倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

元気で社会参加を

2019-05-16 | 日記

5/15 Wed.

 

この日、政府主催の「未来投資会議(議長・安倍晋三首相)」が行なわれ「高齢者の就業拡大に向けた方針」が示されたことが報じられました。

70歳までの雇用確保のため、企業に対して継続雇用や起業支援などの選択肢を提示。努力義務として実施を求めます。

政府は来年の通常国会に高年齢者雇用安定法の改正案を提出し、成立を目指すとのことです。

 

65歳までの雇用確保に向けては既に、定年の廃止や延長、継続雇用のいずれかを企業に義務付けています。

一方 70歳では、自社による雇用に加え、他社への再就職やフリーランス契約への資金提供など、高齢者の特性や健康状態に応じた選択肢を用意しており、年を重ねても元気で就業できる環境づくりが緒に就いています。

 

会議の議長を務めた安倍首相は「元気で意欲がある高齢者の方々に、経験や知恵を社会で発揮していただく」と強調し、さらに「高齢者を含めた全ての世代の方が能力を生かし、幅広く活躍できる社会をつくることが重要だ」と述べたとのことでした。

 

 

 

わが国の平均年齢が 過去最高を更新、男性は「81・09歳」、女性は「87・26歳」となり、日本人は どんどん長生きの傾向になっています。

今や「65歳以上は高齢者」という厚労省の定義自体 見直すべき時期にきているのではないかと言われるほどで、そんな中、社会の就労システムを改正しようというのも必然の流れでしょう。

私の周辺でも、65歳越えは無論のこと、70歳越え、イヤ80歳を越えてもなお「現役」として社会参加されている方が多くおられ、そんな意欲ある方々に「活躍の場」を提供することは、社会全体の「元気」にもつながると思います。

何より、先輩諸氏の方々には、それまでの人生で培ってこられた「経験値」があります。

「おじいちゃん・おばあちゃんの知恵袋」と言われるように、それぞれの人生行路で身に付いた多様な知識や技術は何にも代え難くあり、どうかお元気のうちに その「無形の財産」を発揚していただき、願わくは 次世代の者立たちに「スキル」を伝授してくだされば、と期待するところです。

 

一方で、高齢者が起因する事故が多発しているのもまた現実です。

「いつまでも現役」が奨励される社会の中で、身体能力の衰えや、認知症などの高齢者特有の疾患による 交通事故などの事案が散見されていることは由々しきことと申せます。

 

 

いずれにしても私たちは、人口動態そのものが大きく変わってきていることを改めて自覚し、その現状に合った社会システムを再構築することを、まさに現実問題として捉え、具体的に取り組むことが求められていることを、やはり自覚すべきです。

 

前述のとおり「65歳は高齢者」などど定義づけていることそのものが、社会の流れに追いついていない、と思うのは 私だけではないハズです。

 

 

 

☆ 川中島の「木曽路」

地区内をご挨拶に伺ううち、町内のあるお宅に、両親の故郷の「風景」があり、感心させられました。

 

 

ご自宅の敷地内、玄関までの導線に「中山道・木曽路」が再現されているのです。

 

伺えば、ご主人は 永年建築関係の仕事に就かれ、その「腕」を活かして余暇のうちに「木曽路」を設(しつら)えたとのことでした

 

屋根が立派にせり出す燈籠は「書状受箱」つまりポストです。

 

 

かなり本格的な造作となっていました。

 

 

私も幼少を過ごした木曽路の風景を、まさか川中島町での目にすることができるとは (@ @)

 

これもまた「経験値」の為せる技、といったところですネ。

 

 

 

 


許されざる発言

2019-05-15 | 日記

5/14 Tue.

 

午後、ネットのニュースで 現職国会議員が、訪問先の現地で信じがたい発言をしたことが報じられ、その内容を耳にした瞬間、怒りとやるせなさで胸が震える思いがしました。

 

 

報道によると、北方四島の「ビザなし交流」の訪問団に参加した日本維新の会の丸山穂高衆議院議員(35才)は、現地で行なわれた交流会の場で、訪問団の団長に対し「戦争で島を取り返すことには賛成ですか?反対ですか?」と詰め寄ったあげく「(島を取り返すには)戦争しないとどうしようもないじゃないですか。」と発言したとのことです。

 

これについて、訪問団に参加していた 歯舞群島志発島出身の男性(84才)は「これまでの返還運動で、一歩でも半歩でも仲よくなってきている状況を一発で壊す発言で本当に腹が立っている。戦争を知らないから簡単に言える発言だ。」と怒りを込めてコメント。

 

丸山氏が所属する「日本威信の会」の松井代表は「国会議員として不適切だ。あの発言は(議員として)一線を越えてしまった。大勢の元島民の方や北方領土の返還に尽力されてきた方々を傷つけ、外交上も大きな問題となった。政治家としてあるまじき行為と発言であり、除名処分とした。私は丸山氏は議員を辞めるべきだと思う」と述べたとのことです。

