-
竹下節子様からコンサートのお知らせです
(2024年09月24日 | エッセイ・コラム)
小寄道が敬愛していたsekko様からコンサ... -
これからのこと
(2024年08月06日 | エッセイ・コラム)
このところブログのアクセス解析(時間による訪問者数)の表示がなく... -
ありがたきコメントより
(2024年05月31日 | エッセイ・コラム)
以前の記事に、義理のお母様のほのぼのとしていて、そして世相を反映したコメントを寄... -
愛猫の死、経惟と弘
(2023年12月11日 | エッセイ・コラム)
三匹の死んだ猫(部分) 長田弘 二十年かかって、三匹の猫は、九つのいのち... -
希望のない国、イスラエル
(2023年11月04日 | エッセイ・コラム)
がんを患って、自分の生死の目途がついたとき、ブログには政治、社会的なテーマは避け... -
連鎖する偶然、惹かれあう出会い
(2023年10月03日 | エッセイ・コラム)
スマホのOSはグーグルなので、撮った写真が「フォト」というアプリでクラウド上にス... -
末盛千枝子さんのこと再び
(2023年09月24日 | エッセイ・コラム)
病院を退院した翌々日だったか、千葉県市原の「湖畔美術館」に行った。➡『末盛千枝子... -
夢二式美人に「可愛い」の源泉をみる
(2023年09月20日 | エッセイ・コラム)
以下の文章はいわば能書きにあたるので、タイトルにある「夢二式美人に『可愛い』の源... -
竹久夢二が求めた美とは何か
(2023年09月16日 | エッセイ・コラム)
前回記事の続き 竹下夢二(1884~1934年)は、画家としてだけではない、様... -
迷惑かけてもいいんだ
(2023年09月09日 | エッセイ・コラム)
抗がん剤の影響かとおもうが、手と足の筋力がみるみる失くなった。何かに掴まっ... -
三味線の音
(2023年09月03日 | エッセイ・コラム)
ふたたび永井荷風の話から。いまは亡きアヴァンギャルド詩人・俳人加藤 郁乎の『俳人... -
夏の明るい寂寞かな
(2023年08月15日 | エッセイ・コラム)
枇杷の実は熟して百合の花は既に散り、昼も蚊の鳴く植込みの蔭には、七度も色を変える... -
緑は希望の色だ
(2023年07月27日 | エッセイ・コラム)
夏のそら 流れる雲 ああひとり好きないろ みどり ああひとり 若いころに緑色が... -
八重山諸島の生きものにふれる
(2023年07月01日 | エッセイ・コラム)
全く偶然に入った植物園だった(そこが西表島ではなく、あたかも「御出来」のように西... -
八重山諸島の花にふれる
(2023年05月30日 | エッセイ・コラム)
川は流れて どこどこ行くの人も流れて どこどこ行くのそんな流れが つくころには ... -
八重山諸島の海にふれる
(2023年05月20日 | エッセイ・コラム)
▲やはり富士山は撮りたくなる。日本人だから・・。さあ、沖縄へ ... -
竹下節子氏の講演、我が病室の内装のこと
(2023年05月04日 | エッセイ・コラム)
来る5月7日の日曜日、信濃町の真生会館で竹下節子氏の講演会(講座)が開催される。... -
安全、安心は得たが、失ったものは何か。
(2023年03月12日 | エッセイ・コラム)
(3月11日に記述) 夜明け前、背中にドスンと突き上げる衝撃をうけ、目が醒めた... -
切れぎれの近況について③
(2023年03月06日 | エッセイ・コラム)
少しずつモノが書けるようになってきた。 日常の立ち居振る舞いがもどかしく、前頭... -
「しゃっくり」とは何か
(2022年12月09日 | エッセイ・コラム)
自分なりの納得できる結論を得たいと思うが、そんなものは他人様は見向きもしないだろ...