
横浜中華街、ボクのランチコースは決まっている。
まず、「山東」新館で「水餃子」をつまみにビール。これが最高にうまい。
他のものは頼まない。あくまで「水餃子」だけ。
「水餃子」を食べ終えると、香港路から中華大通りに出て、対面の「謝舐記」にて「鶏蛋粥」を食べる。これがボクの定番コースだ。
だが、午後を回ると、「謝舐記」では「油条」が売り切れてしまう。
「油条」とは揚げパンのことである。
お粥好きにとって、油条がないのは痛い。そこで、なんとなく、この日は「安記」に行ってみることにした。
ほんとうに、動機は「なんとなく」だった。
1996年の年末、ボクは香港にいた。
翌年に英国からの返還を控えた香港の尖沙咀では、英国の人気デュオが奏でる「ラストクリスマス」の甘い声が街を包んでいた。
香港でヴェトナムヴィザを取得しようと試みたが、年末年始のおかげで申請が滞り、物価の高いこの香港でボクはしばらく足止めをくうことになる。
なにしろ、1泊10香港ドルの宿泊代は痛い。2、3日でヴェトナムヴィザを取得したら、とっととマカオに行ってしまうつもりでいたが、先述の理由で10日間もこの香港に滞在する羽目になった。
朝,何気なしに散歩をしていると,とてつもなくいい香りがどこからともなくしてくる。
その方角に足を向けてみると,1軒のこじんまりとしたお店にたどり着いた.何の店だろうと覗いてみると「粥」の文字が店内の壁に描かれているのが見えた。
正直なところ、「粥か。病人じゃあるまいし」と思ったものである。
だが、その値段に驚いた。60セントだったからである。香港にあって、この値段で食べられるご飯は破格だった。
ボクは店に入り、鶏粥を頼んだ。すると周囲の香港子らは、棒状の麩菓子のようなものを粥につけて食べている。
ボクもそれに倣い、食べてみた。そのおいしかったことといったら。
お粥が運ばれてくると、湯気がふわっと顔を包み、一瞬のうちにその優しい香りが鼻腔を通り抜ける。さらさらとなんと優しい味なのか。
ボクはその日を境に、朝の7時にそこに通い、「ヂーヂャオ、イーワン。ヨーティアウ、リャンガ!」と注文するようになるのである。
さて、「安記」である。
2時を過ぎても混雑し、ボクはしばし外で待った。ようやく店に入り、「鶏片粥」と同店名物の「ハチノス」、そして紹興酒を頼んだのである。
そうそう、もちろん「油条」も。
そのお粥ときたら、湯気でお粥の何とも言えない香りに包まれ、視界不良のまま、蓮華で一口すすってみると、その深くて優しい味わいが広がっていく。
なんというおいしさよ。
ボクがまさにがっつく勢いでお粥を食べていると、さっきまで満員だった店は波が引くようにわたしを除いて誰もいなくなった。
3時に一度店を閉めるのだという。
ボクはある意味ラッキーだったのだろう。何故ならば、おかみさんの城瑞枝さんがお店の話を問わず語りに話してくれたのだ。
「朝の4時から仕込みをはじめる」のだというお粥つくりの大変さを語り、「店は昭和7年から創業した」と。
そう、中華街ガイドブックの定番、服部一景氏の「食彩・横浜中華街」(生活情報センター)に書かれたことをおかみさんの肉声で聞くことができたのである。
ボクは初めての一見客だというのに。
戦後はブランクがあるといっても、80年の歴史を持つ「安記」。
そのお粥の味はまさに守りぬかれたアーティファクトだ。
さっぱりと優しい味ではあるが、微かにする独特のコクは朝の4時から支度をする秘伝のだしといえる。
伝統のお店は全てが重文もの。ここに中華街の黎明期の姿を重ねてみてしまうのだ。
その店内にいると、香港で過ごした10日間が鮮明にフラッシュバックする。
懐かしいなあ、香港。
久々にアジア旅行行きてえよ・・・。
なお、俺には、この時の香港で粥を食べた記憶があまりない。というかもしかしたら食べてなかったかもしれないくらい。
朝飯を食う習慣がなかったから、粥屋がやってる時に飯を食ってなかったからかもしれないなあ。
俺が中国粥が美味いと思ったのは、その十数年後にパラグライダーの大会でいった中国本土で。あの時は毎日のように粥食べたなあ・・・。油条入りの粥、粥の概念を覆させられる油脂の美味さが加味されておいしいよねえ。
しかしいいね、新連載。どんなランチが出てくるか楽しみにしてるよ。
にしてもビルマは残念だな。まあでもまた行ける時が来るよ。
日本ではポピュラーではない粥の旨さはまさに大発見だったよ。
でも、その粥屋も、米国や日本のコンビニ文化に、すでに駆逐されつつあったね。
師とは、香港で粥屋には行ってないな。
吉野家には行ったけど。
師もその後の中国で粥の素晴らしさを体現したとのこと。
世界の朝食はまだまだサプライズがいっぱいありそう。
最近は、会社の近くで、お粥を食べてるよ。
いずれ、紹介しようかな。