 

しかし、当の本人は 発言そのものは撤回するとしたものの、議員辞職を否定し、無所属での活動を明言しました。

 

 

 

北方四島の返還については、終戦間際の混乱期に 日・露の主張が食い違ったまま「凍結」してしまった難しい案件であることは誰もが知るところです。

それら難しい状況のうえに立って、戦後70有余年を経た今、いかに平和裏に互いの主張を述べったうえで相互理解を深め、いかに円満に解決してゆくべき案件であるかということも、誰もが承知しているところでしょう。

それを、国民の代表であるハズの国会議員が、それも現地で、それも多くの関係者の前で爆弾発言をしたことは まさに由々しき限り、とても許される行為ではありません。

 

それも、かかる難しい問題、例えて言うなら、皆が薄氷を踏む思いで、慎重に慎重を重ねて 互いに協力し合いながらジグゾーパズルのピースを埋めている中 それに割って入り、できかけていたパズルをかき回しぶち壊すような愚行を行なったことは、国会議員以前、人としても許されることではありません。

 

しかも、しかもです。

前述の終戦末期の混乱期の顛末を経験、戦争により多くの悲しみや苦しみを実際に受けた方々が、その塗炭(とたん)の苦しみを乗り越えて平和解決を模索する中、戦争を全く知らない世代でバッジを付けた輩(やから)が「戦争による解決を」と公然と述べる様(さま)は、全く無責任極まりないことと断ぜざるを得ません。

 

私も、さまざまな場面で 戦争を体験した諸先輩の痛烈な体験談を耳にし、また書籍や映像を通じて戦争の悲惨さを側聞する中「戦争だけは起こしてはならない」と心に刻ませていただいております。

この輩が、どの程度の戦争に関する知識・情報を身にしているかは知る由もありませんが、いずれにしても、北との拉致問題・韓国との竹島問題等に並んで微妙な国際問題に挙げられている北方領土問題の「現場」での「戦争による解決発言」は、まさに「万死に値する」と言っても過言ではありません。

 

 

 

 

最近は、永田町の迷走議員による様々な問題発言が話題になっていますが、今回の愚発言は、常軌を逸しているものの最たるものと強く思ったのは、私だけではないハズです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※みなさまからのご意見等につきましては、フェイスブック[facebook]で受付けております。

 よろしくお願い申し上げます。 

 

 


これは使える

2019-05-14 | 日記

5/13 Mon.

 

庭先の雑草が大きく育ってしまい、草取りに往生してしまいました。

生命力の非常に強い雑草は、いわゆる「草」を刈るだけだと、じきにまた伸びてきてしまいます(その生命力は見習うべきところですが ^^)

やはりここは、ちゃんと抜根(ばっこん)したいところですが、根までもシッカリ まさに根づいているモノを いちいち手で引き抜くのは容易ではありません。

 

こんなとき、何か使える便利グッズはないかなぁ・・・と ホームセンターに足を運んだら、何とまあ、まさにイメージどおりのアイテムがあり、大活躍してくれましたので、この際ゼヒご紹介させていただきます。

 

 

その便利グッズ、その名も「木柄ステンレス テコ付草抜き」と申します。

価格は400円ほどです。

 

 

長さ 約30cmほどのステンレス製で、何というか でっかいフォークといったとこでしょうか。

 

使い方はカンタン、ご覧のとおり 先端の二股部分を草の根に挟み刺して引き抜くのですが、このグッズの真骨頂は、先端部分の下部にあるアーチ状の部分です。

 

 

このアーチが「テコ」の役割を果たしており、これが絶品?の所以(ゆえん)なのでした。

 

 

使用者は、狙い?を定めた雑草の根っこ部分に、先端部を突き刺します。

 

 

雑草の根の奥までグッと突き刺したら、あとはワンアクション。

前掲のテコの部分を地面に押しつけ、そのままテコの原理で 柄をグイッと押し下げます。

すると、アララ、地面にシッカリ張っていた根が いとも簡単に、まさに「根こそぎ」でズボッと抜けてくれたのでした。

 

 

これはちょっとクセになるほどの爽快感?でした。

 

 

 

それまで往生していた草取り(草抜き)作業が、根っこに刺してはグイッ、刺してはグイッと、あまりに簡単に しかも気持ちよく進行してゆきます。

 

最初はイヤイヤ地面に向かっていたものが、なんだかゲーム感覚での作業となり、アッという間に終えるに至りました。人間とはげんきんなものですネ(笑)

 

読者?のみなさんの中で、草取り(草抜き)に往生している方がおられましたら、是非 このグッズをお求めクダサイな

 

病みつきになりますヨ ^^)

 

 


年の功=年の幸

2019-05-13 | 日記

5/12 Sun.

