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旅するランチ 004 - 鶏蛋粥 - 「謝甜記」(横浜市中区山下町)

2014-02-12 19:12:28 | 旅するランチ

「旅するランチ」の第1回目で「安記」を紹介した。だが、実は「安記」よりも「謝甜記」の方が馴染み深い。中華街大通りの角、あの赤いビルが見えてくるとボクは胸が高鳴る。あの深い味わいのお粥が食べられるのと。

「安記」がいいのか、「謝甜記」の方がおいしいのか。ボクの鈍感な舌では分からない。だが、この両店が本当に甲乙付けがたいほどにおいしく、事実、ボクが通うほどにおいしい店であることは確かなのだ。

「中華料理最強説」をボクは支持している。

これは、ビールやお酒がおいしく飲める料理とは?という問に対して、ボクなりに出した答えだ。その中でのお粥の立場を考えると、多くの人が思うような生易しさではない。「お粥なんて」と一笑に付すのは簡単だ。だが、そのお粥こそ、実は最も難しい料理なのかもしれない。

釣りの世界には「ヘラに始まってヘラに終わる」という言葉がある。ヘラとはヘラブナのことである。最も簡単そうなものこそ、奥が深く、結局そこに人は辿り着くという格言でもある。ボクもヘラブナ釣りが好きで、印旛沼のほとりに住んでいた頃は、暇さえあればやったくちだ。その後、釣りを究めたわけでもないが、最近無性にヘラブナを釣りに行きたいと思う。

話しは脱線したが、この格言を中華料理の世界にも当てはめることができるのではないだろうか。つまり、「お粥に始まってお粥に終わる」と。

「お粥は小宇宙だ」とかつて、森本レオさんは「笑っていいとも」で言っていた。

ボクもそう思う。手垢にまみれた言葉だけれど、中国4000年の味を伝えているのは、間違いなく、このお粥であろう。

服部一景さんの著書「食彩・横浜中華街」によると、「謝甜記」の謝甜とは創業者である先代の名前であるという。関東大震災の翌年に来日、つまり1924年に来日し、「謝甜記」を創業したのが1951年のことだという。

お店はまだ64年の歴史だが、背負ってきた歴史は格段に違う。それは曼荼羅にも似た、小宇宙だ。 

「安記」は、ご家族による経営だが、「謝甜記」は若い女の子を使っている。

これが両店の唯一の違いだろうか。

この女の子が実に中国っぽい。2~3人ほどいる、この女の子らは、厨房の前でおしゃべりしたりして、オーダーの声が客からかかるとテーブルへと出動する。この女の子らには悪いが、あまり仕事をしない中国の小姐娘を彷彿とさせるのだ。

午後になると、「油条」が売り切れになるのだが、ボクはそれでも怯むことなく「油条は?」と聞く。もしかするとまだ売り切れていないのではとの望みもあるのだが、それよりももしかすると、小姐らが「没有」とつい口に出してしまうのではないかという淡い期待があるのだ。

したがって「謝甜記」のほうが、「安記」よりも、より中国っぽいといえる。 

中国の「没有」攻撃にボクたちバックパッカーはただただ茫然とした。

謝謝やニーハオ、再見を除いて、バックパッカーが初めに覚えるのは「没有」かもしれない。 

それはともかく、ボクが毎回「謝甜記」で食べるのは「鶏蛋粥」である。あっさりとしつつも、コクのある粥に最も合うのは鶏蛋であると思うからだ。中国人が好む「牛肉」ではないだろうし、レバーを指す「牛肝」もちょっと違う。「魚片」も悪くはないが、お粥の特性を引き出すのは、鶏蛋であると思うのだ。 

ここに来るとやっぱり紹興酒を頼んでしまう。

一品料理をつまみながら、最後にお粥で締める。

「山東」の「水餃」から始まる中華街巡り。

これがボクの旅するランチだ。

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