栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

福祉に生涯を捧げた男が造ったテーマパーク・太陽公園

2018-09-03 17:29:59 | 視点


 姫路観光といえば姫路城と好古園、それと中心部からちょっと外れるが書写山円教寺ぐらいしか知らなかった。

姫路城は何度か行ったことがあるし、書写山円教寺はもう一度行ってみたいとは思うが、夏場は避けたかった。

そこで色々探していると「ちょっと変わったテーマパーク」として「太陽公園」が紹介されていたので、

とりあえず行ってみることにした。

まず目に入ったのが山の上に聳え立つ西洋の城。

どうやらここが「太陽公園」らしいと車を走らす。

 入り口で入園料(1,300円)を払い、もらったパンフレットを見ると園内は「城のエリア」と

「石のエリア」の2箇所に分かれていて、入り口も別になっていると知る。

下から城が見えた方が「城のエリア」だが、先に「石のエリア」に行く。

パンフレットには「石のエリア」を見て回る時間は平均120分と書かれているから、

それだけでかなり広大な敷地と想像がつく。

 ★「石のエリア」の写真は「栗野的風景」に多数アップしているので、そちらをご覧ください。

   「栗野的風景」http://blog.livedoor.jp/kurino30/



 パンフレットを見て気になったのは裏面に「障がい者の社会参加と自立を願う

太陽公園は、観光と福祉の融合により新しい福祉を創造することをめざしています」

と書かれていたことだ。

 テーマパークと福祉、どういう関係があるのだろうか?

その謎は園内を見て回っている内に溶けたが、「城のエリア」では入ってすぐの場所に

下の写真の石碑が建てられている。

それらの石碑の文章を読んで「太陽公園」建設の理念、なぜ「太陽」と名付けたのかが分かった。

「愛の貫徹」と書かれた下には次のような文章が続いていた。

 <1947年4月1日、私は「愛の貫徹」をテーマにして

  生活に苦しむ人よ、障害に苦しむ人よ、

  ここに来たれ、太陽に向かって、明るく元気で

  共に生きようと宣言し、これからも永遠に愛の歴史

  を貫徹したい。>



 これらの碑文を記したのは門口(もんぐち)堅蔵氏。

太陽公園の設立者であり、太陽福祉グループの創設者である。

 2009年の碑文に「私の社会福祉60数年の戦いは、血は流れ、肉は飛び、骨は砕けるほどの

苦闘であったと振り返ってみた」とある。

 福祉事業の大変さ、ここまでくるのにどれだけ苦労されたのかが、この文字から読み取れる。



さらに次のように続く。

「今乱れる心、騒ぎ立つ思い、黒い心の影、醜い想いの影、これらの悪魔の襲来を打ち破り、

願わくば、私は差別と偏見、そして生活に苦しむ多くの人々、障害に悩む人々の安心と

安全の生活を保障し、完全参加と平等の社会をつくろうとしている」

 事業を拡大していくと様々な誘惑の手が伸びてくる。

なかには「黒い心」を笑顔で覆い近づいてくる者も少なからずいただろうし、

「差別と偏見」に満ちた目で遠巻きにし、陰でいろいろ噂していた人もいただろう

とは容易に想像できる。

 そのような「悪魔の襲来」を打ち破り、誘惑に打ち勝ち、ひたすら自らが信ずる福祉の道を

歩み続けるのはまさに「いばらの道」だったに違いない。



 門口氏が福祉の道に入ったのは20歳かららしい。

「死んでくる」と言って戦地に赴いたが、生きて返ったことから

以後の自分の人生を「生かされている」と考えたことから福祉の道に入ったようだ。

 門口氏の叫びにも似た碑文を読んでいると、できればお会いしたいと思うようになり

入り口で尋ねたが、すでに逝去されており、またテーマパークの入り口で

それ以上の質問をするわけにもいかず諦めたが、機会があれば後継者に取材してみたい。



 まあ、それはともかく、テーマパークとしても純粋に楽しめる施設である。

今回は時間がなく見て回るのを諦めたが「城のエリア」はトリックアートを楽しんだりもできるらしい。



 この羅漢さん、「やあ、いらっしゃい」と手を挙げて歓迎してくれているようにも見えるし

門口氏が手をかざし、福祉の行く末、この国の行く末を眺めているようにも見える。