laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
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迷惑度、倍増

2012-09-12 | spectacles

実在の人物ではなく、登場人物のことです。文楽昼の部@国立小劇場見てきました。

粂仙人吉野花王

まったく知らない作品だったけど、基本「鳴神」だった、鳴神は義太夫狂言じゃないよなあ、と思っていたら、むしろ文楽が歌舞伎をぱくったパロったパターンらしい。

鳴神上人の位置にいるのが粂仙人。それをかどわかす?のが絶間姫じゃなくて花ますちゃん。
舞台は北山じゃなくて吉野山、「敵」wは天皇じゃなくて聖徳太子。まあいろいろ違ってるんだけど。
物語の進行はほとんど鳴神の通り。ただ、粂仙人は結構あっさり酔っ払ってしまい、しかもあっという間の「破戒」宣言!くくり枕のくだりや、御簾内に二人で入っちゃうくだりはなかった。文楽ってお上品ね。
その分二人の坊さん(白雲黒雲ではなかった。今回筋書買ってないのでわからん)のおちゃらけぶりが可愛くて。
やっぱり人間より人形のほうが可愛いや。
結界破った後の竜神がでかくて、かっこよかった。歌舞伎のはなんであんなにしょぼいんだろうね?
あと、外題どおりの桜の散りっぷりも凄かった。いきなり満開の桜がはげに!こういう豪快さも、人形劇ならでは、だなあ。
まだ夏芝居(桜なのにw)の空気をまとった白い衣装の義太夫さん三味線さん人形遣いさんがさわやかで。残暑でよかったと思いました。これ、20度くらいだったら眼にちょっと寒々しかったかもw

 

夏祭浪花鑑

あたしにとっては、中村屋+串田ヴァージョンがデフォルトになっていて、いわゆる古典スタイルの歌舞伎ですら、吉右衛門で一度見たきりなので、文楽だとどう違ってくるのか、とても楽しみにしていました。

いやあ、びっくりするほど違いがないのね。てか、串田ヴァージョンも物凄く本文に忠実にやってたのね。
大きく違ってたのは長町裏の殺し場の派手さ加減くらいで、あとは、歌舞伎独特のいれごと(お辰の花道の台詞とか)が違ってたけど、これは普通の歌舞伎wでも違ってるもんねぇ。
むしろ、大きくイメージが違ったのは人形の首(かしら)。もちろん団七首なのだけれど、これが(あたしにとっての)デフォであるところの中村屋父子のイメージと大きく違いまして。
ぎょろめのいかついおっさんで、しかも脱ぐと筋肉隆々。かっこいいとかいうより、たくましく荒くれのイメージ。それにすこしもっさい感もあって。
よく考えたら浪花の魚売りで荒くれ男なんだから、こういうほうが現実には近いんだろうなあ、と。
どちらかというと、歌舞伎だったら吉右衛門のほうが、本文の団七には近いんだと思う。、ただ、歌舞伎では、すっきりいなせ(江戸か!)な団七を見慣れちゃってるから、吉右衛門さん、ちょっと違うなあと思っちゃったのも事実。

もうひとつ楽しみだったのが、歌舞伎ではほぼつねにカットされてしまう長町の道具屋の段。
解説のあらすじなどで知ってはいたけれど、実際に芝居としてみせられると、いやまあ磯之丞が、どうしようもなくて、どうしようもなくて・・・

親の勘当受けて、なんとか勘当を解こうと努力している団七たちを尻目に、その間の身の寄せ先としての質屋で、いきなりそこの娘と出来てしまい、あげく、仕事に失敗して、そのトラブルから人殺し。
後始末をまたしても団七や三婦に任せて、娘を連れてとんずら・・・

(その娘は、次の三婦内ではすでに捨てられて親元に返されてるし)。

くずじゃん。

わかってたけど。

大くずじゃん。

 

あちこちですぐ女とできてしまう男だからこそ、三婦内でのお辰が焼き鏝当てる必然性もあったわけね。これ、普通の男だったら、そこまでしなくても三婦さんも信頼してくれたかも、よね。

琴浦を狙ってる大島も切ったわけで、そのあとの親殺しだって、琴浦を守るためだよね?
もう団七の犯罪全部、磯之丞のせい、つーか「ご恩を受けた玉島兵太夫さまのおため」なわけで。お父さんは立派な人だったみたいだけど、こんなどら息子のために他人に迷惑かけて、ほったらかしはいかんぞえ。

歌舞伎だと白塗り二枚目、的に演じられることが多いけれど、ここまでのくずだとわかってしまうと、数年前勘太郎(当時)が演じたときのなんやら怪しげないい加減なエロ兄さん、的役作りが正解だった!という気がしてきた。
勘ちゃん、文楽なんて見ないかと思ってたけど(菊ちゃんは時々劇場で目撃するが、勘ちゃんとの遭遇率高いはずなのに文楽劇場でみたことないもんw)、勉強してるのね。それとも偶然?w

 

 

…ってわけで、歌舞伎と比較してしまうのが歌舞伎ファンのサガなのですが、いろいろ面白かったです。、

演者的には、三婦内で出演予定だった住太夫が病欠で、代役の文字久は、生真面目すぎて面白くなかったし、長町裏の殺し場は、団七の綱さんがもう・・・やめたほうがいいよ・・・というほど声が出てなくて、気力もない感じで・・・。
人形の玉女と勘十郎が物凄い迫力だっただけに、団七を使っていた玉女が可愛そうに感じてしまった。
これってもともと役を割るのが正しい演出なのでしょうか?いっそ英太夫(好きじゃないけど)が一人で演じたほうがずっとよかったんじゃ、というのが本音です。
人形といえば、お辰だけの出番でしたが、やはり蓑助の女形は、何かが違う。出てくるだけですっとして、立ってるだけなのに、微妙に角度が他の女形と違うのよね。あれは天性のものなのだろうか。いつまでも見たいので、ご自愛ください。

実は夜の部も清治目当てで取っていたのだけれど、清治休演ということと、ちょっと野暮用があったのでパスしてしまった。清治の代役、藤蔵、(顔が)好きじゃないのよ。
もうひとつのお目当てだった小住太夫も、うっかりしていて後半の出演で、見られないことがわかったし。

あちこちに欠落ができつつある文楽、なんとかレベルも人気もがんばって維持して欲しいなあ、と。

あたしにとっては歌舞伎の補填的役割が大きくて、それほど思いいれもないエンターテイメントではあるのですが、衰退していくのはさびしいぞ。

なんちゃら維新に負けるな!

 


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