和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

奮迅1 /小説「新 ・人間革命」

2013年05月03日 12時01分07秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)5月3日(金)より転載】

http://www.seikyoonline.jp/index.html

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奮迅1(5/3)


 大鷲は飛翔した!

 力強く羽音を響かせ、光り輝く勝利の空へ。

 高く、高く、また高く……。

 おお! 戦う心に歓喜はたぎる。

 あの頂を越えれば、新しき明日が待っている。新しき世界が広がっている。

 さあ、進もう! 幸の行進を始めよう!


 広布第二章の「支部制」は、堂々と飛翔を開始した。
しかし、それが確かなる軌道に乗るまでは、翼を休めることはできなかった。

 山本伸一は、必死であった。

 一九七八年(昭和五十三年)一月、彼は、愛媛、香川、奈良の指導を終えて、二十六日に東京へ戻ると、翌二十七日には、東京・杉並区の方南支部結成大会に出席するため、杉並文化会館を訪れた。
「支部制」のスタートに際し、全国で行われる支部結成大会の冒頭を飾ろうと、勇んで駆けつけたのだ。


 杉並には、草創の十二支部の時代に、杉並支部があった。
初代支部長は清原かつ。
十二支部中ただ一人の女性支部長であった。出発当初は、圧倒的に女性の力が強い支部であった。
しかし、やがて創価学会の中核となる多彩な男性リーダーが育っていった。

 伸一が東京の支部結成大会に出席することにしたのは、広布第二章の重要なテーマは、東京の、なかでも「山の手」の強化にあると考えていたからだ。草創期、学会は、主に下町方面を中心に広宣流布の拡大の輪を広げてきた。
気さくで隣近所の交流も盛んな下町は、人のつながりも強く、広宣流布の伸展も早かった。

 それに対して「山の手」は、家の造りからして門を構えた住宅が多く、ともすれば人間関係も希薄化し、弘教を推進するうえでも、何かと苦労があった。
しかし、そこで、仏法流布の新しき道が開かれなければ、首都・東京の未来は閉ざされてしまう。

 厳しい条件、大変な事態は、常に、どの地域にもある。
唱題根本に、智慧を絞り、勇気ある行動で、そこに、広宣流布の大道を切り開いていくのが、師子の使命である。



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 「和井弘希の文芸政談」に掲載した俳句集
 http://u-736632kazui.hatenadiary.com/







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