九州の素晴らしい技術を紹介するため、再び九州各地の技術系企業を取材して回っているが、その中で気付いたことがいくつかある。
1つはブームが人を狂わせるということであり、もう1つはベンチャーの陥る失敗パターンの共通性である。
この10数年の間に我々は2つのブームを経験している。
1つはバブルという言葉で代表される投機ブームである。
もう1つは第3次ベンチャーブームである。
前者は金融機関に踊らされ、真面目な会社員までもが皮算用に狂い、人生を棒に振った。
後者は真面目な製造業や技術者までもが、やはり捕らぬ狸の皮算用をし、地に足が着かなくなった。
前者は金融機関の責任だが、国にも一端の責任はある。
後者では国(行政)の責任が大きい。
だが、その国は責任を一切取ろうとしないばかりか、バブルは金融機関に責任を押し付け、今度は不良債権の処理で金融機関を締め付け、その結果、弱い中小企業と国民にしわ寄せがきた。
ベンチャーブームの影響はある意味もっと深刻だ。
もはやブームとは言えないまでも、まだ現在進行形で進んでいるだけに被害はまだ拡散している。
問題なのは学生などまでがこのブームに巻き込まれ踊らされていることだ。
さて、ベンチャーが陥る失敗パターンの共通性である。
それらはある段階にきた時に、ほぼ間違いなくその穴に落ちている。
まるで確率ゲームのように、ベンチャーの何パーセントかはその穴に落ちているのである。
といっても、その穴は新しいものではない。
20年前も15年前も同じように皆その穴に落ちているのである。
要するに、今回新たに出現したわけではなく、以前から皆共通して失敗する箇所で同じように失敗しているだけなのだ。
そういう意味では前轍を戒めにしていないといえる。
前車の覆るを以て後車の戒めとする、というのが古来、人間の知恵である。
ところが、それをしないのが人間の傲りだろう。
古くはナポレンがハンニバルのアルプス越えの轍を踏んだ。
ヒトラーは両人の失敗から学習するどころか、傲りから逆に敢えて同じ轍に挑み、結果ロシアの冬将軍に屈服した。
人間がいかに学習しない動物かという証しだろう。
ベンチャーが最初に陥る失敗は事業の先行きに明るさが見え始めたかに思えた段階である。
この段階では実際に明るいわけではなく、先の方に仄かに明るさが見えるような気がする段階なのだが、それを明かりが見えたと勘違いするところから失敗する。
例えばA社は売り上げ4億円で上場を目指すと言い、その数年後に倒産一歩寸前まで行った。
当時を振り返って今「あの頃は有頂天になり状況が見えなかった」と反省している。
しかし、連日、ベンチャーキャピタルや銀行が投融資しますよと言ってくれば、凡人なら誰もが舞い上がる。
この間まで融資を頼みに行っても相手にしてくれなかった銀行が、掌を返すように数千万円から億の金を借りてくれと日参するのだから、舞い上がらない方がおかしいだろう。
しかも、周囲に集まってくるのはその金のおこぼれに預かろうという輩ばかりで、諫言する者はいないからますます舞い上がる。
将来の事業計画といっても見込みばかりで、実際は砂上の楼閣。
一つ計画が躓けばガラガラッと音を立てて全てが崩れてしまう。
A社の社長は家屋敷も全て処分し、会社を閉鎖した。
研究開発型のB社は県期待のベンチャーと持てはやされ資金も集まり、人も増やし、順調に推移しているように見えたが、商品化に手間取り、開発費ばかりが膨れあがっていた。結局、商品化の見通しが立たないまま事業を縮小し、今は数人で細々と継続している。
技術開発型のC社が開発した商品は市場規模の大きさが注目され、皮算用ばかりが先に立った。
誰もが机上の計算に夢中になり、左うちわの自分の姿を想像し悦に入った。
ところが、実際に販売活動を始めてみると、意に反してユーザーの反応は冷たかった。
左うちわと有頂天になった分だけ落ち込みも激しかった。
結局、開発に注ぎ込んだ資金はどぶに捨てたと同じことになった。
IT関連企業のD社はソフトが注目されたが、似たような商品は市場にあり、本人が強調する割りには独自性が市場で評価されなかった。
ところが、本人は成功者気取りであちこちのセミナーで講演をして回り、気が付いた時には営業が疎かになり、わずか7,000万円の決算ができずに自己破産の道を選んだ。
彼らに共通しているのは現実と遊離した思い込みである。
さらにそれを助長させるほめ潰しに合っている。(「ほめ潰し」についてはリエゾン九州のHP内の「栗野的視点」を参照)
先行きに見えた明かりを成功と勘違いしたところから悲劇が起こっているが、いずれにしろ起業直後に起こる失敗のパターンである。
次の段階は上場前後である。
この段階のベンチャーはある程度成功していたり、すでにベンチャーキャピタルや監査法人が入っていることが多い。