 

多くのみなさんにお支えいただきながら「再生・倉野立人後援会」は 歩みを始めています。

 

私自身は、あれ以来、自分の所作を心から深く反省し、内省を重ねる日々を送っているところですが、そんな私を勇気づけてくれ、(これまでも幾度となく表現していますが)まさに「親身」になってくださっている方々存在は 本当に心強く、読んで字の如くの「有り難く」感じているところです。

 

これからも、様々なお声・・・実際に伺う声、また いわゆる「声なき声」も含めて、全ての「声」を真摯に受け止めつつ、一歩 ゝ 歩を進めてまいりたいと存じております。

 

 

そんな中、後援会の「輪」づくりに向け お願いに歩くうち「オレみたいな年寄りなんか・・・」と固辞される方が間々おられるのですが、私は そんな言葉をいただく都度に、イイ意味で反論させていただいています。

 

 

今回の 弊後援会の再生には「ベテランの存在感」こそが重要だと認識しています。

私はこれまでも、若輩にも関わらず多くのご支援をいただきながら活動を重ねてまいりましたが、ことに今回は、多くのみなさまにご迷惑とご心配をおかけしたうえでの再スタートであり、世間様に改めて認知していただくことは容易ならざることを、私自身 強く認識しています。

 

そんな厳しい状況の中で 何より心強いのが、永年に亘って地域に根ざした「重鎮」の方々から発せられる支援の声です。

私のことを親身に感じてくださる重鎮が、私の「再生」を期して前向きな言動を興[おこ]してしてくださることは、私にとって何よりの励みであり、もとより地域の方にとっても「あの方が応援してくれるんだ。」と認識を新たにしてくれる好材料になってくれるのです。

 

まさに「年の功」が「年の幸」にたとえらブラックれると申せます。

 

今後の成り行きについては、私自身 どういう顛末を辿るかは推量することはできませんが、非常に厳しい状況の中でも応援してくれる方がいる以上は、最後まで頑張ってゆきたいと思いを新たにするところです。

 

 

去る春の日、仲間とみんなで眺めた山々が。

 

 

みんなで力を合わせて、いつかあの山を越えることができれば、それはすなわち「新たな景色を見る」機会になると思うところです。

 

 

 

 

 


シンプルに捉えれば

2019-05-12 | 日記

5/11 Sat.

 

スイス・ジュネーブで開催されている「有害な廃棄物の国際的な移動を規制する「バーゼル条約」の締約国会議」が10日、「汚れたプラスチックゴミを輸出入の規制対象に加える条約改正案」を採択したことが報じられました。

 

現在、世界の海洋には 年間800万トンともいわれるプラスチックゴミが流れ込んでおり、深刻な地球環境汚染問題に陥っています。

 

 

 

一方で、一部の発展途上国は プラゴミの「受け皿」ともなっており、いわば「ゴミビジネス」の価値観の下、リユース・リサイクルの視点の大義から逸脱した実態のまま ゴミが国際間を移動しており、ペットボトルなど、ヒトにとって便利な器材は、その功罪をまき散らしながら 非常に大きな矛盾を抱えつつ地球の上を名実共に「浮遊」していると申せます。

 

 

 

 

今回の条約改正に伴い、汚れたり 他のゴミと混じったりするなどしてリサイクルに適さないプラゴミは「有害廃棄物」に指定され、他国(条約相手国)の同意なしに輸出できなくなるとのことで、締結国は、プラゴミの一層の浄化や自国での適正処理体制の構築が求められるようになるとのことです。

 

 

 

 

ところで、かかる 国際的なゴミ問題、論争の舞台は国際会議場などの「高尚な場」ですが、ヨク考えてみれば、その「国際条例の現場」は、それぞれのゴミ排出者の「足下」にあることに気付かされます。

 

ペットボトルなどのプラゴミは、究極の理想は「排出量の抑制」です。

しかし、ここまで市場を席巻しているペットボトルなどを直ちに全廃することは やや無理のあるハナシなので、せめてもの対策は、役割を終えたペットボトルなどは、むざむざゴミと化するのではなく、キチンとした手順を踏んで、再び何らかの形で再利用できるよう努めるということに尽きるところです。

 

 

最近では 自治体の適正な収集の他、ホームセンターや自治会などでのリサイクル目的の回収活動も盛んに行なわれており、それらを活用することも大切な「リサイクル運動」でしょう。

 

 

 

遠い異国の国際舞台で論じられる「ゴミ論争」は、シンプルに捉えれば、私たちのスグ身近なところで「適正処理」されるべき案件だったのでした。

 

 

 


過ぎたるは・・・

2019-05-11 | 日記

5/10 Fri.

