【「聖教新聞」 2015年(平成27年) 5月5日(火)より転載】
【革心6)
一九七七年(昭和五十二年)七月、トウ小平は、党副主席、国務院副総理等の要職を担い、活躍していくことになる。
七八年(同五十三年)を迎えると、中国は、新しい歩みを開始する。
二月末から開かれた全国人民代表大会(全人代)で、農業、工業、国防、科学技術の「四つの現代化」への本格的な取り組みが確認され、「社会主義強国」をめざすことが最優先目標として発表されたのである。それに取り組む指導体制として、華国鋒党主席が国務院総理等を兼務することになった。
「日中平和友好条約」についても、締結に向け、積極的に取り組みが開始された。しかし、両国にとって、その道のりは、決して平坦ではなかった。以前から反覇権条項をめぐって意見が対立しており、調整も難航した。
また、四月には、中国の国旗を立てた百隻以上の漁船が、尖閣諸島の領海に接近し、その一部が領海内に入るという事件が起こった。日本の海上保安庁の巡視船が、領海からの退去を促すが、漁船は、中国の領海であることを主張し、緊張が高まった。
しかし、漁船は海域から退去し、結果的に、この尖閣諸島問題が、条約の締結に深刻な影響を与えることはなかった。
そして、八月十二日、遂に「日中平和友好条約」が北京で調印されたのである。
条約は、前文と五カ条からなり、第一条の第一項では、両国は「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする」と記されていた。
第二項では、「相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」としている。
平和友好条約といっても、それを実りあるものにするには、信頼という土壌を耕し続けなければならない。条約の締結はゴールではなく、万代の交流へのスタートである。
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【革心6)
一九七七年(昭和五十二年)七月、トウ小平は、党副主席、国務院副総理等の要職を担い、活躍していくことになる。
七八年(同五十三年)を迎えると、中国は、新しい歩みを開始する。
二月末から開かれた全国人民代表大会(全人代)で、農業、工業、国防、科学技術の「四つの現代化」への本格的な取り組みが確認され、「社会主義強国」をめざすことが最優先目標として発表されたのである。それに取り組む指導体制として、華国鋒党主席が国務院総理等を兼務することになった。
「日中平和友好条約」についても、締結に向け、積極的に取り組みが開始された。しかし、両国にとって、その道のりは、決して平坦ではなかった。以前から反覇権条項をめぐって意見が対立しており、調整も難航した。
また、四月には、中国の国旗を立てた百隻以上の漁船が、尖閣諸島の領海に接近し、その一部が領海内に入るという事件が起こった。日本の海上保安庁の巡視船が、領海からの退去を促すが、漁船は、中国の領海であることを主張し、緊張が高まった。
しかし、漁船は海域から退去し、結果的に、この尖閣諸島問題が、条約の締結に深刻な影響を与えることはなかった。
そして、八月十二日、遂に「日中平和友好条約」が北京で調印されたのである。
条約は、前文と五カ条からなり、第一条の第一項では、両国は「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする」と記されていた。
第二項では、「相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」としている。
平和友好条約といっても、それを実りあるものにするには、信頼という土壌を耕し続けなければならない。条約の締結はゴールではなく、万代の交流へのスタートである。
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