中には上場が秒読み段階のところもあるだろう。
車でいえばアクセルを踏み込み加速している段階であり、こうなるとスピードダウンは言い出しにくい雰囲気になる。
当然のごとくベンチャーキャピタルは彼らのスケジュールに従って事を運び始める。
そのことが上場を急がさせられてるように感じることもあるが、一番有頂天になり地に足が着かなくなっているのは当の本人だ。
E社は上場がタイムスケジュールに上がった頃から増産に向けて設備投資に走った。
金融機関もキャピタルも誰1人急激な設備投資に異を唱える者はいなかった。
それどころか設備投資を煽る雰囲気さえあった。
ところが市場の状況が変わり、新工場は開店休業状態。
残ったのは設備投資の借金のみ。
結局、上場は諦めた。
F社の社長は上場を考え出した頃から頭を悩ませていた。
本人所有の持株比率が低く、一族の分を合わせても30%を下回っていた。
経営権を守るため増資を行ったが、その資金は金融機関からの借り入れで賄った。
今のようなゼロ金利時代ではなかったため、今度は借金の金利だけでもバカにならなかった。
借金返済のためには早く上場して、そこから得た創業者利益で返すほかなかった。
そのため上場を急ぎ、社内整備が不十分なまま上場した。
そのツケが上場後に回ってき、気が付いたら自分の会社から追われていた。
このほかにも株価を維持するために粉飾決算まがいのことをしたり、経営権維持のために虚偽の報告をしている企業は西武鉄道を例に取るまでもなく多い。
まとめてみよう。
ベンチャーが失敗しやすい箇所は2カ所ある。
まず最初の1カ所は離陸時期。
周囲からやたら持ち上げられ、講演などに引っ張り回され出すと危険信号である。
市場規模の大きさに喜び、捕らぬ狸の皮算用をして喜んだ事業はほぼ間違いなく失敗する。
次の危機は上場前後に来る。
この段階ではキャピタル等からの資金も流入し、有頂天になり、地に足が着かなくなる。
金が人を狂わせる。
この頃に使った金はほとんど無駄金で、残らない。
金の使い道は昔から決まっている。女と博打だ。
無意味な贅沢品を買うか、夜の街で豪勇し女に金を使うぐらいなものだ。
社員のために何かしたなんて話は聞いたことがない。
真面目な経営者程遊びで失敗しやすい。
なにより多いのは、上場直前になって自身の持株比率の少なさに気付き、慌てて変な手を打つことだ。
ひと言でいえば資本政策の失敗である。
好事魔多し、とはよく言ったものだ。
調子がいい時ほど注意したい。
1つはブームが人を狂わせるということであり、もう1つはベンチャーの陥る失敗パターンの共通性である。
この10数年の間に我々は2つのブームを経験している。
1つはバブルという言葉で代表される投機ブームである。
もう1つは第3次ベンチャーブームである。
前者は金融機関に踊らされ、真面目な会社員までもが皮算用に狂い、人生を棒に振った。
後者は真面目な製造業や技術者までもが、やはり捕らぬ狸の皮算用をし、地に足が着かなくなった。
前者は金融機関の責任だが、国にも一端の責任はある。
後者では国(行政)の責任が大きい。
だが、その国は責任を一切取ろうとしないばかりか、バブルは金融機関に責任を押し付け、今度は不良債権の処理で金融機関を締め付け、その結果、弱い中小企業と国民にしわ寄せがきた。
ベンチャーブームの影響はある意味もっと深刻だ。
もはやブームとは言えないまでも、まだ現在進行形で進んでいるだけに被害はまだ拡散している。
問題なのは学生などまでがこのブームに巻き込まれ踊らされていることだ。
さて、ベンチャーが陥る失敗パターンの共通性である。
それらはある段階にきた時に、ほぼ間違いなくその穴に落ちている。
まるで確率ゲームのように、ベンチャーの何パーセントかはその穴に落ちているのである。
といっても、その穴は新しいものではない。
20年前も15年前も同じように皆その穴に落ちているのである。
要するに、今回新たに出現したわけではなく、以前から皆共通して失敗する箇所で同じように失敗しているだけなのだ。
そういう意味では前轍を戒めにしていないといえる。
前車の覆るを以て後車の戒めとする、というのが古来、人間の知恵である。
ところが、それをしないのが人間の傲りだろう。
古くはナポレンがハンニバルのアルプス越えの轍を踏んだ。
ヒトラーは両人の失敗から学習するどころか、傲りから逆に敢えて同じ轍に挑み、結果ロシアの冬将軍に屈服した。
人間がいかに学習しない動物かという証しだろう。
ベンチャーが最初に陥る失敗は事業の先行きに明るさが見え始めたかに思えた段階である。
この段階では実際に明るいわけではなく、先の方に仄かに明るさが見えるような気がする段階なのだが、それを明かりが見えたと勘違いするところから失敗する。
例えばA社は売り上げ4億円で上場を目指すと言い、その数年後に倒産一歩寸前まで行った。