 

ここのところ、身体が重く感じられ 疲れも取れにくい状態になっています。

不定期に夜勤に従事しているための寝不足が主原因とは思いましたが、それでもと調べてみると「身体の酸化」にも原因があるのでは・・・と思わされたところです。

 

身体の酸化は「酸化ストレス」という形で現れ、それはさまざまな不調の要因につながるそうです。

大気中には、約20%の酸素が含まれており、生物はこの酸素を利用し生命活動を維持しています。

その酸素は、主に食品の摂取を通じて体内に取り込まれ、やがて「活性酸素」に変化します。

活性酸素は、身体の形成や維持にに欠かせない胞伝達物質や免疫機能として働く一方で、過剰な摂取や偏った摂取は かえって細胞を傷つけ、ひいては癌(がん)や心血管疾患ならびに生活習慣病など様々な疾患をもたらす要因となるそうです。

それを防ぐために ヒトの身体には、活性酸素の「傷害」から防御するための「抗酸化防御機構」が備わっていますが、いわば悪玉活性酸素の量が抗酸化防御機構を上回ったときに「酸化ストレス」につながるそうなのです。

過剰に蓄積され「酸化ストレス」の要因となった悪玉活性酸素は、前述のとおり 老化・癌・生活習慣病の要因となるところですが、基本的に活性酸素は、体内の免疫機能や感染防御の重要な役割を担っていることから、体調がすぐれないからといって 活性酸素を消去すれば良いという安易な考え方は禁物とのことです。

 

 

 

そんな微妙なバランスを保ちながら体調維持に機能する「抗酸化防御機構」は、活性酸素の産生を抑制したり、生じたダメージの修復・再生を促すコントローラーの役割を担っています。

つまり、活性酸素を適度に維持したうえで良好な体調を保つ(酸化ストレスの予防)には、かかる「抗酸化防御機構」の維持が肝要ということになり、それには、ビタミンC・ビタミンE・カロテノイド・カテキンなどの栄養素の摂取と共に、喫煙や多量の飲酒を控えること、また酸化しやすい食品の摂取を抑制することなどが求められるそうです。

 

したがって、日頃から バランスの取れた食事、適度な運動習慣ならびに十分な睡眠により抗酸化防御機構を良好に保つことが酸化ストレスを防止するためにも重要、とのことです。

 

ごく一般的な結論ですが、やはり そこに行き着くか、といったところですね。

 

 

 

 

 

ヒトが生命を維持するために欠かせない「酸素」が、ときに体調を脅かす要因にもなるというのは、何だか皮肉なハナシとも取れるところですが、何ごとも「過ぎたるは及ばざるが如し」というところでしょうか。

 

 

昨今の疲労感に伴い 改めて知ることになった「酸化ストレス」これから暑くなる時期を控え、自らの体調維持のために見直すべきことの多々あることを再認識させられたところでした。

 

 

読者?のみなさんもそれぞれの身体の「酸化ぐあい」を推し量った上で、どうかご自愛くださいませ。

 

 

 

 


親身

2019-05-10 | 日記

5/9 Thu.

 

以前、保育園に勤務する保育士さんから、仕事への「誇り」と「大変さ」についてお話しを伺ったことがあったのですが、それが即ち、昨今の事案に重なるを実感させられました。

 

くだんの保育士さん曰[いわ]く「そもそも保育所(保育園)は、自ら子育てをしたいのだけれど、働かなければならないなどの やむを得ない事情で保育ができない親御さんに代わって子どもを看[み]る、いわば「親代わり」を為すところなんです。

だから お預かりしている時間は、一人ひとりの園児の「親」になったつもりで、まさに親身になって子どもと向き合っています。

親御さんが この子にかけるであろう愛情を肩代わりし、日常生活の基本的な躾[しつけ]や、集団生活に慣れるための訓練、元気な心身を醸成させるための運動や遊び・学びの場の提供など、日々成長する子どもの「生きる力」を育みながら、本当の親御さんと一緒に 子どもの成長を見守っているのです。」とのことです。

 

さらに「私たちは、親御さんから保育料を頂いて保育をしているのですから、それは強い責任感をもって子供たちと向き合っています。園内の遊びの場では、遊具に支障はないか、子ども同士の衝突などの事故はないか、ハサミなどの慣れない道具でケガなどしないか、また 給食を食べさせるときには、食中毒の予防はもちろんのこと、全員がおいしく必要な栄養を摂取できるよう配慮しています。季節が進んで陽気が良くなると、近所の公園などに「お出かけ保育」に出かけ、野外で伸び伸びと遊ぶ機会も設けており、その際には交通安全には万全を期して行動するようにしています」と話してくださいました。

特に「お出かけ保育」については、途中ルートの踏査を行なったうえで、注意すべきポイントの確認、それに伴う職員の配置などに万全を期しているとのことでした。

 

そのうえで くだんの保育士さんは「それでも、いくら万全を期していても、起こってしまう不慮のこと・想定を超えることがあります。

幸いウチの園では、大事に至ることはないけれど、自分たちが万全を期しているにも関わらず起きてしまう事案については「これ以上、どう対応したらイイのか・・・」との「対応の限界」を実感させられるのも正直なところです。」と吐露してくださいました。

 

 

昨今、発生する自然災害や交通災害などを目にし耳にする度に、かかる保育士さんのお話しが去来します。

 

万全を期しているのに、その努力を度外視して襲ってくる災害や事故がある。

 

「これ以上 どうすればイイの?」保育士さんの悲痛な声が聞こえてくるようです。

 

 

 

そして、それら当事者の方々をリ・カバーするのが、行政(政治)の役割では、と併せて強く再認識するところです。

 

 

 

 


環境美化に向けて

2019-05-09 | 日記

5/8 Wed.

