
有楽町線の江戸川橋という駅名が昔から不思議だった。江戸川って23区の東端だし。何故ここを江戸川橋というのか。今回、、初めて江戸川橋から北を歩いてみたところ、その謎が解けた。
江戸川公園を神田川沿いに進み、目的地に向かう途中。こんな碑を見つけた。
「大洗堰の由来碑」。
近くにある解説文を読むと、かつてこのあたりの神田川に「大洗堰」なる堰があったらしい。今じゃ、その神田川は深く掘削されて、見る影もない。この「大洗堰」は大きな滝があったことから、江戸のちょっとした名所になっていたという。
この川は現在神田川と呼ばれるが、元々は平川という川で、徳川家康が江戸に赴任した頃より、江戸の飲料水の確保に充てられたようだ。家康の赴任が1590年。江戸をどうする? と迫られた家康はまず、水の確保からスタートしたともいえる。井の頭池から水を引くため利用されたのが、この平川で、これが神田上水となった。もう400年も前のことである。
江戸に水を引く上で大きな役割を果たしたのが、この大洗堰だったようだ。この時、平川は堰から飯田橋が江戸川に、飯田橋以南は神田川に改称されたという。
江戸川橋の駅名にこれで納得。
ついでにおや? と思ったのが関口という地名。もしや、大洗堰の堰が由来だったりしてと思ったら案の定。ただ、これには諸説あるらしい。
その後江戸川が神田川に統一されたのが1965年というから、たかだかまだ60年弱なのだ。
かぐや姫の名曲、「神田川」がリリースされたのが1973年。神田川への改称から、僅か8年後のこと。作詞の喜多條忠さんは早稲田大学の近くに住んでいたというから、大洗堰よりも上流だ。堰から下流が江戸川だから、そのあたりは平川だったと思われる。1973年当時地元ではまだ神田川の呼称は一般的ではなかったのではないのではないか。喜多條さんは1947年生まれ。大学入学の年に川が神田川に改称されたのではないだろうか。さすが団塊の世代。
ともあれ、この大洗堰と江戸川。そして江戸川橋。
ちょっと謎が解けた。
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