
ダブル台風が日本に近づきつつあった。
そのうちの一つは九州を北上しようとしている。なんとなく嫌な予感がしていた。台風の進路を示す予報円の中に博多出張が予定されていた。
仕事の依頼元から、こんな電話がかかってきた。
「前泊されてもいいですよ」。
判断に迷う指示だった。ただ、先方としても自分に慮って強くは言えないのだろう。しかし、そう言われた以上、こっちも責任を回避しなければならない。もはや、「飛行機が飛ばなかったので行けませんでした」は通用しなくなった。
急遽、前泊にする予定に変更した。A社の仕事は飛行機のチケット、ホテルの手配も自分でやらなければならず、これが結構難儀だ。
ともあれ、その日、飛行機は無事に飛んで、5年ぶりに博多に入ることができた。ホテルは地下鉄の赤坂という駅で降りて、数分の場所にあった。
チェックインしたのが19:30。
さて、まずは立ち飲みでも行こうか。その後のことは飲んでから考えよう。
ホテルを出て僅か20秒、早速立ち飲み屋が見つかった。ホテルの3軒隣に角打ちがあったのだ。これを狙ってホテルをとった訳ではなく、本当に偶然だったのだ。立ち飲みの神様が味方してくれたのか。
ただ、店の外から店内を見て、ものすごく入りにくいお店だった。店内は賑わっていて、自分が入り込んでいくスペースがあるのかも分からない。角打ちは個人商店の独特のルールで運営されているし、地方独特の雰囲気があって、とにかくなんだかややこしそうだった。入ってみないと、何も始まらない。自動ドアを開け放ち、ゆっくり前に進む。
初めての店に入る時、なるべくゆっくり動作するようにしている。あらゆる情報を収集するためだ。
ポジションは空いてるか否か。キャッシュオンか会計か。お客さんの属性は? お客さんは何を飲んで、何を食べているか、などなど。
幸い、この店は入口から立ち飲みコーナーまで、数mの距離があり、多くの情報を得ることができた。その際、お店のお母さんと思しき、人と目が合った。お母さんは不安そうな顔を湛えていた。
「この見かけないおっさんをどうしようか」というような顔つきである。
ここは常連さんのお店らしい。知らない人はあまり入れたくないんだな。これはいかん。まずはお母さんに挨拶しておいた方がいい。
自分はお母さんに近づいて、出張で来たことを告げ、飲ませてくれないかとお願いした。すると、お母さんは、テーブルの空いているスペースを指差し、「あそこで飲んでね」と言った。「飲み物は自分で冷蔵庫からとって申告して」と。
やはり、お母さんのところに最初に行っておいてよかった。初めからテーブルにポジションしていたら、孤立無援で行き詰まっていたことだろう。これで自分は晴れてお母さんのお墨付きをいただいたことになる。これはある意味、博多を象徴しているともいえる。炭鉱の町では、何をするにも胴元や仕切り屋に挨拶をしなければならない。
さて、空いたスペースにポジションして、冷蔵庫を物色する。さすが酒屋、なんでも揃っていた。とりあえずはビールで様子を見るか。
「一番搾り」を取り出し、お店のお母さんに掲げて申告した。すると、お母さんはコップを持ってきてくれた。なんとなく盃が交わされたような錯覚を感じた。
心に余裕が出てきたことで見えてくるものもあった。
店内には立派な厨房があり、お父さんが調理にあたっていた。様々な料理も供されている。
何にしようかな。
次の展開を考えつつ思案に耽る。
周囲のお客さんを眺めてみた。
老若男女、様々な人が集うが、大抵はグループ。一人客は自分しかいなかった。3,4人の人らで賑わっていて、店内はかなり騒々しい。彼らが飲んでいるのは、様々だった。缶チューハイをひたすら飲むグループ。ボトルで飲む集団などなど。ふと棚を見ると、ボトルキープの焼酎が置いてある。
そうか、やっぱり九州に来たら、焼酎だな。ならば、次は本格焼酎で攻めるか。棚を見ると、飲み切りサイズのワンカップもある。ただ、それが黒霧だったのがちと残念。
料理はお母さんの元へ出向き、「マカロニサラダ」と「チーズ」をお願いした。思惑通り、両方ともすぐに出てきた。色合いといい、粗挽きの胡椒といい、似たような料理で自分のテーブルは彩られた。
「マカロニサラダ」はマカロニの火通しが絶妙でうまい。
ビールを飲み干し、棚から黒霧のワンカップをとって、お母さんに向かって掲げた。お母さんは頷きながら近づいて、「飲み方は?」と訊く。「ロックで」というと、氷とグラスを持ってきてくれた。心なしかお母さんの顔が柔和になっている。
九州北部は麦焼酎ときいているが、酒屋の棚にそれらしいのがなくて、仕方なく黒霧を選んだ。昔、本格焼酎が流行った頃、麦チョコ系の焼酎にハマった。「兼八」とか「泰明」とか買って、よく飲んだが、あれは大分県の造り酒屋さんだったか。あの辺の焼酎をもう一度飲んでみたい。
地方の角打ちは地域の特徴の縮図だと思う。
「さすらひ」史上、最も入りにくかった立ち飲みは、大阪の「ミナミナワ」だったが、一度入ってしまうと、後は皆優しかった。大阪の人はあれこれと話しかけて、仲間に入れてくれる。仲間と認められている訳ではなく、詮索されているともいえるが、それでも彼らは少なくとも無関心ではない。大阪の立ち飲みで話しかけられなかったことはなかったと思う。
けれど、この「長酒店」にいるお客さんはとっつきづらい。目も合わせなければ、とりつくしまもなかった。もっとも彼らはグループ客で、数人のサロンが形成されていたこともあり、他のグループと交わることはないかもしれない。東京の角打ちだと、ほぼ個人で来訪し、「やぁ、山ちゃん」とか、「お、ゴリさん」とか、個の繋がりが強いが、この店ではそんな横の繋がりが全く見えず、そこは驚きだった。これが博多っ子なのか。
お会計の際、お母さんは笑顔になってくれた。はじめ入店した時とは表情がまるで違う。
「楽しく過ごせました」とお礼を言うと、さらに顔を綻ばせた。
「長酒店」は福岡、博多の縮図ともいえるお店だった。
さて、次はどこへ行こうか。
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