大黒さんの金魚鉢

黒金町の住人の独り言は“One”

One voice , one mission , one family

賀川豊彦伝(1)

2015年01月29日 | 労働者福祉
労働者自主福祉運動に関わる4人の先人たちについて学び紹介するのが語り部ゼミの一員である私の宿題です。
他のゼミ生もそれぞれ宿題を抱えて苦しんでいますが、私もいよいよ最大の難関「賀川豊彦伝」に取り掛かります。
これまで「二宮尊徳伝」「ガンジー伝」「ケインズ伝」と進めてきましたが、4人には賀川も含めていくつかの共通点があることに気づきました。
ひとつめは、幼少期は比較的裕福な家庭に育ったが…
ふたつめ、あることから一転して人生の変わり目に立ったり、大きな挫折を経験するが…
みっつめは、キリスト教的な見返りを求めない無償の愛を貫く生き方を実践した、という共通点です。
4人の生き方を辿りながら、自分自身の生き方についても多くを考えさせられました。

さて賀川豊彦についてですが、その人物評価は実に極端です。
「スラムの聖者」「現代の聖フランシスコ」「世界の賀川」との評価もあれば、「売名家」「偽善者」「日和見主義」というひどい評価もあります。
しかし他に類を見ないほどの広い分野で中心的指導者として活動してきたことは事実ですし、信じられないほどのマルチ人間であることも事実です。
そうかと思えば賀川が育ててきたそれぞれの分野においてですら、賀川豊彦の名前すら知らない人達が多いという現実もまた事実です。
こと左様に難しい人物像をどう語るか悩みましたが、調べたことを私情をいれずに淡々と綴っていきたいと思います。

さて「賀川豊彦伝」の始まりです。

賀川豊彦は複雑な少年時代を過ごしました。
豊彦の父「純一」は、15歳の時に大地主で地方の名家「賀川家」の養子となり、7歳年下の娘「みち」と結婚します。
純一は自由民権運動の支持者として政治の道を志したり、神戸で事業を興し各地に支店を設けるような多才な人物でした。
しかし純一の結婚生活は順調ではありませんでした。
彼は別の女性と同居を始めます。
徳島に住む妻とその母のもとを去り、元芸者「かめ」との生活が神戸で始まります。
やがてふたりの間には豊彦を含めた5人の子どもが授かります。

幼少の数年間は、豊彦は幸せに過ごしました。
だが不幸が次々と訪れます。
豊彦4歳の時に、父親が風邪と赤痢を併発して、突然亡くなります。
それから数ヵ月後、実母「かめ」が亡くなり、小さかった豊彦と姉「栄」は徳島に戻されて、義母「みち」とその母と一緒に住むこととなります。
ないがしろにされていた正妻の「みち」は、夫の妾の子ども達を押しつけられたので、押さえつけられていた怒りの感情が爆発します。
感じやすい子どもにとっては大変辛い毎日でした。

(つづく)

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