倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

認識を新たに

2019-03-15 | 日記

3/15 Fri.

 

地域の識者の方と意見交換する機会がありました。

 

くだんの御仁は、地域の課題などを独特の視点で掘り下げられ「かくあるべき」との明確なご意見を、ときに綿密な資料をもって解説してくださり、私自身、折りに触れて大いに勉強させていただいております。

 

この日は、ご自身の介護経験から「高齢者の宅内見守り」について、インターホンを活用した「オリジナル装置」を教えてくださり[この詳細については後日お伝えしたいと思います]、それに付随して「住民自治協議会の形骸化」についても警鐘を鳴らすべきを伝えてくださいました。

すなわち、本来 そこに住む住民の生活向上のためにあるべき住自協が、体制の維持に囚[とら]われ、前述の高齢者介護のような具体的な地域課題に向き合う暇[いとま]が無いまま推移し、本来の目的を果たせないでいるのではないか、というのです。

このことは、住自協活動を所管する行政体[長野市]の招いたところであり、住自協関係者の責任ではないことは自明ですが「そもそも」の部分で、住自協の意義について「設置主体」である長野市は、ときに適切に見直し、改めて真に住民生活に資する住自協活動の推進のため心を砕いてゆく必要があるのではないか、ということで一致しました。

 

さらに氏は、市内の小中学校に設置されることになっているエアコンについて、設置までは良いが、その後の維持管理をどうすべきか、という視点で問題意識を抱いておられました。

このことについても論は後日に譲りますが、いずれにしても ある施策を打つときには「その後」にも目を向けて臨むべきという指摘[視点]は、私にとっても大いに参考になるものでした。

 

 

そのうえで、私たちが共通の「憂慮すべき点」として話すのが「人口減少社会における 今後の地域生活のあり方」です。

「人口は減る」を前提に諸課題に対峙できるか、が 今後の「生き残り策」のカギになることを共通項に、今後も意見を交わしてゆくことで一致しました。

 

識者とのひとときは、私にとっても非常に有意義、その都度 認識を新たにしてくださっています。

 

 

 

☆ 「ん? ディズニーキャラクター?」

事務所で作業中、カッターで紙を切ったら、切れ端がでました。

 

 

切った勢いでクルクルッと丸まっていました。

 

 

 

見るともなしに見ると、アレ?何かに似ているな、と。

 

 

おなじみのディズニーキャラクターに見えたのは、私だけでしょうか?

 

 


季節はずれの

2019-03-14 | 日記

3/14 Thu.

 ここのところ変わりやすい天候の日が続いていましたが、そんな中、13日夜半からときならぬ雪がしんしんと降り、この日の朝には あたり一面が雪景色となってしまいました。

 

 

さながら冬の再来です。

 

 

家並みにも雪が積もり「ホワイト・・・」を再現してくれていました。

 

 

降雪量は10cm以上はあったでしょうか。

 

 

春を迎えつつあった街路も、白いパウダーをふりまいたよう。

 

 

黄色い可憐な花芽を付けた街路樹に、白いコントラストが施されていました。

 

 

 

今季の冬は、例年以上に降雪量[特に平地]が少なかったですね。

まとまった降雪も、数えられるほどに止まり、一見的には「除雪などの手間が少なく、楽でよかったね。」と言えるほどの冬でした。

 

一方で、来る春からの季節の水源ともなる[主に山への]降雪や、作物の涵養[かんよう]や土壌の保全に欠かせない雪の存在が少なかったことは、四季の中で季節ごとの「恵み」を享受する私たちにとって、ややバランスが悪かったともいえる雪の少なさだったのかもしれません。

側聞すれば、今季のスキー場も雪不足に悩まされ、客足が一層遠のいたとの報も聞かれ、まさに「悲喜こもごも」といったところです。

 

 

時期はずれの大雪?に、今冬を振り返りつつ、さまざま思いを起こされたひとときだったのでした。

 

 

 

 


ご厚情の「後ろ」におられる存在

2019-03-13 | 日記

3/13 Wed.

