3/17 Sun.
チャリンコで道路を走行していると、さまざまな面で「ストレス」を感じます。
私が感じるストレスの筆頭は、路肩の狭さ と 歩道の段差 です。
道路交通法では「自転車は車道を走るべし」とあることから 車道の路側帯を走行するも、自転車の領分?の路側帯は非常に狭く、常に心もとない状態で走行するを余儀なくされています。
チャリを次々に追い越すクルマの風圧も相当なもので、大げさですが命懸けのペダリングの毎日です。
ならばと万[ばん]やむを得ず歩道を走行すると、そこには「段差」というストレスが存在しています。
敷地などに出入りするため歩道が切れる部分には、低床の縁石が設[しつら]えられています。
直進する際には、そこを都度乗り越えてゆくのですが、その度にタイヤを通じてガツンガツンンの衝撃があり、わずか数センチの段差にも関わらず、そのストレスはいかばかりかというほどなのです。
この、一見何でもない段差が、チャリライダーのストレスを招き、ひいては高齢者や車イスの方々にとっては、大きな「障害物」になることもあるでしょう。
近年では国交省の「バリアフリー法」の改正に伴うなどし、歩道の断裁の解消が進められることになっており、市内でも、長野駅東口エリアの再開発事業などでは、歩道という歩道は 軒並み段差の無い快適環境が整備されています。
しかしながら、既存の道路[歩道]は従来のままの段差構造・・・多くの箇所ではガッタンゴットンの「ストレス走行」を余儀なくされているのが実情です。
このことはいち事例でしかありませんが、いずれにしても 社会における住民のさまざまなストレス[ハード・ソフト両面]を如何に軽減できるか、が今後の社会運営の課題と言えると思い、それら諸課題を「共有」することも、解決に向けた一歩につながると思うところです。
「〇〇目線で」というキャッチフレーズがあります。
これは、その当事者の立場に立って、というアピールセンテンスですが、ややもすると、当事者やご関係者のご苦労を知らないまま、うわべの当事者意識で使う詭弁[きべん]であることが殆[ほと]んどだと思います。
「〇〇目線」を標榜するならば、当事者でしか分からないご苦労を共有したうえで課題に臨まねば、そんな覚悟のようなもの心にしながら、今日もガッタンゴットン走り続けます。