 

コンビニ大手のセブンイレブンを運営する「セブン&アイ」が、グループ全体の環境施策の一環として、レジ袋の削減(全廃)に向け、この4月からセブン―イレブンの一部店舗(横浜市)で、プラ製の袋と紙袋を客に選択してもらう実験を開始していることが報じられました。

紙袋の使い勝手や来店客の意向も考慮して、代替品の検討を進める予定とのことです。

レジ袋削減については、これまでもスーパーなどを中心に 有料化などの取り組みが行なわれているところですが、コンビニエンスストアで実施されるのは「業界初」だそうで、今後の成果に注目が寄せられています。

 

 

ご案内のとおり「レジ袋」は、おそらく近代社会において「便利でやっかいなモノ」の五指に挙げられるでしょう。

化石燃料(ナフサ)を主原料に、なかば無尽蔵に、それもタダで供給され続けてきたレジ袋は、購入した商品を手軽に持ち歩く入れ物として、またお出かけの際の持ち物の物入れとして、さらにはゴミ出し 特に生ゴミを入れるツールとして、万人に重宝されている「究極の便利グッズ」と申せます。

しかし その一方で、レジ袋は、環境悪化の主要因の筆頭にも挙げられているのも事実です。

スーパーやコンビニ等で配布されるレジ袋は、プラスチックごみに占める割合の約15%を占めており、その安易な配布・使用を抑制し、買い物袋の持参を促進することは、ゴミの総量抑制を図る上でも喫緊の課題です。

 

わが国においても、2007年4月に「改正容器包装リサイクル法」が施行されました。

これまで 年間300億枚と言われたレジ袋の総量削減により、容器包の使用合理化や 消費者のレジ袋辞退によるCO2低減効果で、1世帯あたり年間約58kgの二酸化炭素排出量を減らせるとし、それら政策としての取り組みにより、その効果がみられてきたところですが、まだまだ社会におけるレジ袋の「存在感」は大きくあり「全廃」にはほど遠い感があります。

 

 

 

 

そんな中における「コンビニ業界でのレジ袋削減」は画期的と申せます。

これからも、さまざまな業界・さまざまな立場の人たちが、さまざまな視点で「レジ袋削減」に地道に取り組み、それがひいては地球環境全体の環境美化に寄与されることに期待するばかりです。

 

 

 

別の報道では、ヒトが排出したレジ袋が、巡り巡って ウミガメやクジラなどの海洋生物の胃の中に入り込み、彼らの生命を脅かしていることが伝えられ、心を痛めたものです。

ウミガメなどは、浮遊するレジ袋を 餌のクラゲと勘違いして口にしてしまい、消化不良を起こすと伝えられていました。

 

 

人間の都合で生み出したモノが、同じく地球に暮らす生物の生命を脅かしている実態は、一刻も早く解消せねばならないと思うのは、私だけではないでしょう。

 

 

 

 

 


流感

2019-05-08 | 日記

5/7 Tue.

 

この辺りのエリアの、梅の花に端を発した「花の見頃」は、続く3月下旬のアンズ~4月上旬の桜花~4月下旬の桃花を経て、今は市内の多くの幹線道路に植えられている「ハナミズキ」が満開を迎え、ぼちぼち散り案配になっています。

 

 

ハナミズキの白(樹によっては紅)は、何とも儚[はかな]げな印象があり、桜のように注目はされにくいですが、私自身、春を実感できる 好きな季節の樹(花)です。

 

この時季だけ、緑の街路樹が紅白に色づく様子は、長野市の春の風物詩といえるでしょう(電線が非常に邪魔ですが[苦笑])

 

 

ハナミズキの盛りを終えると、次はツツジやサツキが私たちの目を楽しませてくれます。

 

季節は巡り、そして その季節ごとの花々は、一生懸命に花をつけ、生涯?を全うしています。

物言わぬ樹々花々の「アピールタイム」は、これからも美しく続きます。

 

 

 

 

 

ここへきて、食中毒や、それらの要因となるノロウィルスやO-157,さらには「はしか」による感染(集団感染)の報道が続き、やや意外な印象をもつと同時に、みなさんと同様 注意喚起の意を抱くところです。

札幌の野外教育施設で、100人を超える利用者が食中毒の症状を訴えた他、道内の保育所ではノロウィルスの集団感染で50人近くの園児・職員が腹痛などに見舞われたと報じられ、さらに網走のレジャー施設では100人超の方々が「バイキング料理」でノロに罹患したと報じられました。

 

