
成田に3年も住んでいで、一度も歴博に行けなかったことを悔いている。
京成佐倉に降り立ったのは何年ぶりだろう。20年?いやもっとだ。
閑散とした京成佐倉の駅前。高校生の頃、アルバイトの面接で落とされた味噌屋はもう跡形もなく、なかった。
「震災の記憶」という特別展が国立歴史民族博物館で開催されていた。
東日本大震災から3年が経とうとしていた3月、わたしは佐倉に降り立ち、歴博を目指した。
風の強い土曜日。
あれから3年も経ったのかと強く思う。
そして、今年は被災地には行かなかったことを少し悔やんだ。
3年が経ち、わたしたちの記憶から少しずつ被災地への思いが薄らいでいるのは事実だと思う。「復興」と聞いて、もう遠い記憶のような意識が東京にはある。
だが、まだまだ被災地は復興のスタートラインにも立っていないと聞く。
その思いは2013年の3月に被災地を訪問した際に、わたしが実感した感想である。
復興とは程遠い、ショックドクトリンなどという大仰な復興計画や福島を切り捨ててしまう様々な圧力は、実はわたしたち自身ではないかと省みたりする。
したがって、この震災の記憶をわたしたちはどのように留めていくべきなのか、それをこの特別展の中で見出したいと思った。
だが、多くの哀しみがそこにあるように、それを思い出したくないという思いもそこにあるのは事実である。だからこそ、これまでの震災や天災の記録はあまり多くを留めてこなかったともいえる。
また、事実を歪曲したいというネガティブな心理も働いたとしたら、記録は曲解されてしまうこともあるだろう。だからこそ、歴史は繰り返されてしまうのだろうか。
だからこそ、怖いのだ。
事実、それを政治が利用し、或いは復興ドクトリンに組み込まれていたりする。
記録とは一体なんなのだろうか。
それは、人間のアーティファクトであることをまざまざと見せつける。
だって、人間のさじ加減次第なのだから。
こうしてみると、記録というものが、人間の認知によって変化していくことはひとつの示唆をあたえているともいえる。それならば、もっともっと、わたしたちは記録することにこだわるべきではないだろうか。
東日本大震災から3年が経ち、なんとなく東京に住む大勢の人たちは通り過ぎてしまった過去のように感じている。だが、本当にわたしたちは記録したのだろうか。ただ単に記憶にのみ留めたのではないだろうか。
そのために、わたしたちはいつも被災地に目を向けていなければいけない。だって、被災地を見つめる視点も、被災地から見つめる視点も、わたしたち自身なのだから。
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