 

去る日、私のスマホに一本の電話が。

見たことのない番号だったので、やや訝[いぶか]しく思いながらも出てみると、声の主は、これまでもご支援いただき、新たな組織においても役員を担っていただくことになった方の「息子さん」とのことでした。

曰く「一度会ってお話しがしたい。」と申されましたので快諾し、合間をぬって近所のファミレスで面会させていただきました。

 

私は、くだんの役員さんとは不定期に顔を合わせる周知の仲なのですが、その息子さんとは面識が無く、この日が初対面です

約束の時間。席に着いた息子さんは、やや固い表情でした。

ひとしきりの挨拶を交わした後、やや唐突に話を切り出されたのでしたが、結果、その会話は、私に深くご教示してくれることとなったのでした。

ウチの親父は、家では自分のことを話すことは殆[ほとん]ど無い、昭和の男の典型みたいな者なので、オレもあまり干渉することなく看過していました

そんな親父が倉野さんを支持して、これまでも動いていたことは承知していました。

で、こないだ親父の書類の中に、倉野さん[後援会]からの「委嘱状」を目にして、これは一度会っておかなければと思い、電話させてもらいました。」とのこと。

 

それを受けた私が、話しの真意をつかみかねていると、さらに言葉を重ねてくださいます。

「倉野さん、親父と交流を深めるのは結構なことで、オレも否定するところではないけれど、その親父の後ろには オレら身内やいろんな人が居ることも考えてくださいね。

親父も もう80才になろうかという高齢で、いつどこで何があってもおかしくない年齢に差しかかっています。そんな者が、もし倉野さんの活動中に何かあって、それを身内が知らないような状態だったら、これは悔やんでも悔やみきれないものでしょう。

あと、これは言いにくい話しだけど、あんな形でいったん辞めた人を また支援するには、親父も相当ハラをくくったと思いますが、例えば近所で「また倉野さんを応援するの?」と揶揄[やゆ]されるのは、親父だけでなく、その身内であるオレらも同じことなんですよ。

だからと言って、オレは親父に「止めろ。」とは言いません。それは親父が決めたことだから。

但し、せめて倉野さんには、役員ひとつ頼むにも、当の本人だけではく、その後ろに居る存在にも心を寄せたうえで、お願いすべきはお願いしてもらいたい、ということなんです。」とのことでした。

 

私は、そのお話しをうけて、強く再認識すると同時に、何というか、深いご薫陶をいただいた思いがいたしたところです。

 

確かに、こちらからご支援をお願いするなどのとき、私は、そのご本人さまとは膝[ひざ]詰めで話しをするも、ご本人との話しが成立すればそれで完結させていたところがありました。

この息子さんは、日頃は親子の会話は少ないものの、誰よりも親父さんのことを考えておられ、そのうえで、親父さんの意向を尊重しながら、私に対し勇気をもってご意見くださったのでした。

 

息子さんは「こんなことを倉野さんに言えば「そんなことは本人の判断だ。そっから先はお宅の内部の問題だからオレは関係ない!」などと逆ギレされると思ってました。」と苦笑まじりに述懐されましたが、私は「いいえとんでもございません、とても重要なことを教えてくださり ありがとうございました。」と 頭を下げるばかりでした。

 

これからも行脚を重ねる中、誰かと対面したときには、その後ろにさまざまな立場の方が居られることを再認識し、特に こんな顛末で活動再開する私とすれば、深い自覚と自戒をもって臨まなければ、と思いを新たにさせてもらった 貴重なひとときだったのでした。

 

 

 

 

 

☆すわ「はやぶさ」?

夜勤明けの2月末の明け方、未だ寒気の厳しい中の景色は、空までも凍てついている風情でした。

 

 

途上でふと空を見上げると、天空に一筋の飛行軌が。

 

 

 

そのころ、探査衛星「はやぶさ」が話題になっていたこともあり「すわ、はやぶさか!?」と 独り色めきたったのですが、それにしては何となく高度が低いような・・・

 

 

 

 

ご案内のとおり「はやぶさ」の事業は、JAXA職員をはじめ多くの関係者の存在が「後ろ」にあって、宇宙での難しい作業を為[な]しているものです。

 

ひとつのことを成し遂げるには、その「後ろ」に居る多くの方々の支えがあってこそ・・・この飛行軌の正体は何にせよ、「はやぶさ」をきっかけに さまざまに再認識させられた、ささやかな「天空ショー」だったのでした。

 

 

 


ご叱責の中にこそ

2019-03-12 | 日記

3/12 Tue.