また、京都の保育所では、施設関係者が 腸管出血性大腸菌O-157に感染し、5歳の女児が重篤な症状に陥ったことが報じられています。

 

 

これとは別に「はしか」の流感がそこここで報じられています。

それも、本人に自覚症状がないままに公共交通を利用したり、また空港職員など多くの人々に接する業務の方が罹患したりと、計らずも拡大の要因となっていることは由々しき限りです(はしか は海外で流行しているとの報も)。

 

 

私的には、5月のこの時期の流感は やや意外な感じがするところですが、さまざまな事象に季節感が乏しくなってきた昨今、こんな事案までも春夏秋冬カンケー無くなってきたのかと、半ば呆れながら、それでも実際に罹患者を出してしまった施設の混乱ぶりや後の対応の大変さを思うとき、でき得る限り予防措置をシッカリ行なうことの重要性を再認識させられるところです。

楽しいハズの飲食施設や、安心して過ごすハズの保育所などの公共施設でのひとときが「暗転」につながらぬよう、それぞれの立場で充分に留意することが求められているのは言うまでもありません。

 

「たかが腹痛」や「ちょっとした風邪の症状」が、思わぬ重篤な結果の呼び水になってしまうことを自覚せねば、と思う者のひとりです。

 

 

 

 


光陰矢のごとし

2019-05-07 | 日記

5/6 Mon.

 

過去最大級の大型連休も最終日となりました。

平成を全うされた明仁陛下の生前ご退位に伴う国民の休日の設定により「長期化」された今年のGWは、令和元年のスタートという祝賀ムードも手伝って、大きな経済効果が期待されました。

 

 

連休を控えた頃、関西大学の宮本教授(理論経済学専攻)は、今年のGWの経済効果を2兆1,395億円と予想し「過去のGWと比べても圧倒的に経済効果は大きい」と言わしめたものでした。

 

海外渡航者も2,500万人近くに上り、渡航先も 長期日程になる欧州などが人気だったそうです。

 

国内においても、例えば 令和の「ゆかりの地」となった福岡県太宰府市の坂本天満宮に多くの観光客が訪れるなど「令和効果」のご利益も各所に施されたようです。

 

 

 

 

一方で 宮本教授は、旅行や買い物での好影響は相当大きいとする一方で「世間が浮かれる中、休みで収入が減る非正規雇用の人や、子どもを預ける場所がなく 出かけるに出かけられないといった人もあり、この大型連休が「格差を実感する休み」となってしまうのでは」との懸念も示していました。

 

 

 

長野市内においても、歩行者天国となった中心市街地を多くの観光客が訪れたり、

 

 

善光寺駐車場へ向かう「裏道」の渋滞ぶりや、

 

 

主要幹線に長い車列ができていたのが印象的でした。

 

長野市における経済効果・社会的効果も気になるところです。

 

 

 

 

そんなGWも、それぞれの生活スタイルの中で過ごされたことと思いますが、私がただただ心配するのは、主に児童生徒、ひいては社会人なりたての若者に生じる いわゆる「五月病」です。

学校や職場に長期間「空白」が生じたことにより、週明けからの日常生活にピントが合わなかったり、または今までの生活上のストレスを抱えている人は、再び「現場」に戻らなければならないという負担感が要因となり、心身に「拒否反応」を来[きた]してしまう人も少なからずいることでしょう。

 

過去最大級のGWは、同時に 過去最大級の精神的負担を招く要因になるのかもしれません。

もし周囲にそんな人がいたら、再び「日常」に良好に戻れるよう、どうか温かくお見守りいただきたいと願うところです。

 

 

 

また、前述のように「令和元年」の幕開けとなったGW明けは、何というか「スタートの号砲が鳴った」と感じる方も多いのではないでしょうか。

私もその一人です。 

 

新元号の発布にあやかり、元気にリ・スタートを切ってゆきたいと自らを鼓舞するところです。

 

 

 

 

平成31年が明け、令和にバトンタッチされ、気づいてみれば、暦は はや5月。

 

光陰矢のごとし、ですね。

 

 

 

 

 


花のもつ「力」を

2019-05-06 | 日記

5/5 Sun.

 

4日付けの「長野市民新聞」に、この度 私の後援会長をお引き受けいただいたYさんの活動について記事が載り、敬意をもって一読いたしました。

 

 

 

Yさんが丹精込めて育てた「サクラソウ」が見頃を迎え、近隣の方々の目を楽しませているとの記事でした。

 

 

 

 

私の知るYさんは「他愛」に満ちた方でおられます。

私は、住民自治協議会の環境部会におけるボランティア活動を通じてYさんとお近づきになり、そのときの活動ぶりをYさんにお認めいただき、今回の「出直し」にあたり 後援会長をお引き受けいただきました。

 

現役時代は教職にあったYさんは、当時「養護」といわれた障がい者教育に造詣が深く、さらに退職後は「保護司」を勤められるなど、支援の必要な人々に対し 温かく手を差し伸べてこられました。

