大藤橋親柱 2013-05-17 01:52:39 | 川崎 川崎市川崎区藤崎町の「郵政公社交差点」。昔は二ヶ領用水から続いていた六百代(むそしろ)川でした。 交差点角のたばこ屋さんに「大藤橋」の親柱が残っています。ここは大島・藤崎の境界。それで大藤橋なのでしょう。 1925(大正14)年のもの。六百代は今は暗渠の観音川に続き海へ。 近くには池藤橋、観音橋という交差点があり、当時の名が今でも残っています。 #写真 « 小土呂橋親柱と遺構 | トップ | 集え »
2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (win) 2013-05-17 16:59:11 大藤橋も小土呂橋も、親柱をそこに置いてくれてるのが嬉しく思います。きっと色々な場所で、道路の下で、まだ遺構が眠ってるのでしょうね~今日、谷中で頻繁にバンマツリを見ました。名前知らなくて、友人と何だろうねと話していたところです!ありがとうございます! 返信する winさんへ (くてくて) 2013-05-17 23:12:29 winさんへ親柱が残っていると、昔そこに川があったことを想像しやすいです。ニオイバンマツリ、タイムリーだったようですねー。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
きっと色々な場所で、道路の下で、まだ遺構が眠ってるのでしょうね~
今日、谷中で頻繁にバンマツリを見ました。
名前知らなくて、友人と何だろうねと話していたところです!
ありがとうございます!
親柱が残っていると、昔そこに川があったことを想像しやすいです。
ニオイバンマツリ、タイムリーだったようですねー。