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千年の古都のタイムトンネル
京都の歴史 その弐百参拾弐
七重大塔は現在、御所の直ぐ北にある同志社女子中・高校の付近に
「塔之段」という地名が残っている辺りだと言われています。
又戦国期に作成された「洛中洛外図」は京都を俯瞰した構図で描かれているが、
実際にはこの大塔の上から眺めた景色がもとになったものだと言われている。
義満は、完成した相国寺を私的な修行の施設ではなく、
相国寺を京の五山に加えて、格式ある寺院への転化を図ったようなのです。
しかし相国寺が完成した時、すでに京の五山は、
南禅寺、天竜寺、建仁寺、東福寺、万寿寺と定められており、
相国寺をこれに列するためには、どれか一つを外さなければならない。
京の五山についてはそれ以前から、
京の五山を構成する寺院や順位を巡って、
何度と無く異動改革が行なわれ、
義満による変更がはじめてではないようです。
とはいえ、
義満の行なった京の五山の改革は特別のようでした。
相国寺が完成した翌年、
義満はそれまで京の五山の一つの南禅寺を「 五山之上 」とし、
南禅寺を京の五山の中でも特別な寺院と位置づけ、
残りの寺院に 相国寺を加えた。
つまりこの時点で、
京の五山は6つの寺院から構成されることになる。
さらにその後
相国寺の順位を上げ、天竜寺に代わって京の五山の1つとした。
その後、足利義持が将軍の時 この順位はもとに戻されましたが、
この件を見ても、
義満の 相国寺に対する思い入れの深さを知ることが出来るようです。
今回はここまで・・
続きは次回に・・
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