laisser faire,laisser passer

人生は壮大なヒマつぶし。
楽しく気楽につぶして生きてます。

山あり谷ありvol.1昼の部

2012-09-02 | kabuki en dehors de Tokio

松竹座勘九郎襲名興行初日二日目見てきました。
写真は二日目、先斗町総見。
関西はこれがあるから好き!

残暑&雑用でだらだらしていたらあっという間に帰京後4日。
勘ちゃんの芝居以外はなんも覚えちゃいねぇw状態になってしまったのだが。まあ二日分まとめてやっつけておきます。

と思ったら長くなってしまいそうなので、とりあえず昼の部だけ。

昼の部

妹背山御殿

何が強烈って、特に初日の七之助の汗。中村屋三人のなかでは唯一ほとんど汗をかかない体質で、女形向きだなあと思っていたのだけれど、びっくりするほどの滝汗。首周りなどおしろいが剥げ落ちて、白塗りがほとんどなくなっちゃってる。前方席だったせいか、ぼたぼた床に滴り落ちる汗の量。一瞬兄がダイエットして化けてるのかと思っちゃった(嘘)くらい。

お三輪という大役の初日ゆえの緊張感なのか、30を目前にして魔の波野体質が弟にも現れてしまったのか。後者だと、女形にとってはマイナスだよなあ。芝雀さんとか、いい芝居しててもどうしてもぼたぼた汗が気になるもんなあ・・・
二日目はやや汗量が減っていたので、緊張の汗だといいんですが。

というのが最大の感想でしてw

まあいわゆる朝イチの花形芝居だから、気楽に見ればいいんですが、芝居としてはそう気楽に見られる内容でもないんで、そこらへんが難しい。

まず、大汗七之助。がんばってるのは確か。そこここに玉様ご指導の影も感じられて。ただそれがいいかというと、玉三郎と七之助、顔は似てるけど、まったく芸質が違うんだよなあ・・・と改めて確認。
玉三郎のお三輪は、というより玉三郎の芸は誰かに譲ったり教えたりする類の、受け継がれていく芸じゃないと思う。唯一無二、玉三郎だから許される、という感じ。だから七之助が玉三郎に教えを請うのは絶対に違うと思う。
芝翫が死んでしまったのが痛恨の極みだけれど、福助に教わったほうがきっとお三輪もよかったんじゃないのかな。
そこここで見せる愛嬌、いじめられてるときのきょとんとした顔→絶望に変わって、そして花道での豹変。いわゆる擬着の相、ですな。
玉三郎写しで、玉三郎ではない役者がやるとことごとく、「そらぞらしく」「やりすぎに」見えてしまうんだよね。そこに七之助自身の技術の未熟さも加わって、特に花道の場面などは見ていて笑ってしまったほどだった。
あと、これは初日近辺で役が手にはいってないせいだろうけど、初日は髪がうまくザンバラにならなくて、やたらそこばかり気にしていたり、二日目は、御殿で橋之助の出が少し遅かったのを、待ってしまったり、段取りを気にしすぎてるのも目立った。役になりきってたら、御殿なんて、橋之助があせるほどずかずか踏み込むはずだよねぇ、なぜそこで待つ?みたいなw。
七之助お三輪でいちばんよかったのは、ほとんどしどころがなくなった最後の落ち入り。鱶七実は金輪五郎の橋之助に致命傷を与えられ、その理由を聞かされて後、納得して死んでいくお三輪の、愛する人のお役に立ててうれしい、だけどせめて一目会いたい、そしてもう眼が見えぬ・・・となるくだり。若い七之助ならではの哀れさ、可憐さが遺憾なく発揮されていたと思う。

ただそこに至るまでがねぇ・・・

七之助以上の超花形での求女(新悟)、橘姫(壱太郎)コンビ。壱太郎は、世間知らずで一途な姫をよく演じていたと思う。七之助との芸質、ニンを比べると本当は壱太郎がお三輪のほうが合うようにも思うが、まあいずれやるだろうから楽しみにしておく。
問題は新悟。白塗りとはいえ、前髪でもない立役はほぼ初めてじゃなかろうか。女形ではどんどん巧くなってきたなあと思っていたのだが、立役、しかも表裏のある二枚目という難役はさすがに歯が立たなかったようだ。なにより、お三輪と橘姫が死を覚悟して追いかける!という色気がほとんどないのだなあ。そこが説得力持たないとこの芝居全部が成立しないわけで。
座頭格の役を一人占めの感がある橋之助。残念ながらこちらの鱶七も貫禄不足は否めない。
というわけで全体にいくら花形朝イチとはいえちょっと軽すぎでしょ?のなかで、鬼官女軍団、中でも橘太郎が芸達者ぶりで魅力的。今月の鬼官女は怖すぎないところが、好き。ちゃんと女のいびりに見えてる。
あと、豆腐買いの翫雀が作りすぎず、わざとらしすぎない温かい笑いで、場をさらっていた。この芝居でいちばん拍手が大きかったのが豆腐買いじゃなかったかしら?w

