「駒忠」を出て、H常に別れを告げようとすると、彼はこう言った。
「立ち飲み、連れてってくださいよ」。
「君が、好きそうな、立ち飲みバルは、この辺にはないよ」とボクは返した。
「汚いとこがいいです」と、彼は朱勝な顔をして言う。平成生まれの若者には、珍しいタイプだった。
それならば、もうアメ横しかない。
「じゃ、上野に行こう」。
何故か、ボクらは、アメ横まで、歩いて行った。ざっと、2駅分。
汚いとこをお望みなら、もうあそこしかない。
「たきおか」。
3号店でもなければ、2号店でもない。本店の「たきおか」。常連だろうが、一見だろうが、容赦ない接客。洗礼は誰もが等しく受ける。客も店員も平等。この世界では、客だから偉いというわけではない。それを最も感じられるのが、「たきおか」だと思う。
その世界を若い者に感じてほしかった。
例えば、「たきおか」では、小さな声で注文した際、店員が、「えぇ?」と聞き返す時がある。「たきおか」はいつも、満員で、ざわついているから、それは決して珍しいことではない。それを若者は、どう感じるか。どう捉えるか。
「だから、こういう店は嫌いだ」とでも感じるか。それとも。
客は神様であるというのは、文字通り神話だ。顧客満足度なる指標のために、我々は多くのものを失ってきた。「たきおか」は、かつての居酒屋サービスの原点だと思う。
店に入った瞬間、H常には多少の戸惑いを感じた。少し、落ち着きがなくなっている。店は満員で、かなり騒がしい。人の合間を縫って、ボクらは奥のエリアにポジショニングした。
ボクは、ホッピーセットにしたが、H常は決めあぐねている。そりゃ、そうだ。奴さんが好きなカクテルはない。彼が飲めそうなのは、「レモンハイ」と「グレープフルーツサワー」くらいだろうか。
そう彼に告げると、H常は頑なに拒否し、ボクと同じ、黒ホッピーを所望した。
「無理すんなよ」。
とは言ったが、彼は、店員の女性に、自らホッピーを頼み、そして飲んだ。
「ホッピー、うまいっすね」
彼は快活に言った。その顔は、さっきの緊張した面持ちとは、ちょっと違っていた。そして、自らつまみを頼み、周囲のオヤジらに溶けこんでいった。
「たきおか」で、若い男の姿はなかなか見ない。けれど、それは若者の酒離れとは違うと思う。飲みに連れていく、先輩が少なくなっていることも影響しているのではないだろうか。
終身雇用システムが崩れ、非正規雇用の労働者が増えた。先輩と後輩がシームレスになり、働く人の関係性が変わった。酒を飲みに連れていくという機会は、かなり減っているだろう。
オヤジらも、傷つくのが怖いのだ。
「立ち飲みなんか、行かねーよ」。
いや、一歩を踏み出すのは、若者だけじゃない。オヤジらも同じだ。
「立ち飲み、行こうぜー」。
それが、はじめの一歩だ。
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