
おやじの遺言で、5年前から毎年青森を訪ねている。青森では浅虫温泉の「椿館」を常宿にしていたが、今年は予約がとれず、10月に違う宿をとった。だが甚大な被害を出した例の台風で新幹線は運休。結局、二転三転した青森行きは、単独行となった。さて、どこに泊まろうかと地図を見ていると五所川原の地名が目に飛び込んできた。
「五所川原か」。
ふと、Yちゃんのことを思い出した。
第一期浦安時代。もう26年くらい前に遡る。当時付き合っていた彼女の職場の女性が自分の家の近所に住んでいて親しくなった。その女性と付き合っていたのがYちゃんだった。自分より5歳くらい歳上の飄々とした人物で、出身が五所川原だった。当時、五所川原は青森県東部にある町だと思い込んでいた。今思えば、それは六ケ所村と勘違いしていたのだが、ともかく五所川原は南部藩だと思い込んでいた。同じ南部の男として自分はYちゃんに勝手なシンパシーを感じていたのだが、なんてことはない。彼は津軽の男だったのだ。
津軽と南部は今も対立するほど仲が悪い。知名度は圧倒的に津軽に軍配が上がる。太宰治、津軽三味線、ねぶた祭り、そして演歌の数々。そのいずれも情熱的で、かつ叙情的だ。
新幹線で新青森まで行き、そこからレンタカーで五所川原に向かった。到着したのは16時。すぐさま町に出た。
町には人影がなかった。まずは町のスケールを知るために、とにかく歩いてみた。盛り場らしきエリアはなかったが、居酒屋が集まる地域があった。その日は日曜日だったが、開いている店はある。どうやら、酒にあぶれないですみそうだ。
30分ほど歩いてみたが、どの店も決め手にかけた。そろそろ腹も減ってきたし、どこかに入るか。
まずは郷土料理「味平」に行ってみた。17時前に店の前を通ったときは開店の準備をしていた。17時を過ぎ、店はもう開いただろう。だが、予想に反して、店はまだ準備中だった。 仕方ない。次に行くか。
「立佞武多の館」の裏手、「ふくら」という店に行った。店内は明るく、今度こそ酒にありつけると思いきや店の扉が開かない。はじめはたてつけが悪いのかと思ったが、どうもそんな感じではない。まだ準備中なのか。
さて困った。もう一つめぼしい店としてチェックしていたのが「釣吉」。扉を開けると、店はやっていた。客はまだ誰もいないのにも関わらず、「19時までならいいよ」と言われ、カウンターに通された。
店は土禁だった。入口で靴を脱ぎ、狭いカウンターに。19時まで、まだ1時間20分程度ある。時間としては充分だ。しかし、この後、19時にかけて予約で満席になるのだろうか。そんな雰囲気は微塵も感じない。なにしろ、町に人の気配がにかったのだ。ともあれ、ようやく酒にありつけそうだ。
まずは酒。青森の地酒「田酒」もあったが、「釣吉」という店名と同じ酒を熱燗でオーダーした。10月の終わり、津軽の夜は肌寒い。
つまみは「刺身」一人前と「鯵のなめろう」。「釣吉」という店名が示すように、魚が同店のメインメニューだ。
お造りは、確かに質量とも立派なものだった。これだけあれば充分楽しめる。しばらくすると、少しずつ客が入ってきた。厨房では予約客の料理作りに追われている。どうやら大口客の予約が入っているのは確かなようだった。
「なめろう」がきた。
面白いのは、酢をつけて食べるという点。これは本場千葉にはない食べ方である。言われるままに酢をつけていただくと、これはうまい。
テレビはラグビーワールドカップ準決勝。そうか、怪しげな一人客は、テレビを見るために来店した安い客と思われたか。
19時まであと30分、熱燗2合をおかわりして〆るか。しかしうまいな。日本酒。北国に来ると、何故か酒が恋しくなる。朴訥とした土壌が酒を丸くさせているみたい。
「19時まで」と言われたのは不本意だったけど、結果としてはうまい酒と肴にありつけた。
店を出て、ひんやりとした空気に包まれた時、ふと思った。Yちゃん、今頃どうしてるだろうか。
>津軽と南部・・・
聞いたことがあります。南部より先に津軽が秀吉に謁見して独立したから。
高崎と前橋は今はそうでもないみたいですが。
ナメロウに酢?
私は酢が苦手でして。困ったかもしれません。
「なめろう」に酢は、目からウロコでした。酢醤油というのもありかもしれませんよ。
「つりキチ」って読みますね。
ドリンクメニューに店名と同じ日本酒があり、読み方が分からなかったから、「これ」と言って注文したら、「つりよしね」と女将さんが言いました。店名は「つりよし」です。
しかし、40歳以上の人にとって、「つりキチ」といえば三平なんですよね。