和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

「名字の言(聖教新聞・2011/5/23)より転載」《平成23年5月24日》火曜日【皐月】

2011年05月24日 06時42分49秒 | 今日の俳句
「名字の言(聖教新聞・2011/5/24)より転載」

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 震災以来、この木を何回仰いだだろう。大津波で壊滅した岩手県陸前高田市の高田松原で、たった一本残った松の木の光景が、心から離れない





この海岸沿いには、江戸時代の初めまで防風、防潮設備は一切なく荒れ地が広がっていた。海が荒れ、怒濤が押し寄せると、せっかく造営した耕地は無残に破壊された




この自然の猛威に立ち上がったのが、地元の豪商・菅野杢之助だった。1667年から地域農民と協力し、赤松苗の植栽を開始した。植えた苗の本数は6200本余。事業半ばで杢之助は他界したが、その後を子の七左衛門、孫の八三郎が受け継ぎ、1万8000本を植栽したという(『三陸海岸と浜街道』吉川弘文館)





被災地の子どもたちは、希望の光である。復興に立ち向かう大人の姿を、この子たちがじっと見ている。親の志に触れて子が育ち、孫に受け継がれる。この継承こそ東北婦人部が合言葉としてきた「親から子、子から孫への広布旅」の精神にほかならない。東北の創価家族の伝統である





中国の言葉に「寒松千丈」と。松は寒さにも葉の色が変わらないことから、初志を曲げず義を貫く姿をたとえた言葉である。高田松原の一本松を思うたび、何ごとにも揺るがない不動の自分になりたいと思う。
                (濤)


【「聖教新聞・2011/5/24」より転載】


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