紫のスカーフのリキシャーワーラーに近づき、ピンクシティの観光料金を尋ねた。
彼は、リキシャーに乗ったままのぞんざいな仕草で、「90ルピー」と言った。
やっぱり。強気に出てきたか。
90ルピーといえば、アーグラーのリキシャー料金よりも高い。
話しにもならない。
わたしは、そんな素振りをみせて、踵を返した。すると、例によって、紫スカーフのリキシャーワーラーは、けだるそうな声で、「マスター、ハウマッチ」と言った。いや、想定している料金と違いすぎる。わたしは、相手にしないようにした。
リキシャーワーラーは、少し大きな声で、「マスター!」と言った。わたしは無視して、ゲストハウスに入った。
この町の観光は難儀になるだろう。ゲストハウスの前にたむろしているリキシャーワーラーはかなりツーリストずれしていた。別の場所で、流しのリキシャーをつかまえるのが得策かもしれない。
そんなことを考えながら部屋に戻ると、突然便意をもよおした。そういえば、退院してから、まだ一度も大きいのをしていない。
トイレに入り、用を足そうとして思い出した。トイレットペーパーを使いきっていたんだっけ。今さら、買いに行く時間はない。ここはもう観念するしかないだろう。インド式の作法である。
以前も書いたが、インドのトイレは和式に似ている。そこにまたがって用を足すのだ。日本と異なるのは、手を使ったお尻の洗浄である。これは余りにも有名だが、問題は、その方法だ。手を使った洗浄は、トイレに備えつけられている小さな桶を使うはずだが、これの使い方が分からなかった。腰に水を這わせて洗うか、それとも前部から行うのか。
まずは、後ろから水を垂らしてみたが、うまくいかなかった。次に前部から、左手を使って水をかけたりして、洗ってみると、なんとかできることが分かった。だが、このやり方でいいか、確信はなかったが、どうにか問題なくできた。
わたしは、少し嬉しくなった。
ターリーはまだ、手を使って食べることはできないが、トイレはなんとかできた。これまで通ってきた国は、それほど大きく文化の違いは感じなかったが、インドは全くもって違う。何から何まで驚きの連続である。この国を理解するには、いかに自分から、インドにアジャストするよう努力できるかである。自ら働きかけていかなければ、インドに溶けこむことはできないだろう。
わたしは少しだけ、また自由になれた。
それに、紙使わないから、(乾季のインドではすぐ乾くもんね。ただ、雨季はどうなんだろうね。)資源の無駄遣いにもならないし。
しかし、人間ってなんで、自分の体の中にある時やくっついてる時はそんなに気にしない癖に、体から出ていった瞬間、凄く汚いものだって考えるのかな。
髪とか、爪とかでも、場合によっては異常に嫌悪するよねえ。
確かに師の言うとおり、さっきまで体内にあったものが、出てきた途端、汚いものになるって、一体どういうことなんだろう。そういう自分らの常識を覆してくれるインドってやっぱりすごいところなんだよ。
でも、インドって全て理にかなっていると思う。むしろ、自分らが都市生活となって、失っていったものの大きさを改めて感じるんだ。
ただ、インドも都市化が進んでいるのは確かだね。
旅の重要なファクターは食だけど、トイレも要素もかなりあるね。中国の「ニーハオ・トイレ」の洗礼もすごかったけれど、インドのトイレ事情もやばかった。