 

皆様のご厚情を胸に、改めて地域を回り始めるうち、やはり改めて さまざまなお声を頂戴しています。

 

私の復帰を心待ちにしていただいた方、中には涙を浮かべて手を握り返してくださる方もおられ、本当にありがたく嬉しい限り、感謝の言葉もないほどであります。

 

一方で、いや、これが ある意味「当然の世論」なのですが、非常に冷ややかな声、ともすれば厳しいご叱責をいただくことも非常に多くあり、その都度に、私の犯した過ちの大きさと、取り返しのつかない現実に、まさに内省を深めるばかりです。

 

私とすれば、周囲の方々から「お声」をいただき活動再開に至ったところではありますが、その「周囲の方々」は、多くの市民の方々からすれば ごく一部の存在でしかなく、私の活動再開に対して、現実には本当に多くの方々が肯定的であるかといえば、懐疑的な面は否めないことを 改めて承知いたすところです。

 

それらは全て「世論」であります。私とすれば、それら「お声」の全てを拝聴し、そのうえで改めてお詫びし続ける行脚を重ねるほか、活動の術[すべ]は無いと自覚を新たにいたしております。

 

先日は、あるお宅~今まで熱心にご支援いいただいたお宅のチャイムを鳴らすと、玄関先に出てこられたご主人は開口一番「今までずっと支援をし、同時に期待もしていたのに、あのザマは何だ!自分だけの不始末だけならともかく、支援してきたオレの顔に泥を塗りやがって!」と激しく叱責され、返す言葉も無く ただただお詫びを重ねるしかありませんでした。

その間 数分、重苦しい空気のうちに玄関先を辞しようとすると、ご主人から。

「それで、これからどうするんだ?また やり直すのか?」と、重く 声をいただきました。

それに対し、一連の経過を添えて再開の旨を伝えると「見ているぞ。」と、また一言。

「オレはあんたに期待していた。そして裏切られた。

でも、地域を良くしたい、良くなったらイイな、という思いは オレも今でも思っている。で、オレは、地域活性化の牽引者だったクラちゃんが あんな形で辞めて地域が停滞し、その状況を憂慮しているのも正直なところだ。

だから見ている。あんたの今後の再出発ぶりを。

だから今は、改めて応援するともしないとも言わない、いや、言えない。」

 

その言葉をありがたく拝聴し、頭[こうべ]を垂れて玄関先を辞させていただきました。

 

「叱咤激励」ということばがあります。

 

厳しいご叱責の中にこそ、人の「思い」が内在していることを実感させていただいた 玄関先でのやり取りでした。

 

 

 

☆一服の涼

今回、新たな組織を立ち上げるにあたり、ご無理を言って幹事長をお引き受けいただいたNサン宅の庭先に、一匹のニャンが。

 

 

非常に厳しい状況の中、幹事長とも難しい相談しかできず、互いに眉間にしわを寄せるを余儀なくされていますが、庭先のニャンは、一向にお構いなし。

 

 

 

通い慣れたNサンの庭先で 媚びる風もなくこちらを見つめる毛並みの良い姿に、一服の涼をいただいた感でした。

 

 

※皆様からのご意見など「お声」については、Facebook[フェイスブック]で承[うけたまわ]ることとなりましたので 宜しくお願い申し上げます。


雑草の如く

2019-03-11 | 日記

3/11 Mon.

