倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

〇〇目線で

2019-03-16 | 日記

3/17 Sun.

 

チャリンコで道路を走行していると、さまざまな面で「ストレス」を感じます。

私が感じるストレスの筆頭は、路肩の狭さ と 歩道の段差 です。

道路交通法では「自転車は車道を走るべし」とあることから 車道の路側帯を走行するも、自転車の領分?の路側帯は非常に狭く、常に心もとない状態で走行するを余儀なくされています。

 

チャリを次々に追い越すクルマの風圧も相当なもので、大げさですが命懸けのペダリングの毎日です。

 

ならばと万[ばん]やむを得ず歩道を走行すると、そこには「段差」というストレスが存在しています。

敷地などに出入りするため歩道が切れる部分には、低床の縁石が設[しつら]えられています。

 

直進する際には、そこを都度乗り越えてゆくのですが、その度にタイヤを通じてガツンガツンンの衝撃があり、わずか数センチの段差にも関わらず、そのストレスはいかばかりかというほどなのです。

 

この、一見何でもない段差が、チャリライダーのストレスを招き、ひいては高齢者や車イスの方々にとっては、大きな「障害物」になることもあるでしょう。

 

 

近年では国交省の「バリアフリー法」の改正に伴うなどし、歩道の断裁の解消が進められることになっており、市内でも、長野駅東口エリアの再開発事業などでは、歩道という歩道は 軒並み段差の無い快適環境が整備されています。

 

しかしながら、既存の道路[歩道]は従来のままの段差構造・・・多くの箇所ではガッタンゴットンの「ストレス走行」を余儀なくされているのが実情です。

 

このことはいち事例でしかありませんが、いずれにしても 社会における住民のさまざまなストレス[ハード・ソフト両面]を如何に軽減できるか、が今後の社会運営の課題と言えると思い、それら諸課題を「共有」することも、解決に向けた一歩につながると思うところです。

 

 

 

「〇〇目線で」というキャッチフレーズがあります。

これは、その当事者の立場に立って、というアピールセンテンスですが、ややもすると、当事者やご関係者のご苦労を知らないまま、うわべの当事者意識で使う詭弁[きべん]であることが殆[ほと]んどだと思います。

「〇〇目線」を標榜するならば、当事者でしか分からないご苦労を共有したうえで課題に臨まねば、そんな覚悟のようなもの心にしながら、今日もガッタンゴットン走り続けます。

 

 

 


慈愛が通じて

2019-03-16 | 日記

3/16 Sat.

 

オフクロに乞われて、実家の庭の一隅に、パンジーの花を植えました。

 

実はこのパンジーたちの下には、オフクロを母と慕ったニャンが眠っています。

 

一ヶ月ほど前、オフクロから「ぶらっと出て行ったきりだった通いネコのママちゃん[ニャンの愛称]が、何ヶ月かぶりにヒョッコリ帰ってきたの。」と嬉しそうな声で電話があり、私がカオを出した際もしっかりとした足取りで迎えてくれたものでした。

 

ところが、それから3日ほど後、オフクロから沈んだ声で電話があり、訊けば、帰ってきたはイイが餌をほとんど食べないでいたので おかしいなと思っていたら、前日の夜半に様子がおかしくなり、丸一日看病したけどそれも叶わず、ついに旅立ってしまったとのことでした。

取りも敢えず庭に埋葬したけれど、土くれだけでは殺風景でかわいそうだから、この時季の寒さに強いパンジーでも植えてあげたいとの意向だったのでした。

 

 

通説では、ネコは死期を迎えると、飼い主の下[もと]を去り、人知れずその生涯を閉じると言われていますが、オフクロの場合は逆、長いこと家を空けていたニャンが オフクロの下へ帰り、その懐に抱かれて生涯を閉じるを選んだものでした。

オフクロは、とりわけ動物に対しては慈愛をもって接し、この通いネコに対しても あたかも人の子に対するように話しかけ、愛情を注いできました。

一匹 子猫を連れてきた際には、これ以上の繁殖を抑えるため すぐに去勢の措置を施してあげ、その後も佳[よ]きパートナーとして暮らしていたものでした。

きっと このニャンにも、そんなオフクロの慈愛が通じ、最期の寝場所をオフクロのそばと決めたのでしょう。

 

そんなオフクロは 齢[よわい]90才、これまで何度か身内を看取っており、その度に悲しみを乗り越えてきました。

「最後は笑って。」が信条だそうです。

 

 

かくいう私も、オフクロには心配かけっ放しで現在に至っています。

 

ここでもまた、反省の念 しきりです。