おそらく、私に対するお計らいも、そんなYさんの「他愛」の中にあったのでしょう。

 

Yさんは、その「他愛」の精神により 花づくりにも熱心でおられ、住自協の環境部会においても、花によって地域を良くするべく力を注いでおられます。

 

そんなYさん、いつだったか 私にこんな「アドバイス」をくださいました。

「倉野くん、花には 得も知らぬ「力」があるんだよ。物言わぬ花だが、丹精を込めて育ててあげると やがて綺麗な花をつけ、その花は、私たち人間の雑念や荒れた心を浄化して、いろんな意味で「環境美化」に貢献してくれるものなんだ。

そしてこのことは「人」にも通じること。他者に対して真摯に向き合い「愛情」を手向[たむ]けると、その人の幸せにもなるし、自分自身の成長(幸せ)にもつながるんだ。

私は 花に丹精を込める。倉野くんは「人」に丹精を込めてくれよ。」

 

 

今回、Yさんに後援会長をお引き受けいただいたのも、もしかしたら「花」がつないでくれたのかもしれません。

 

他愛に満ちたYさんの薫陶を受けて、私も真摯な心で「人」に向き合ってゆきたいと改めて心にいたしたところです。

 

 

 

 

 

 

 

「花」といえば、今年も中央通りで「善光寺花回廊」が開催されました。

 

 

 

 

長野五輪大会を記念して開催された、チューリップの花びらを地面に敷いて造形を施す「インフィオラータ」を今に繋ぐ花のイベントも18回目を数え、今年も多くの「チーム」が作品を表現したそうです。

 

今回、私は都合で見学に行けなかったのですが、知り合いのチームから 作品の画像を送っていただきました。

 

 

今年のタイトルは「気球に乗りたい♪♪」とのこと。

コントラストも鮮やかに、山並みを眼下に従えながら空に浮く気球が表現されていました。

チームのみんなが協力し合って作成した様子が伝わってくるような楽しい作品でした。

 

 

 

 


言葉ひとつで Ⅱ

2019-05-05 | 日記

5/4 Sat.

 

用事の行き帰りにバスを利用したのですが、その折りに「違い」を実感することに。

 

行きのバスの運転手は、言葉をほとんど発さず 車を運行させます。

おそらく発車時に義務づけられているであろう一言も「・・・ッス。」と非常に聴き取りにくいアナウンスに。

それどころか、停車時に利用者から何らか問い合わせされると「ンなもなぁ知らねえ」と吐き出す始末、これには私だけでなく他の乗客もカオを見合わせていました。

 

 

対して帰りです。

行きの運ちゃんより明らかにベテランの運転手さん「ご乗車ありがとうございます。」と明るくアナウンスされます。

発車の際も「クルマが動きます。ご注意ください。」と言葉を添え、降車時には「ありがとうございました。またご利用ください。」と、爽やかに乗客を送り出してくれていました。

 

 

この違いは何でしょう?って、言うまでもなく「言葉ひとつ」ですよね。

行きの運ちゃんの所作からは、何というか「思いやり」が感じ取られず、運転そのものも荒っぽく感じられるほどの粗暴さが伝わってきて、何だか残念な印象ばかりが付きまといました。

それに比して帰りの便の運転手さんは、接客・運転すべてに「気配り」がにじみ出ており、私も含めた乗客に安心感を与えてくれていました。

 

この両者は、運転手としては確かに義務を履行していました。

しかし、そんな中で生じた「差」は「言葉ひとつ」だったのです。


「言葉ひとつ」は、ときに周囲との関係を、魅力的にし、ときにブチ壊してくれたりもします。

この日の二人の運転手さんは、その象徴的な事例を示してくれました。

 

 

 

業務?は違えど、私としても大いに勉強になったひとときでした。

 

 

 

 


恒久平和を

2019-05-03 | 日記

5/3 Fri.

 

今日は「憲法記念日」です。

日本国憲法が施行された1947年5月3日を記念し、国の発展を願う日であります。

 

折しも「令和」の新時代を迎えたこの頃、英断をもって皇位を禅譲された上皇陛下が誰よりも強く願った「平和社会」その意を受け継いで即位された徳仁天皇陛下も、朝見の儀において「~常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望いたします。」と述べられ、私たち国民と同様に、憲法の堅持を改めて表明されていました。

 

国民主権・基本的人権の保障・平和主義の三原則を掲げて制定された日本国憲法は、世界に冠たる素晴らしい「国の決めごと」として、今後も末永く遵守されることを願うばかりです。

 

 

 

 

 

 

 

ご挨拶回りを重ねる中、来訪先の家人の方から、今年ご逝去された 初代の後援会長のUさんのご薫陶について話しが及ぶことがあり、心に響いたところです。

U 初代後援会長は、誰よりも強いバイタリティーをもって物事に臨まれ、言いようによっては「頑固一徹」なところがある、名実共に「牽引者」であられた方で、その存在感は、未だに共通の思い出として話題に上るところです。

