オヤジのひとり言

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京都検定・京の歴史が・・わかる。

2011年03月28日 | ボランティア
熱心な読者の方々から・

反響がきています。

京の歴史がわかる
読み出すと・・これが結構オモシロイ・・
京都検定の参考書にもなっているとか、いないとか?

千年の古都のタイムトンネル

京都の歴史 その2

遺構に見られる高度な土木技術

昭和57年(1982)四条烏丸に在った

銀行の建替え工事に伴って発掘調査が行なわれた。

そしてそこからは弥生時代の住居や溝などの遺構、

大量の土器及び石器が発見されたのです。(長刀鉾町遺跡)

四条烏丸といえば、祇園祭の際には山鉾巡行のスタート地点となる場所で、

現在この界隈には多くの銀行や金融関係の建物が建ち並び、

京都における金融の中心街です。

四条烏丸で見つかった弥生時代の遺構では、

弥生時代全般にわたる遺物が発見されているが、

とりわけ注目されるのが、

4つの溝と住居跡です。

溝については、

南北に走る構造から見ておそらく排水溝の役割を果たしていたようです。

構造の精度も高く、高度な土木技術によって掘られたことがわかる。

また、驚きなのは、併せて出土した遺物から、

この溝が紀元前一世紀頃から三世紀頃にかけて、

断続的に利用されていたと思われることです。

一方の住居跡が弥生時代の終わり頃(2~3世紀頃)と推定されるにもかかわらず、

遺跡そのものは、ほぼ弥生時代全般を通じて継続して使われていた事がわかり、

この地に相当早い時期から、

かつ長期にわたって人々が生活していたことを示しているのです。

 現在では京都の中心街となっている四条烏丸ですが、

江戸時代には、町家が密集し、

この一角に与謝蕪村が居所を構えたことも有るなど、

京の町衆の生活の中心でした。

また平安京の時代においては、

左京四条三坊にあたり、

文献では貴族の邸宅が建ち並んでいたことも確認できる

政治の中心でもありました。

この長刀鉾町遺跡は、

京都の平安京以前を知る貴重な資料であると共に、

四条烏丸界隈が弥生時代においても、

京都盆地における1つの中心であった事を示しています。

続きは次回に・・じゃっ・・Bye2