
今年も来た。
週末の金曜日、わたしと社長はJR田町駅西口、第一京浜を渡ったローソンの前でH氏を待った。
毎年恒例の接待大会だ。
我々の背後には慶應義塾通り。さすがに週末、その小路に吸い込まれる人の多いこと多いこと。
三田の飲屋街は、ほぼこの小路に集約される。クルマ一台やっと通れる、この狭い通りに幾つもの飲食店が軒を連ねる。この通りを抜けていくと慶応義塾大学の三田キャンパスへと繋がっていくのだ。
18時半を過ぎた頃、そんな狭い小路をH氏の先導で、我々社長とわたしが後に続く。この慶應義塾通りは縦横に狭い小路が次々に枝分かれしており、それぞれに飲食店が軒を連ねているのだ。
そんな、迷路のような道を辿って、H氏は目当ての店の前で止まった。
緑色の店のテントに「御食事処 和子」と記されている。
ひどく、地味なお店だった。
昨年の六本木「ステーキダイニング 湛山」と比べれば、ほぼ180度も転換した店の風情だった。
そして、H氏が先導をきって、店の戸を開けると、やはり店内も至って地味な造りになっていたのである。
お店右側に厨房、それに沿ってカウンターが並ぶ。お店左手がテーブル席。テーブルは3つほどで、奥が小上がりになっている。12坪ほどの小さな店だ。
お客は誰もいなかった。
我々はテーブル席の一番奥に陣取った。
やがて、一人の女性がお絞りを持って現れた。その女性はとても若かった。中学生?それとも高校生?それほど幼い顔をした女性がオーダーを取りに来た。
社長が「生ビール3つ」と注文する。
おや?珍しい。社長が注文したのは瓶ビールではなかった。
しばらくすると、普段着で働くその若い女性が生ビールを3つお盆に乗せて持ってきた。ジョッキにはアサヒスーパードライのロゴマーク。どうやらこの代物は「KARAKUCHI」らしい。
普通の中ジョッキを掲げて我々は乾杯した。
社長がジョッキを持ってングングとビールを喉に流し込んでいる。
普段見慣れない姿に大きな違和感があった。
社長の酒の席はものすごい。
いきなり、仕事の話しをかまし、それが延々と続く。社長には遊びの話しはおろか、世間話もない。そうして、口火を切った社長の声がボソボソと店内に響く。なにしろ、店内の客は我々一組。他に聞こえてくるのは厨房の角にあるテレビの音だけだ。
社長は、話しに夢中だった。
酒肴も頼まず、とにかく延々とH氏に話しを続けた。
H氏もわたしも、相槌を打ちながらジョッキを傾けた。
一通り、話しを終えて、やっとテーブルに酒肴がないことに気づく。
「なんか頼もう」。
社長が、そう言って、若い女性店員を呼びつける。
「なにか、料理を頼むけれど…」。
と言うと、その女性は「カウンターのお皿に盛られたものから選んでください」と言う。
我々がカウンターに目線をやると、お皿は4つあり、中にきれいに料理が盛られていた。
どうやら、酒肴はそれしかないらしい。
厨房の向こうには、これまた若い女性がもう一人居て、店番をしている。他に人の気配はない。恐らく2人は姉妹であろう。顔つきが似ているのである。
社長は、その皿を指差して、「全部持ってきて」と幼い店員に促した。
そうして、運ばれてきた酒肴は、「鶏肉と蓮根のお煮しめ」「ひじきの煮物」など純和風のお料理だった。
わたしが、それぞれを小皿にのせてH氏と社長に配膳した。
その間、次々に料理が運ばれてくる。もう一皿は「イカの煮付け」だった。何故か、全てが煮物だった。
H氏が2杯目のビールを飲み干すと、社長はすかさず、焼酎を頼んだ。麦焼酎をボトルで。もちろん、お湯割り用のお湯も忘れずに。
お湯割を作ったのは、わたしの役目だった。
昨年こそ、六本木で焼酎は作らなかったが、例年この会ではわたしがH氏の焼酎を作る。これも1年に1度の居酒屋放浪記である。
密談をする場所としては申し分なかった。他に客が居て、ざわざわしていれば、話しに集中できない。まさか、H氏はそれを見越して、この店をチョイスした訳では、なかっただろうが、ともかく結果的に静かな酒宴が行えた。
お料理も手作りでおいしかった。まさにお袋の味であった。
帰り際にH氏は「お母さんは元気?」と2人の店員に話しかけた。そのうちの若い子の方がこくりと頷いてみせた。どうやら、この子らは、和子さんの娘さんたちらしい。
わたしは、お袋のことを思い出した。
「お袋元気にしてるかなぁ」。
実は、ウチのお袋も「和子」というのだ。
―過去3年間のお接待―
■ 居酒屋放浪記NO.0014 ~ノーヒッター、野武士の左腕が震えた夜~「善や」
■ 居酒屋放浪記NO.0058 ~今年も恵比寿で5時~「善や」
■ 居酒屋放浪記NO.0118~今年は六本木で6時~「ステーキダイニング 湛山」