 

Uさんは、私に対しても「いいかクラちゃん、時代は音を立てて変わってゆくけれど、自分の中で「変わらないもの・変えてはいけないもの」は持ち続けなければダメだぞ。」と言葉を継がれ、そのうえで「その「変わっちゃいけないもの」とは「信念」だぞ。」と力強く言い切っておられたのを、昨日のように思い出すところです。

 

折しも、改憲論が盛んになりつつある昨今ですが、論者に対して、日本国憲法の主旨や目的を突き詰めたうえで、政治的思惑は抜きにして、真に国民のためになる条文を信念をもって堅持することを求めるのは、私だけではないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

※みなさまからのご意見等につきましては、フェイスブック[facebook]で受付けております。

 よろしくお願い申し上げます。 

 


振り返れば

2019-05-03 | 日記

5/2 Thu.

 

実家のオフクロと、令和からの時代遡[さかのぼ]りの母子の会話となり、話しはどうしても亡父の介護時代に及びました。

 

「どうしても家がイイ。」と言い通して家での晩年を選んだ親父の介護は、泣き笑いの連続でありました。

そんな中「笑えない笑い話」としてオフクロが、今だからこそと話すのが「親父の鼾[いびき]の間隔」です。

肢体が不自由になって以降の親父は、トイレに行くことも「ひと仕事」となり、とくに深夜の用足しは一大行事?となりました。

そのため親父の横で床[とこ]に就くオフクロは、眠ってはいるものの意識は親父の一挙手一投足にあり、些細な変化を感じ取っては その都度「大丈夫?」と念を押していたものでした。

 

そんなオフクロが、当時心底心配したのが「親父の鼾[いびき]」でした。

眠ると決まってイビキをかいた親父でしたが、晩年は、その「間隔」が極端になっていたのです。

「ガーッ、ガーッ」とかくイビキの音が、突然「ガ・・・」で止まり、その後 長いこと静寂が続いた後に「・・・ガーッ!」と再開するを繰り返しました。

その「静寂」は、長いときには2分以上に及び、オフクロはイビキが途絶える度に目が覚め「息しなくなっちゃった?」と心配して揺り起こそうとすると「・・・ガーッ!」と再開、ひと安心の連続だったとのこと。

 

どうやら親父は「睡眠時無呼吸症候群」を併発していたのでした。

 

睡眠時無呼吸症候群については、今でこそポピュラーな疾病として、治療法も一般化していますが、当時はまだ認知度は低かったものでした。

それが、いつだったか 新幹線の運転士の居眠り運転をきっかけに「寝不足の要因」として知られるようになったことも記憶の隅にあります。

 

 

睡眠時無呼吸症候群は、呼吸停止の間は安眠を妨げられているため それが寝不足の要因となっていますが、それを聞いたオフクロは、親父のイビキを気にしてしょっちゅう目を覚ますせいで「こっちの方が寝不足になったわよ。」と苦笑していたのを思い出したものでした。

 

あれから十数年、新たな元号を迎えた今日ですが、我が家の「平成」の大きな思い出は、親父を看取った約7年であったことは紛れもないところです。

 

 

 

 

 

 

 

丹波島橋から見えるアルプスの残雪も、かなり少なくなった感です。

 

 

ついこないだまでは、冬の景色を今に残していましたが。

 

 

季節も進んでいるを実感しました。

 


新たな時代に

2019-05-02 | 日記

5/1 Wed.

 

夜勤明けの朝「令和の日の出」に立ち会うことができました。

 

 

この日は昼頃からあいにくの雨模様となりましたが、このタイミングだけは雲間から日光を拝むことができ「二度目のお正月」のような雰囲気を感じながらのご来光参拝となったところです。

 

 

 

名実ともに新たな元号の発布と共に始まった今日は、やはり何か特別な思いを抱かされるものです。

上皇陛下が「わが国において戦争のなかった時代」と自ら称された平成時代の薫陶を引き継ぎ、令和においても 無論戦争のない、よりピースフルな時代になることを願うばかりです。

 

 

即位された徳仁天皇陛下におかれては、新たな「象徴」としての存在として、私たち国民をお見守りいただくことに期待を寄せる者のひとりです。

他でもなく、繊細な雅子妃殿下を庇[かば]われるお姿に、上皇陛下とはまた違った優しさを感じ取りながら、私たちも共に令和の時代を歩もうと、あまねく国民の一員として心している次第です。

 

 

 

 

 

「令和」を迎え、実家のオフクロから初SOSがあり、物資を届けた際、買い物中のスーパーの棚を覗くと、令和の「あやかり商品」があり 所望しました。

「令和」記念?おはぎです。

 

 

オフクロに「新元号おめでとう。」と届けると「これはこれは。昭和3年に生を受けてン十年、令和の時代も元気で長生きしなくちゃね。」と笑顔で応じてくれました。