≪2016年(平成28年)5月30日(月)≫(旧暦4/24)
紫陽花や白よりいでし浅みどり
渡辺水巴
みたさねば紫陽花とらへ水の照り
保坂加津夫
修證義の二章三章濃紫陽花
吉田さかえ
ふわふわ紫陽花の群れ流れおり
葉月ひさ子
紫陽花のゆふぐれ手もとより古ぶ
八田木枯
※ 紫陽花(あじさい・あぢさい)→四葩(よひら)・七変化(ひちへんげ)
ユキノシタ科の落葉低木。観賞用に庭に植えられる。茎は根本から何本も出て、高さ1・5~3メートルになる。六~七月、枝先に多数の花が直径10~20センチの半球状に集まって咲く。白・淡緑・紫・淡紅と花の色が変化するので七変化の名がある。また花弁に見えている四枚の萼(がく )が目立つので、四葩とも呼ばれる。もともとは日本の山野の紫陽
花から生まれた。
【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】
彡……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*……☆★☆*☆彡……☆☆彡
※☆*わが友に贈る*☆※
行動こそ命の誇りなり。
広布のために動けば
ドラマが生まれる。
心の財が積まれる。
勇気凛々と打って出よ!
2016年5月30日
※☆*寸 鉄*☆※
名誉会長の初訪中の日。万代に光る金の橋。心結ぶ人間外交を我が舞台で
◇
広島、岡山、山口が勇戦!平和建設の闘士よ。民衆世紀へ正義の大音声放て
◇
千葉の勢いは昇る旭日の如く!勝利の先駆こそ誉れの使命。断固攻め捲れ
◇
個人会場提供者に感謝。時間と規則を厳守。良識豊かに地域の宝城守ろう
◇
「ごみゼロ」の日。社会の課題は一人一人の意識と行動が鍵。地道な一歩を
【聖教新聞:2016年(平成28年)5月30日(月)付】
※☆*名字の言*※
「思い込んだら一直線」「天衣無縫の童女のおもむき」。友人だった小説家の有吉佐和子さんを、池田SGI会長はそう評した
▼
日本人にありがちな、場の空気を読む“あいまいの美徳”とは対極の人だった。認知症介護の現実を描いた『恍惚の人』をはじめ、先見の明ゆえに批判も多かったが、“世間が私を見る目が変わっても私は私”と信条を貫いた
▼
自分の目で見て判断する彼女だからこそ、国交正常化前の中国に長く滞在し、“暴力宗教”などと色眼鏡で見られた創価学会のことも「まじめな団体」「若い人たちが多く、礼儀正しい」と、正確な目で評価した
▼
その有吉さんが学会本部を訪ね、SGI会長と対談したのは1966年5月。“池田会長を中国に招待したい”という、周恩来総理の重要な伝言を携えていた。SGI会長はその2年後に日中国交正常化提言を発表。74年のきょう、初訪中を果たす。同年12月には周総理との会見に臨んだ。以来、日中関係が嵐の時も、信義の道を貫き、友好の「金の橋」は揺るがぬものになった
▼
66年に会った時、有吉さんは35歳、SGI会長は38歳。青年会長に「もうあと50年はお務めにならなければ」と笑顔で言ったという。その50年がたった今も、SGI会長の世界平和への挑戦は続く。(将)
【聖教新聞:2016年(平成28年)5月30日(月)≫付】
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紫陽花や白よりいでし浅みどり
渡辺水巴
みたさねば紫陽花とらへ水の照り
保坂加津夫
修證義の二章三章濃紫陽花
吉田さかえ
ふわふわ紫陽花の群れ流れおり
葉月ひさ子
紫陽花のゆふぐれ手もとより古ぶ
八田木枯
※ 紫陽花(あじさい・あぢさい)→四葩(よひら)・七変化(ひちへんげ)
ユキノシタ科の落葉低木。観賞用に庭に植えられる。茎は根本から何本も出て、高さ1・5~3メートルになる。六~七月、枝先に多数の花が直径10~20センチの半球状に集まって咲く。白・淡緑・紫・淡紅と花の色が変化するので七変化の名がある。また花弁に見えている四枚の萼(がく )が目立つので、四葩とも呼ばれる。もともとは日本の山野の紫陽
花から生まれた。
【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】
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※☆*わが友に贈る*☆※
行動こそ命の誇りなり。
広布のために動けば
ドラマが生まれる。
心の財が積まれる。
勇気凛々と打って出よ!
2016年5月30日
※☆*寸 鉄*☆※
名誉会長の初訪中の日。万代に光る金の橋。心結ぶ人間外交を我が舞台で
◇
広島、岡山、山口が勇戦!平和建設の闘士よ。民衆世紀へ正義の大音声放て
◇
千葉の勢いは昇る旭日の如く!勝利の先駆こそ誉れの使命。断固攻め捲れ
◇
個人会場提供者に感謝。時間と規則を厳守。良識豊かに地域の宝城守ろう
◇
「ごみゼロ」の日。社会の課題は一人一人の意識と行動が鍵。地道な一歩を
【聖教新聞:2016年(平成28年)5月30日(月)付】
※☆*名字の言*※
「思い込んだら一直線」「天衣無縫の童女のおもむき」。友人だった小説家の有吉佐和子さんを、池田SGI会長はそう評した
▼
日本人にありがちな、場の空気を読む“あいまいの美徳”とは対極の人だった。認知症介護の現実を描いた『恍惚の人』をはじめ、先見の明ゆえに批判も多かったが、“世間が私を見る目が変わっても私は私”と信条を貫いた
▼
自分の目で見て判断する彼女だからこそ、国交正常化前の中国に長く滞在し、“暴力宗教”などと色眼鏡で見られた創価学会のことも「まじめな団体」「若い人たちが多く、礼儀正しい」と、正確な目で評価した
▼
その有吉さんが学会本部を訪ね、SGI会長と対談したのは1966年5月。“池田会長を中国に招待したい”という、周恩来総理の重要な伝言を携えていた。SGI会長はその2年後に日中国交正常化提言を発表。74年のきょう、初訪中を果たす。同年12月には周総理との会見に臨んだ。以来、日中関係が嵐の時も、信義の道を貫き、友好の「金の橋」は揺るがぬものになった
▼
66年に会った時、有吉さんは35歳、SGI会長は38歳。青年会長に「もうあと50年はお務めにならなければ」と笑顔で言ったという。その50年がたった今も、SGI会長の世界平和への挑戦は続く。(将)
【聖教新聞:2016年(平成28年)5月30日(月)≫付】
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