まろの公園ライフ

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わが心の師匠

2011年08月10日 | 日記
皆さんは「和多田勝」さんを知っていますか?
東京の人はもちろん、最近は大阪人でも
その名前を知る人はもう少なくなったのかも知れない。
エッセイストでイラストレーター。
人懐っこい笑顔でタレントとしても関西では大活躍だった。



あたたかくユーモアあふれる絵には独特の味わいがあった。
大丸百貨店宣伝部の出身だけに時代感覚も鋭敏で
関西では売れっ子イラストレーターだった。
その名を一躍有名にしたのはやはり田辺聖子さんとのコンビだろうか。


 

田辺さんのたっての願いで文庫本の表紙や挿絵を数多く手がけられた。
和多田さんの「はんなり」とした画風と、田辺さんの「ざっくぱらん」な文体が
みごとに一つに溶け合って、文庫本の売り上げは急上昇。
和多田ファン、聖子さんファンは一気に増えた。
かく言う私も、以前から和多田さんの絵の大ファンで
とにかく「一緒に仕事がしたい」一心で企画書を書きあげると
忙しいスケジュールの中で望外にも引き受けて頂いた。



毎日放送の「和多田勝のふれあい散歩」というラジオ紀行番組だった。
南海電車のスポンサーで、沿線の名所や旧跡、行事、名物さんなどを訪ね歩き
和多田さんがインタビューと語り役を、私が取材交渉や構成台本を担当した。
その仕事の楽しさと言ったら、ちょっと言葉では言い表せないほどで
月に二回の取材の後は「ノドを潤す」と称し、決まってミナミで打ち上げをやった。
和多田さんは人柄も画風そのままの人で、番組が続いた4年間で一度たりとも
機嫌が悪かったり、不愉快な顔をされたことはなかった。

その間、スポンサーの要望で和多田さんは取材地でスケッチを描き始められた。
番組用のテレホンカードやスポンサーのPR誌に載せるためだ。
おかげでプロのイラストレーターの仕事を目の当たりにすることが出来た。
まあ、とにかく描くのが速い!
電車の待ち時間や休憩の間に、ものの30分もあれば一枚描き上げてしまう。
構図の的確さ、デッサンの大胆さ、色づかいの多彩さには舌を巻いた。
ところがある日、そんな和多田さんが・・・

「どうせなら一緒に描きませんか?」
「え、僕がですか?」
「30分、ボーッと待っているより、一緒に描いた方が楽しいやないですか。
 それでもって後でビール飲みながら合評会しまひょ」


<大阪城>

そんなこんなで私の「スケッチ人生」が始まった。
人生などと言うと大仰だが、人生に新しい「楽しみ」が増えたのは間違いない。
とにかく和多田さんに合わさないといけないから「速く描く」ことも必死で覚えた。
木が多ければ「間引けばいい」、邪魔なものがあれば「省けばいい」
「絵は写真と違ってそれができるんやから」などということも教わった。
ビールを飲みながらの「合評会」では、過分なぐらい褒めて頂いた。
楽しかった、勇気がわいた。


<大阪ビジネスパーク>

そんな和多田さんから一度だけ厳しく言われたことがあった。
絵が面白くなった私が、専門学校でちゃんと習おうかなと言ったところ・・・

「それだけはやめなさい。絵は習っていいことなんか一つもありません」
「そうですか・・・」
「絵がうまくなりたい、と思った瞬間から絵はつまらなくなります」
「でも、ヘタよりはうまくなりたいと・・・」
「ヘタでええやないですか!上手な絵が人を感動させるとは限りません。
 ○○君の絵は自由で味があって、人柄が出てる。
 私も感心することがありますよ」
「ホ、ホンマですか?」
「それでええやないですか。絵を習うなんてアホなことを考えたらあきまへん」
「わかりました。ありがとうございます」
「そうや!もうちょっと絵がたまったら、一緒に個展をしまひょ」