当時を振り返って今「あの頃は有頂天になり状況が見えなかった」と反省している。
しかし、連日、ベンチャーキャピタルや銀行が投融資しますよと言ってくれば、凡人なら誰もが舞い上がる。
この間まで融資を頼みに行っても相手にしてくれなかった銀行が、掌を返すように数千万円から億の金を借りてくれと日参するのだから、舞い上がらない方がおかしいだろう。
しかも、周囲に集まってくるのはその金のおこぼれに預かろうという輩ばかりで、諫言する者はいないからますます舞い上がる。
将来の事業計画といっても見込みばかりで、実際は砂上の楼閣。
一つ計画が躓けばガラガラッと音を立てて全てが崩れてしまう。
A社の社長は家屋敷も全て処分し、会社を閉鎖した。
研究開発型のB社は県期待のベンチャーと持てはやされ資金も集まり、人も増やし、順調に推移しているように見えたが、商品化に手間取り、開発費ばかりが膨れあがっていた。結局、商品化の見通しが立たないまま事業を縮小し、今は数人で細々と継続している。
技術開発型のC社が開発した商品は市場規模の大きさが注目され、皮算用ばかりが先に立った。
誰もが机上の計算に夢中になり、左うちわの自分の姿を想像し悦に入った。
ところが、実際に販売活動を始めてみると、意に反してユーザーの反応は冷たかった。
左うちわと有頂天になった分だけ落ち込みも激しかった。
結局、開発に注ぎ込んだ資金はどぶに捨てたと同じことになった。
IT関連企業のD社はソフトが注目されたが、似たような商品は市場にあり、本人が強調する割りには独自性が市場で評価されなかった。
ところが、本人は成功者気取りであちこちのセミナーで講演をして回り、気が付いた時には営業が疎かになり、わずか7,000万円の決算ができずに自己破産の道を選んだ。
彼らに共通しているのは現実と遊離した思い込みである。
さらにそれを助長させるほめ潰しに合っている。(「ほめ潰し」についてはリエゾン九州のHP内の「栗野的視点」を参照)
先行きに見えた明かりを成功と勘違いしたところから悲劇が起こっているが、いずれにしろ起業直後に起こる失敗のパターンである。
次の段階は上場前後である。
この段階のベンチャーはある程度成功していたり、すでにベンチャーキャピタルや監査法人が入っていることが多い。
中には上場が秒読み段階のところもあるだろう。
車でいえばアクセルを踏み込み加速している段階であり、こうなるとスピードダウンは言い出しにくい雰囲気になる。
当然のごとくベンチャーキャピタルは彼らのスケジュールに従って事を運び始める。
そのことが上場を急がさせられてるように感じることもあるが、一番有頂天になり地に足が着かなくなっているのは当の本人だ。
E社は上場がタイムスケジュールに上がった頃から増産に向けて設備投資に走った。
金融機関もキャピタルも誰1人急激な設備投資に異を唱える者はいなかった。
それどころか設備投資を煽る雰囲気さえあった。
ところが市場の状況が変わり、新工場は開店休業状態。
残ったのは設備投資の借金のみ。
結局、上場は諦めた。
F社の社長は上場を考え出した頃から頭を悩ませていた。
本人所有の持株比率が低く、一族の分を合わせても30%を下回っていた。
経営権を守るため増資を行ったが、その資金は金融機関からの借り入れで賄った。
今のようなゼロ金利時代ではなかったため、今度は借金の金利だけでもバカにならなかった。
借金返済のためには早く上場して、そこから得た創業者利益で返すほかなかった。
そのため上場を急ぎ、社内整備が不十分なまま上場した。
そのツケが上場後に回ってき、気が付いたら自分の会社から追われていた。
このほかにも株価を維持するために粉飾決算まがいのことをしたり、経営権維持のために虚偽の報告をしている企業は西武鉄道を例に取るまでもなく多い。
まとめてみよう。
ベンチャーが失敗しやすい箇所は2カ所ある。
まず最初の1カ所は離陸時期。
周囲からやたら持ち上げられ、講演などに引っ張り回され出すと危険信号である。
市場規模の大きさに喜び、捕らぬ狸の皮算用をして喜んだ事業はほぼ間違いなく失敗する。
次の危機は上場前後に来る。
この段階ではキャピタル等からの資金も流入し、有頂天になり、地に足が着かなくなる。
金が人を狂わせる。
この頃に使った金はほとんど無駄金で、残らない。
金の使い道は昔から決まっている。女と博打だ。
無意味な贅沢品を買うか、夜の街で豪勇し女に金を使うぐらいなものだ。
社員のために何かしたなんて話は聞いたことがない。
真面目な経営者程遊びで失敗しやすい。
なにより多いのは、上場直前になって自身の持株比率の少なさに気付き、慌てて変な手を打つことだ。
ひと言でいえば資本政策の失敗である。
好事魔多し、とはよく言ったものだ。
調子がいい時ほど注意したい。