 

◆あの未曾有の大震災から8年の歳月が

この日、3月11日は、あの東日本大震災が、また県内においては栄村を中心にした長野県北部地震の発生した日です。

震災に対しては、さまざまな思いが重なるところではありますが、いずれにしても私たちは「地震大国」に暮らす住民として、災害を風化させず、将来のまちづくりにつなげてゆくことが肝要ではないかと改めて思うところです。



◆雑草の如く

これまでの時間経過については、個人的には[現在も]さまざまな経緯を辿っており、機会が許せば ご報告できる面は記述してまいりたいと存じます。

 

いずれにしても、あれから私は、後悔と反省とお詫び心の日々を重ね、毎日が まさに「内省」の積み重ねでありました。何があっても「申し訳ありませんでした」の一語に尽き、自分でもどうしてよいか分からない時間が経過するばかりでありました。

 

そんな中、私のことを 親身になって心を砕いてくださる方々が「雑草の会」なる有志のグループを立ち上げてくださり、息を継いでくださっています。

会の御仁が私に、やはり親身になって話してくださいました。

「いいかクラちゃん、あんたは、せっかく大きく伸びてきた大樹、それも、多くのみなさんが 水をやり、肥やしをくれて育ててくれていた大樹を自ら伐採した大馬鹿者だ。

これが本来であれば、そんな形で倒れた木は 誰にも見向きもされなくなって、やがて朽[く]ちていくのがオチだけど、なぜかクラちゃんの倒木の周りには、再び小さな芽が出ているのが見えてきたんだ。

だからオレらは、みんなで相談したうえで、もう一度 その芽を育てることにした。

但し、その芽は、とても「樹」とはいかない。雑草よ、雑草。

雑草は、だれにも見向きもされず、踏んづけられるしかない存在だよね。

それでも雑草は、自分で自分を育てるべく、たとえ踏んづけられても 力強く、粘り強く成長を続けるもんだ。

いいかクラちゃん、あんたは雑草。伸びようとしても踏んづけられる、雑草。

それでも、せめてオレらは、その雑草の成長を見届けたい。だから、頑張れ。」

 

そんな、本当に温かいご厚情をいただき「雑草」として活動を再開させていただきました。

 

折しも、私の誕生日の花は「クローバー」野辺に広がる「雑草」の典型のような草花です。

 

こんな私を、大樹を自ら倒してしまった私を「雑草」として 再び育ててくれようというご厚情に感謝しつつ、また一歩を進めてまいります。

 

 

 


再び、歩み始めることとなりました。

2019-03-11 | 日記

3/10 Sun.

 

時節は移ろい、2019年3月を迎えるに至りました。

  
                                                                                                        私儀
さきには不祥事により議員の職を辞し、皆様のご信任に背くこととなってしまいました。改めまして心より深くお詫び申し上げます。

本当に申し訳ありませんでした。

 

 

 

その後 内省を重ねるうち、多くの方々から もう一度地域のために貢献すべきとの声をいただきました。

私はそれらのお声を拝聴したうえで熟考を重ねた末、自分なりに意思を固め、活動を再開いたすことといたしました。

 


自らを強く反省し、皆様に深く感謝しながら歩みを進めてまいります。

 

 

本ブログにつきましても、多くの皆様から再発信するよう お声をいただくに至りましたので、取りも敢えず、日々の思いを訥々と綴ってまいりたいと存じております。

 

なぜ、この日からの再発信かと申せば、この日は とりわけお世話になっている地域の皆様から特段のご厚情をいただき、さまざまな意味で「後押し」をしていただいたことで、再びキーを叩く勇気のようなものをいただいたからであります。

 

何というか、リハビリ的な感じで、まごつく面も多々あろうと存じますが、皆様におかれましては 改めてお見守りいただければ幸いです。

 

なお、皆様からのご意見など「お声」につきましては、Facebook「フェイスブック」で承[うけたまわ]ることとなりましたので、宜しくお願い申し上げます。

 

また、本ブログの象徴的記述であった「クラちゃんの起床時刻」につきましては、現在 夜勤に従事しており、就寝~起床の時刻がハッキリしないため、当面の間 未掲載とさせていただきます。


 

どうぞ宜しくお願い申し上げます。

                                                               倉 野 立 人   拝