あ、もうひとつ感動したのが愛太夫。高音の美声が特徴だと思っていたのが、低音も聞かせるようになって、葵太夫の後継者としての表現力も増してきた。今のところ玉三郎の最大の功績(lavie調べ)は、愛太夫を育てたことだなあ。七之助の表現の未熟さがかなり愛太夫ですくわれていた気がした。


俄獅子/団子売

特に初日、俄獅子の橋之助・扇雀コンビの振りが入ってないのにあきれた。互いの動きを眼で測ってあわせようとして失敗して苦笑い、みたいのには客のこっちが苦笑い。ほかの大きい芝居の稽古が先で、二人きりで踊る軽い幕が後回しになるのはしょうがないといえばしょうがないんだろうが、国宝級のお年寄りならともかく、働き盛りの二人のこういう姿はあまり見たくなかった。二日目は振りがほぼ入っていたのでまあいいか(よくない!)。

団子売は、逆に振りが入りすぎていてw、なんというか新しさがないなあ。
動けて、愛嬌があって、夫婦としての愛情も感じさせて。当代の団子売りでは1.2を争うものだとは思うのだが、なんというかそこを超えた深みがないのよねぇ。まあ深い踊りでもないんだがw
たとえばいつも兄弟の踊りを見るたびに比較してしまう三津五郎勘三郎のコンビと比べると・・・いや、団子売を最後に踊ったのってたぶん10年は前だと思うので、そろそろそれに近づいて欲しいなあと思ってしまうのも過度な要求ではないと思うんだけど。一度、(回復したら)染五郎杵造で見てみたいなあと思ってしまったのも事実。

団子売前に短い口上がつく。兄弟だけの口上で最初は大丈夫なのか?と思ったけれど、二人とも立派な口上ぶりで、ほっと一安心。始まる前はせめて前幕から叔父だけでも付き合ってやれば、と思っていたのだ。ひよこ扱いしてごめん。


瞼の母


これがもう・・・大問題で・・・。

いや、勘ちゃんは大熱演&超かっこいい(個人的には渡世人の新歌舞伎ものはそんなに好きじゃないので満足度はともかくとして)し、亀鶴竹三郎の家族は、序盤の涙をしっかり誘ってくれるし、橘太郎歌女之丞の擬似母たちもすばらしい出来だし、妹役の七之助も可憐で純粋でとてもいいし、芝居としてはかなり初日から出来上がっていて、よかったのですよ。

瞼の母さんがねぇ・・・

なんなんだろう・・・

気が入ってない?勘三郎いないから適当でいいと思ってる?

「命がけで守るといってくれました」と勘九郎が言ってたのは大嘘?

と思ってしまうほど酷いんです。

 

まず、せりふが入ってない。これは百歩譲ってしょうがない。玉三郎といえども国宝のお年頃。台詞の入りが悪くなることもあるだろう。

ただ、その入ってなさが、尋常じゃないというか。

プロンプはついてなかったのかなあ、意地かなあ。

あーうーだらけ、うん。これは我慢する、初日だし。
肝心の出てくる台詞の内容が、芝居の筋すら変えてしまうような、芝居を理解してないんじゃないの?と思われるようなとんでもなのよ。

息子が5歳のときに去り状を出され、息子を置いて家を出る→その後息子は9歳で死んだと聞かされてる、というのがあるべき筋書きなのだけれど。
息子は5歳で死んだ、といったり、息子とは死に別れたといってみたり、どこから出てきたのか7歳のときに・・・と急に言ってみたり。これってなんらかのボケの症状?詐話状態?

そういう類の、「ストーリー自体を理解してない?」と思われる間違いが散見されて。これって80代国宝様たちでも見たことなかったよ。

そのたびに後を引き取って本筋の台詞を繰り返したり、フォローにいそしんでいたのが、忠太郎さんこと勘九郎さん。
勘九郎が逆に身体を張って命がけで芝居が壊れないように、そして国宝玉三郎を守っていた、というのが初日の偽らざる印象でした。

なにやってんだよ国宝おばさんおじさん!(怒!怒!怒!)

二日目は大分ましになってはいたもののまだまだおぼつかない台詞で、いったいこの方はどうしちゃったんでしょうか。
あと、これはたぶんわざとだと思うのだけれど、突き放した物言いがわざとらしくて、とても似合わない。冷たく見せている、のではなく本当に冷たいのでは、と感じちゃうんだよね。これはニンの問題で、この役を玉三郎がやることに無理があったのかも。一座だったら秀太郎がよかったなあ。竹三郎でもいいけど、こちらはちょっと温かくなりすぎちゃうかもしれないね。

まあ玉三郎が瞼の母をやる、ってことで集客できる事情があるっていうのはもちろん承知の上で言っておりますんで。

とりあえず最大の問題であるトンデモ台詞だけは日がたてば改善去れていると思うので、次回の観劇はぜひとも別の、ポジティブな感想を書きたいと思います。

上述したとおり瞼の母役の人「以外」は本当によかったので。

 

 

 

 

 


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