三十路の食卓

食事の記録・食にまつわるあれやこれや
かっこいいごはんも いいかげんな飯も 全ては私のリアリズム(おおげさ)

台所と疲労感

2012-04-25 10:24:51 | 食日記
(4月1日の食事)
朝:T&C cafeのプレーンベーグルにカッテージチーズ コーヒー
昼:ごはん 肉野菜炒め ニラの卵焼き ピーマンとキノコの炒めもの ワカメと揚げの味噌汁
夜:京樽の持ち帰り寿司 アサリのお吸い物 焼きスナップえんどう こんにゃく味噌田楽 ホタルイカ 南

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こんなブログを持っているくらいだから、食べることのみならず、作ることだって好きだ。
だがこの3月は、なぜか作ることに疲弊を感じていたのだ。

一食分の献立や組み合わせを考えるのが煩わしい。
自分のやる調理方法や味付けが「順列・組み合わせ」に準じたワンパターンであると感じられ、芸がないのを痛感するも、目新しい料理はないものかと書物を持ち出すのも億劫だ。
こんな風だったから、自分一人分の料理を用意する時なんて、ひどいものだった。
時間的余裕はかなりある時でも、買って済ませたり、外食をしたり。
時間はあるのにそうしてる自分が情けなくて、また出費もかさむので余計自己嫌悪に陥り…と、まったくもって負のスパイラルに巻き込まれていたのである。

というのを、同居人に相談した。
そんなにこと細かくではなく、簡単に「最近、料理が疲れることがある」といった程度ではあるが。
それを受けて、「そんなに頑張らなくていいんじゃない?楽しく作れなかったら辛いでしょ。たまにはピザでも取ろうか」と言ってくれて嬉しかった。
それがこの前日のピザで、この日は持ち帰り寿司を含む簡単な食事…と相成った訳である。

誰に乞われる訳でもなく、理想の料理像を自分に課していたのだと思う。
まったく意味もなく。
完璧な食卓でなくても、いつも手の込んだ料理じゃなくても誰も困りはしないのだ。
これからは、上手く力を抜こう。

それと同時に、世の「家庭の台所に立つ人びと」の苦労に思いを馳せる。
子どものいる家庭の場合、なんだかんだ言ってもそれはおかあさんが担うことが多いと思うが、自分のことばかり考えてりゃいいって訳にはいかないのだ。
栄養面や、家族の満足度も考えて用意しなきゃいけないのだ。
私の疲労感なんて比にもならないだろう。
それを知らない家族に、時おり「おかあさん最近手抜き多いんじゃないの?」とかぶつくさ言われる訳だろう。
やってられるか!という話である。
いや、ほんと、頭が下がります。

これを書く4月25日現在、料理に対する意欲は回復している様子だ。
けれど、疲れない程度にこなしていこうと思う。