって、「男妹背山御殿」じゃありません?

ねちねちねちねちいじめられて耐え忍んでる主人公が耐え切れず爆発するまでを、恐らく客は「言葉および力によるいじめ」を楽しみながら眺めてる感じ?
信長、じゃなくて春永とか完全にモラハラ&モラハザのダブルパンチだしさw
インテリアを貶す→モラルを正す→眉間割→馬盥で酒飲ませる→欲しがってた刀を他人にやっちゃう→領地没収・・・まだあったっけか。とにかく、この人謀反を起こして欲しがってんじゃないの?と思っちゃうほどの執拗なイジメっぷりは、妹背山の悪い官女もびっくりのレベルですよね。

で、最後の最後にぶちきれるイジメが、実はあたしには、「そこで切れるの?」って思っちゃったんだが。
無名貧乏の時に髪を切って売っていた女房を バカにされて・・・ってんで切れたんだけど、考えようによっては「それほど尽くしてくれた女房を思えよ」という諭し、とも取れないだろうか?ま、そこに至るまで散々だったから、やっぱこれもイジメか?

ってわけで、もちろん吉右衛門歌六が下手なわけはないんですが、実は数年前に見た松緑と海老蔵のほうが、いじめられるほうの耐えっぷり、きれっぷり。イジメるほうのはまりっぷりは上かもなあ、などと思ってしまったり。若い役者がやると、春永のいじめ、光秀のいじめられ、そこに蘭丸力丸が絡むあたりがちょっとエロも感じられたりして、別の魅力が出て来るんだよなあ・・・

歌六は、悪ぶってるけど、実は情け深く、深いところでは思いやりのある殿様、に見えちゃうんだよなあ。あと、いろんな意味でいろんなものが小さい。
昼の部は汚してくれてありがとう、染五郎、だったのだけれど、ここは、きっと染五郎の我侭春永のほうが面白かったかもな、と思ってしまった。

大詰めにほぼ誰も気づかない形で出てきたご馳走(なのか?)梅玉を春永にして、むしろ昼の部の源蔵を歌六がやったほうが、個人的には合ってるような気がしたんだけどなあ・・・

ちなみに、松緑ヴァージョン、あとの配役、じっとしてる春猿(今回は高麗蔵)しか覚えてなかったので調べてみたw

 武智光秀  松緑
   小田春永  海老蔵
   園生の局  春猿
   安田作兵衛  薪車
   連歌師丈巴  寿猿
   光秀妹桔梗  松也
   四王天但馬守  亀蔵
   光秀妻皐月  芝雀

ふむふむ、本当の花形芝居だったのね。
芝雀さんが皐月だったのか。松也くんが出てたのは、配役表見ても思い出せないw

ついでに同じ月のほかの出し物をみて、海老狐の四の切の義経が段治郎とあるのを見て、ああああああと長嘆息したのは、別のお話。
あのころは、こんな狐で義経やらなきゃならないなんて段ちゃんかわいそう、と思ってたんだわ。なんて贅沢だったのかしら・・・

 

恭賀の小娘道成寺、と変換してしまうのだからしょうがない。夜の部は外題ちゃんと書かないシリーズだわ。


全然小娘道成寺、じゃなくて、堂々たる道成寺でした。

福助が神妙、とかとてもいい、などの評判をあちこちで眼や耳にしていて。

とても楽しみにしていたのだけれど。

いや、良かったのですよ、良いことはとてもね。
ただ・・・うん、まったく個人的な趣味として、ここまで神妙慎重な福ちゃんはちょっとあまり好きじゃないかも、と思ってしまったのも事実。臭みの抜けたブルーチーズというか、苦味のないゴーヤというか。話は逸れますが、最近のゴーヤ、本当に苦味がなくなったよねぇ・・・。

というわけで、感心しながらも物足りない、というのが正直な感想。

個人的に今月の福助が神妙な(あるいは神妙に見える)わけを、特に道成寺に特化して推理してみた。
千代も神妙で(これは本当によかった!)、二つともやはり芝翫のシノブグサってことは大前提としてあるんだろうとは思うのだけれど、それ以外で、ってことね。

1.児太郎の職場見学。

ずーーーーっと後見で児太郎が。
字句どおりの意味で、後ろで見てるw

大事なお仕事は芝喜松さんがやってるわけで、ちょこちょこ小道具渡したり、最後の引き抜きだけやらせてもらったり、以外は何もせずに、ただただ父親の踊りを見てる。
ああ、今月の福助は客に、じゃなくて児太郎に踊りを見せてるのね、と思った次第。
25日真剣勝負の踊りを見せて、なんとかできの悪い息子に芸を伝えなければ!という真剣さ。
これはいい加減にも、崩しても踊れないわな・・・

2.(たぶん)体力の衰え。
前半は本当にきっちりすばらしいお手本どおりの踊りだったのだけれど、後半に、やや足拍子の乱れなど、息切れっぽいところが散見されて。
福助ももう50代半ば。勢いで踊ってると、全曲のエネルギーが持たなくなってきてるのかなあ、と。ちゃんとペース配分考えて踊っているのが、傍目には慎重に見えるのかも。

3.顔
千代の時は、千代だから?かと思ってたんだけど、花子でも明らかに顔(化粧)が変わってた。
具体的に言えば口が小さくなったw
なんであのひん曲がった口を目立たせるでかいラインで紅を引くのかなあとずっと疑問だったんだけど、少なくとも今月に限っては内輪に、実際のラインより小さく口を描いていて、それが結果的にとても美しく、神妙に見せることになってる。偶然じゃなくて、ようやく「下品な口元をカバーする化粧術」を会得してくれたのだとうれしいのだけれど。次回も口元に注目!

もう少し臭いのが好き!なブルーチーズファンには物足りないながら、こくと風味も増していたので、全体的にはとてもよい踊りでした。


ただ、個人的には、もうひとつ違う意味での物足りなさが。

当然とはいえ福助の道成寺は、真女形としての歌右衛門系の花子ちゃんで、真女形でありながら、六代目系列の兼ねる系花子だった芝翫さんの跡継ぎではないんだなあ、福助は。やっぱり歌右衛門方向に行っちゃうのかなあ、とそれもまたさびしかったのですよ。
今六代目風兼ねる系花子というと勘三郎くらいしかいなくなっちゃっていて、やっぱり勘九郎の花子も見たいなあとも思った。そして、菊五郎も一世一代で、もう一度やってくれないかなあ、とも。

所化に次世代ボーイズ勢ぞろいで、この機会に廣太郎廣松の区別をつけられるようになろう!とがんばったのだが、たぶん単体で出てこられると、まだ無理っぽいw
今月、ここだけ出演の松緑の押し戻し、どこといって悪くないのだけれど、全体に迫力に欠けるかなあ。素っ頓狂な明るさはやはり成田屋の押し戻しに勝るものはないのかも。

 


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2 Comments

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Unknown (きょん。)
2012-09-17 12:48:21
「素っ頓狂な明るさ」って褒め言葉ですよね?

お褒めいただきありがとうございます

・・・なんて言っちゃう私は誰?
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Unknown (laviedure)
2012-09-18 09:02:22
もちろん、大絶賛形容ですわよ奥様!
「成田屋」には坊ちゃんも含めたつもりだったので、
ひょっとするとそこはご不満かもしれませんがw
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