
同店は、精進料理のお店である。
動物性の食品を使わず、出汁も一切植物性のものでこしらえるというお店でカレーを食した。
秋葉原駅の高架下に見本食品館が経営する「CHABARA」という全国選りすぐりの食料品店が出来たのが、2013年。
ボクは最近、味噌汁作りに目覚めたせいで、ここに度々味噌を購入しにきている。
この「CHABARA」にテナントしているのが、「こまきしょくどう」だ。
精進料理とは珍しいので、一度食べてみようかとお店に入ってみたのがきっかけ。
店頭で食べ物を選んで、お会計をしてから、テーブルに着くというシステムの同店で、何を食べようか迷った挙げ句、選んだのは、一通りの品が食べられるという「口福定食」(1,500円)だった。
その日のお惣菜を全種類とご飯とお味噌汁のセットにあったのが、カレーであった。
まず、一口食べてみて感じたのは、インドのカレーに風味が似ていた点である。
もしかして、インドのカレーの原点は精進料理にあるのではないかとの思いに至ったのである。
その仮説を胸に、ボクは再度「こまきしょくどう」を目指した。
「精進カレー定食」(950円)を食しに。
その「精進カレー」を口にして、はじめに思ったのは、鼻に突き抜ける香りがインドカレーそのものだった。
ここ最近、カレーを求め、神田練塀町の「ジャイヒンド」や神田佐久間町の「アジャンタ」を訪問するものの、実はどこか違うと思ってきた。
ボクがインドで食べてきたターリーはこんな味ではなかったと。
もちろん、両店とも本場のシェフが作るとともに、特に「ジャイヒンド」は人気店でもある。しかも、間違いなくおいしい。だが、何かちょっと違う気がするのだ。
それが、何故、和食の精進料理の「こまきしょくどう」でインドカレーそのものを感じてしまったかといえば、それは食材にあるのかもしれない。
「こまきしょくどう」の考え方が素晴らしい。
同店のHPによると「お付き合いのある新規就農や有機の農家さんの野菜、滅びゆく乾物などを積極的に取り込み、昔ながらの発酵醸造の調味料、ご縁で使わさせていただいてます」とある。
具体的にどのようなものを使っているかは分からないが、食材には生命力にあふれた大地の恵みを使用していることはひしひしと伝わってくる。
自然の恵みがつまった食材だからこそ、その芳香と味わいが深いのだと思う。
そのカレーだが、まずはひよこまめを使用していることは香りからも明らかだ。これがカレーの豊かな香りを形づくっている。
あとは複数のスパイスをいくつか取り入れており、それが重層的な味わいになっているのがよく分かる。ボクは素人だから、その正体が何なのかは分からない。
ただ、精進料理なので、生薬としての胡椒やカルダモンやフェンネルといったものを効果的に取り入れ、深みのあるカレーにしていると感じた。
ガラムマサラは使用していないと思う。それでも、この湧き上がるインド感には感動すら覚えたのである。
インドは言わずとも知れた仏教発祥の地である。
釈迦が開祖の仏教は、戒律五戒で肉食が禁止されてきた。それがつまり精進料理へとつながっていくのである。
野菜、豆類、穀類を工夫して、編み出された精進料理は、インドのカレーやサブジーとまさに同じものである。
当然、影響を与えないわけがない。
ボクはインドの苛烈な土地において、あのスパイシーな料理の数々は、滅菌や臭み消しといった目的のもとで作られてきたのだと思っていた。
いや、もちろんその目的もあるだろう。だが、その由来は殺生を禁じた仏教にあったと考えられるのだ。
「こまきしょくどう」のカレーは本当においしい。
ごはんとお味噌汁がおかわり自由なので、それぞれもう一杯ずついただいた。
不思議なのは、お味噌汁。
動物性の出汁を使わずして、どのようにうま味を出しているのだろうか。
普段飲むお味噌汁とそん色ない、いやそれ以上においしいお味噌汁。
まさに感動の1杯なのだ。
「こまきしょくどう」の考え方をみると、思わず食に対する真摯な言葉にハッとしてしまう。
「『毎日食べるもので日本の食文化は守られる』という考え方」のもと、「農作物、発酵醸造調味料、乾物日本は良い食材がたくさんあること」を改めて教えてもらう。
そして、 「種を蒔けば簡単に野菜が出来ないこと」と「滅びゆく食材もあるということ」に胸をつかれる。
そうなのだ。ボクらはあまりにも食事を軽んじてしまっては、いやしないか。
生きていくために食べる食事を生命力のない食材で食べてしまってはそのパワーを獲得することができない。
そうなのだ。だから、インドはパワーにあふれているのだ。
地域と時間を縦横無尽に旅することができるランチ。
いいお店が近所にあるのは幸せなことだ。
「俺が作ってるインドカレーは、インドで食べた菜食としてのカレーとは、全く異なるものだ。」ということに・・・。
それは俺の作るカレーに、肉を入れてるからという単純な違いではない。
「インドのカレーは、出汁を取ってはいない。」ということに、今更ながら気づいたんだ。
炒めた素材に、水とスパイス、バターなどの油脂やヨーグルト(厳密な菜食であれば、多分バターやヨーグルトは使ってはいけないと思うけど・・・。)を加えて軽く煮込むか、もしくは水とスパイスと油脂やヨーグルトに、そのまま素材を入れて軽く煮込み、塩で味付けをするというのが、インドカレーの王道の作り方なのではないかと思う。
ただ、素材自体から多少の出汁が出る形にはなると思う。軽くでも煮てるからね。けれど、俺みたいに出汁を取ったものに、素材を入れて更に煮こむという、和食の煮込み料理的なことは、インドのカレーはしていないだろう。
そんな訳で、師が感じたこのお店の本格インドカレー感は、出汁を使っていたとしても、動物系を使用していない昆布・干ししいたけなどの植物性出汁。そして動物系油脂を使用していない事により、味の深みやコクを出すため、スパイスを工夫したり、多めに利用したことに起因するのではないかと思うよ。
時に野菜の素材の味だけを楽しむ、こういった菜食も、いいかもしれないね。
カレーもダルも基本は豆と野菜とスパイスだよ。
暑い地域において、食のプライオリティは、食材を痛ませないことと、毒消しだと思うんだ。
師の指摘するように、結果的に野菜のうま味が出汁になってるのかもしれない。
それも、結果的ではなくて、意図されたものとしてかもね。
食の何を優先順位にするかによって、料理は生態的であって、固有の文化を持っているのだと思うよ。