その時の私は不覚にも涙が出そうになった。
「ヘタでいい、楽しく描こう、金輪際、絵を習おうなんて考えないぞ」と心に決めた。
その和多田さんが急に体調を崩されたのは、それから数カ月後だった。
大好きなビールが「最近、ちっともうまくなくてねえ」の言葉が気になっていたが。

和多田さんが亡くなったのは1994年1月31日。
まだ52歳の若さだった。
そして私は、その和多田さんの年をこえて生きている。
せめてヘタな絵を描き続けていこうと思う。

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6 コメント

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Unknown (ヒガシ)
2011-08-10 17:11:15
和多田勝さん……懐かしいお名前です。
まろさん、いい出会いがあったのですね。
「うまくなろうと思ったときから、つまらなくなる」――ぐさりと来ますね。文章も同じですね。
和多田さん、そんなにお若かったとは。
先達はみなさん、「大人」に思えます。
返信する
Unknown (まろ)
2011-08-10 17:46:33
ヒガシさん
やはりご存知でしたか!それだけでうれしいです。
僕は悲しすぎて葬儀にすら出なかった不義理者ですが、心にずっと抱いて生きています。
大阪にもああいう人がめっきり少なくなりました。
返信する
和多田勝さん。 (関西人)
2011-10-24 01:53:49
まろさん、はじめまして。
和多田勝さん、もうお亡くなりになられていたのですか・・・。
こちらの日記で初めて知りました、関西を離れて随分経つものでして・・・。
学生時代にKBS京都のラジオ番組を聞いていました。
噺家さんのような軽妙で、かつ柔らかい語り口で、少しハスキーな声が今でもはっきりと記憶に残っております。
まだお若かったのに・・・もうあのお声が聞けないなんて、残念でなりません。

まろさん、ひとつお願いですが、和多田さんをご敬愛なさっておられたのならば、本文中の最後から四段目の表現を、ご一考いただけませんでしょうか。
言葉を紡ぐことを生業とされておられる方が、お書きになられたとは思えない位にドライな表現で、少し戸惑いを覚えてしまいましたので・・・。
返信する
反省 (まろ)
2011-10-24 13:41:06
関西人さん
コメントありがとうございます。
昔から「去る者日々に疎し」と言うように、和多田先生を知る人もだんだん少なくなって来て、淋しい思いをしていましたから、和多田さんを覚えておられる方がちゃんといるというのは本当にうれしいことです。
ご指摘の四段目というのは最後から四行目の「死亡」に関する記述でしょうか。もとより私に他意はなく、あえて客観的な事実だけを述べたのは後段の三行を生かすためでもあるのですが、関西人さんがドライと感じられたのであれば、配慮が足りなかったかも知れません。大いに反省します。
ご指摘ありがとうございました。
返信する
こちらこそ反省です。 (関西人)
2011-10-26 13:23:54
まろさん、私のコメントにお耳を傾けていただきまして、ありがとうございます。
検索してみて初めて知りました。和多田さんが、松鶴師匠の親戚筋にあたるかたで、以前、“笑福亭小つる”のお名前で高座に上がられていらっしゃったとは・・・。
こちらこそ、ご本人のことを何も存じ上げないのに、偉そううにコメントを入れてしまってすみませんでした。
同じ業界で働いておりますので、何処かでお会いするかもしれません。
今後とも、宜しくお願い致します。
返信する
ご指摘 (まろ)
2011-10-27 10:07:19
関西人さん
わざわざの再コメント、恐縮です。
物書きの端っこに連なりながら、生来のいい加減さが災いして、記事にもいろいろ間違いや表現不足が多く、さまざまなご指摘を受けます(苦笑)
その度に反省はしているのですが・・・
お気づきの点があれば、また厳しいご指摘を下さい。
和多田さんご自身は「小つる」時代のことは余りいい思い出がないようで、私が聞いても多くを語られませんでしたが、なかなか将来を嘱望された噺家さんだったようですよ。
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