【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 9月28日(月)より転載】
【勝利島58】
山本伸一は、言葉をついだ。
「広宣流布の旅路が、険難であるのは当然です。しかし、何があろうが、紛動されないで、退転しないで、どこまでも、私と一緒に、使命の大道を歩み通してください!
では、全員で万歳を三唱しましょう。
離島本部の万歳であり、各島々の万歳であり、皆さんご自身の万歳です」
はつらつとした「万歳!」の声が、怒濤のように轟いた。
それから、伸一の導師で、厳粛に勤行が始まった。皆の声が一つになり、歓喜に弾む軽快な読経・唱題が響いた。
副会長ら幹部のあいさつなどに続いて、伸一のスピーチとなった。
「もっと近くにおいでください。形式的になる必要は一切ありません。久遠の昔からの仏法家族が語り合うんですから」
促されて、皆が伸一を囲むように座った。
「今日は、どの島から来られているの?」
彼の言葉を受けて、離島本部の幹部が、それぞれの島の名を読み上げていった。メンバーは自分の島が呼ばれると、誇らしげに返事をし、立ち上がった。
沖縄の西表島で介輔として医療に従事し、島民の生命を守ってきた島盛長英もいた。香川の小豆島で最初に信心を始め、地道に島の広布を推進してきた道畑ハナノの姿もあった。伊豆大島や新島、三宅島、八丈島の初代支部長たちもいた。
瀬戸内海に浮かぶ直島の友も元気に立ち上がった。直島にも支部があった。伸一は、この年三月、皆の活躍を聞き、歌を贈った。
「直島の 友の幸をば 祈りつつ
地図を開げて いづこの島かと」
皆、“先生が、地図を見て探してくれたのか!”と喜び、奮い立った。弘教も、座談会等の結集も、圏を牽引する支部になった。
多くの島々に、伸一の人知れぬ励ましの手が差し伸べられていた。それが、同志の信心の命脈をつなぐ力となってきたのだ。
激励を通して、強き人間の絆が結ばれる。
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■語句の解説
◎介輔/医介輔。戦後、米国の施政権下にあった沖縄県や鹿児島県奄美群島で、医師不足を補うために設けられた特例資格。医師に準じた治療行為を行った。
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