倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

言葉ひとつで

2019-03-18 | 日記

3/18 Mon.

 

会話の中で、ことばの難しさと大切さとを実感しました。

 

というのも、普段からたいへんお世話になっている方とのやり取りの中で 「行き違い」 があり、その中で学ぶ機会を得たものでした。

 

くだんの御仁は、私のことを本当に親身になって思ってくださっています。

そんな方がとある日、私の、他の方に対する対応が悪いと ことの外[ほか]怒って電話をかけてこられ、対応に苦慮するに至ってしましました。

やや感情的になっておられましたので落ち着くのを待って様子を訊くと、真相は全くの誤解で、お怒りの理由は どうやら的を外れていたようでした。

 

そのやり取りの中で、私にとってかなりキツい表現もあり、私自身も感情的になりかけた瞬間もありましたが、私とすれば、この方の単なる言葉尻を捉えず 「どんな言い方をしたか」 ではなく 「いったい何が言いたいのか」 を聴き取るに努め、できるだけ丁寧な言い回しの上で真相をお話しし、最終的に矛[ほこ]を収めていただきました。

これが、私までもが感情に囚[とら]われて生意気を申せば、論点がズレたまま推移し、これまでの良好な人間関係までも壊してしまったかもしれません。

 

考えてみれば、そんな、怒るなど感情的になるほど私のことを考えてくださっているのは 何よりありがたいことですので、会話の中でも 「それほどまでに私のことを考えてくださってありがとうございます。」 との言葉を添えて臨み、それらの言葉の紬(つむぎ)が 最終的にご理解いただく所以[ゆえん]となったようでした。

 

人は言葉によって自分の思いや考え方を相手に伝えることのできる、他種に秀でた能力をもつ動物です。

それだけに 「言葉ひとつ」 が、相手との絆を深めもすれば断ち切ってもしまう 「諸刃の剣」 とも言えるでしょう。

 

ひときわ熱心な御仁とのやり取りを通じ 「言葉ひとつ」 の大切さを改めて実感したひとときでした。

 

 

 

☆こんなところにも「春」が

小春日和の日に、ムラの生活道路を通過していると。

 

電柱の脇に、何やら黄色い塊[かたまり]が目に入りました。

 

ヨク見れば、あれ?福寿草です。

 

こんな宅地のこんなところに、どうやって宿ったものか、本来 山野にあるハズの可憐な花がシッカリと根付いていました。

 

寒い冬を乗り切り可憐な花を咲かせた福寿草の、見た目にそぐわない逞[たくま]しさを見た思いがしました。

 

 

私も見習いたい 「生命力」 です。