3/13 Wed.
去る日、私のスマホに一本の電話が。
見たことのない番号だったので、やや訝[いぶか]しく思いながらも出てみると、声の主は、これまでもご支援いただき、新たな組織においても役員を担っていただくことになった方の「息子さん」とのことでした。
曰く「一度会ってお話しがしたい。」と申されましたので快諾し、合間をぬって近所のファミレスで面会させていただきました。
私は、くだんの役員さんとは不定期に顔を合わせる周知の仲なのですが、その息子さんとは面識が無く、この日が初対面です
約束の時間。席に着いた息子さんは、やや固い表情でした。
ひとしきりの挨拶を交わした後、やや唐突に話を切り出されたのでしたが、結果、その会話は、私に深くご教示してくれることとなったのでした。
「ウチの親父は、家では自分のことを話すことは殆[ほとん]ど無い、昭和の男の典型みたいな者なので、オレもあまり干渉することなく看過していました
そんな親父が倉野さんを支持して、これまでも動いていたことは承知していました。
で、こないだ親父の書類の中に、倉野さん[後援会]からの「委嘱状」を目にして、これは一度会っておかなければと思い、電話させてもらいました。」とのこと。
それを受けた私が、話しの真意をつかみかねていると、さらに言葉を重ねてくださいます。
「倉野さん、親父と交流を深めるのは結構なことで、オレも否定するところではないけれど、その親父の後ろには オレら身内やいろんな人が居ることも考えてくださいね。
親父も もう80才になろうかという高齢で、いつどこで何があってもおかしくない年齢に差しかかっています。そんな者が、もし倉野さんの活動中に何かあって、それを身内が知らないような状態だったら、これは悔やんでも悔やみきれないものでしょう。
あと、これは言いにくい話しだけど、あんな形でいったん辞めた人を また支援するには、親父も相当ハラをくくったと思いますが、例えば近所で「また倉野さんを応援するの?」と揶揄[やゆ]されるのは、親父だけでなく、その身内であるオレらも同じことなんですよ。
だからと言って、オレは親父に「止めろ。」とは言いません。それは親父が決めたことだから。
但し、せめて倉野さんには、役員ひとつ頼むにも、当の本人だけではく、その後ろに居る存在にも心を寄せたうえで、お願いすべきはお願いしてもらいたい、ということなんです。」とのことでした。
私は、そのお話しをうけて、強く再認識すると同時に、何というか、深いご薫陶をいただいた思いがいたしたところです。
確かに、こちらからご支援をお願いするなどのとき、私は、そのご本人さまとは膝[ひざ]詰めで話しをするも、ご本人との話しが成立すればそれで完結させていたところがありました。
この息子さんは、日頃は親子の会話は少ないものの、誰よりも親父さんのことを考えておられ、そのうえで、親父さんの意向を尊重しながら、私に対し勇気をもってご意見くださったのでした。
息子さんは「こんなことを倉野さんに言えば「そんなことは本人の判断だ。そっから先はお宅の内部の問題だからオレは関係ない!」などと逆ギレされると思ってました。」と苦笑まじりに述懐されましたが、私は「いいえとんでもございません、とても重要なことを教えてくださり ありがとうございました。」と 頭を下げるばかりでした。
これからも行脚を重ねる中、誰かと対面したときには、その後ろにさまざまな立場の方が居られることを再認識し、特に こんな顛末で活動再開する私とすれば、深い自覚と自戒をもって臨まなければ、と思いを新たにさせてもらった 貴重なひとときだったのでした。
☆すわ「はやぶさ」?
夜勤明けの2月末の明け方、未だ寒気の厳しい中の景色は、空までも凍てついている風情でした。
途上でふと空を見上げると、天空に一筋の飛行軌が。
そのころ、探査衛星「はやぶさ」が話題になっていたこともあり「すわ、はやぶさか!?」と 独り色めきたったのですが、それにしては何となく高度が低いような・・・
ご案内のとおり「はやぶさ」の事業は、JAXA職員をはじめ多くの関係者の存在が「後ろ」にあって、宇宙での難しい作業を為[な]しているものです。
ひとつのことを成し遂げるには、その「後ろ」に居る多くの方々の支えがあってこそ・・・この飛行軌の正体は何にせよ、「はやぶさ」をきっかけに さまざまに再認識させられた、ささやかな「天空ショー」だったのでした。