週末の金曜日、わたしと社長はJR田町駅西口、第一京浜を渡ったローソンの前でH氏を待った。
毎年恒例の接待大会だ。
我々の背後には慶應義塾通り。さすがに週末、その小路に吸い込まれる人の多いこと多いこと。
三田の飲屋街は、ほぼこの小路に集約される。クルマ一台やっと通れる、この狭い通りに幾つもの飲食店が軒を連ねる。この通りを抜けていくと慶応義塾大学の三田キャンパスへと繋がっていくのだ。
18時半を過ぎた頃、そんな狭い小路をH氏の先導で、我々社長とわたしが後に続く。この慶應義塾通りは縦横に狭い小路が次々に枝分かれしており、それぞれに飲食店が軒を連ねているのだ。
そんな、迷路のような道を辿って、H氏は目当ての店の前で止まった。
緑色の店のテントに「御食事処 和子」と記されている。
ひどく、地味なお店だった。
昨年の六本木「ステーキダイニング 湛山」と比べれば、ほぼ180度も転換した店の風情だった。
そして、H氏が先導をきって、店の戸を開けると、やはり店内も至って地味な造りになっていたのである。
お店右側に厨房、それに沿ってカウンターが並ぶ。お店左手がテーブル席。テーブルは3つほどで、奥が小上がりになっている。12坪ほどの小さな店だ。
お客は誰もいなかった。
我々はテーブル席の一番奥に陣取った。
やがて、一人の女性がお絞りを持って現れた。その女性はとても若かった。中学生?それとも高校生?それほど幼い顔をした女性がオーダーを取りに来た。
社長が「生ビール3つ」と注文する。
おや?珍しい。社長が注文したのは瓶ビールではなかった。
しばらくすると、普段着で働くその若い女性が生ビールを3つお盆に乗せて持ってきた。ジョッキにはアサヒスーパードライのロゴマーク。どうやらこの代物は「KARAKUCHI」らしい。
普通の中ジョッキを掲げて我々は乾杯した。
社長がジョッキを持ってングングとビールを喉に流し込んでいる。
普段見慣れない姿に大きな違和感があった。
社長の酒の席はものすごい。
いきなり、仕事の話しをかまし、それが延々と続く。社長には遊びの話しはおろか、世間話もない。そうして、口火を切った社長の声がボソボソと店内に響く。なにしろ、店内の客は我々一組。他に聞こえてくるのは厨房の角にあるテレビの音だけだ。
社長は、話しに夢中だった。
酒肴も頼まず、とにかく延々とH氏に話しを続けた。
H氏もわたしも、相槌を打ちながらジョッキを傾けた。
一通り、話しを終えて、やっとテーブルに酒肴がないことに気づく。
「なんか頼もう」。
社長が、そう言って、若い女性店員を呼びつける。
「なにか、料理を頼むけれど…」。
と言うと、その女性は「カウンターのお皿に盛られたものから選んでください」と言う。
我々がカウンターに目線をやると、お皿は4つあり、中にきれいに料理が盛られていた。
どうやら、酒肴はそれしかないらしい。
厨房の向こうには、これまた若い女性がもう一人居て、店番をしている。他に人の気配はない。恐らく2人は姉妹であろう。顔つきが似ているのである。
社長は、その皿を指差して、「全部持ってきて」と幼い店員に促した。
そうして、運ばれてきた酒肴は、「鶏肉と蓮根のお煮しめ」「ひじきの煮物」など純和風のお料理だった。
わたしが、それぞれを小皿にのせてH氏と社長に配膳した。
その間、次々に料理が運ばれてくる。もう一皿は「イカの煮付け」だった。何故か、全てが煮物だった。
H氏が2杯目のビールを飲み干すと、社長はすかさず、焼酎を頼んだ。麦焼酎をボトルで。もちろん、お湯割り用のお湯も忘れずに。
お湯割を作ったのは、わたしの役目だった。
昨年こそ、六本木で焼酎は作らなかったが、例年この会ではわたしがH氏の焼酎を作る。これも1年に1度の居酒屋放浪記である。
密談をする場所としては申し分なかった。他に客が居て、ざわざわしていれば、話しに集中できない。まさか、H氏はそれを見越して、この店をチョイスした訳では、なかっただろうが、ともかく結果的に静かな酒宴が行えた。
お料理も手作りでおいしかった。まさにお袋の味であった。
帰り際にH氏は「お母さんは元気?」と2人の店員に話しかけた。そのうちの若い子の方がこくりと頷いてみせた。どうやら、この子らは、和子さんの娘さんたちらしい。
わたしは、お袋のことを思い出した。
「お袋元気にしてるかなぁ」。
実は、ウチのお袋も「和子」というのだ。
―過去3年間のお接待―
■ 居酒屋放浪記NO.0014 ~ノーヒッター、野武士の左腕が震えた夜~「善や」
■ 居酒屋放浪記NO.0058 ~今年も恵比寿で5時~「善や」
■ 居酒屋放浪記NO.0118~今年は六本木で6時~「ステーキダイニング 湛山」
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