和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

勇将54/小説「新 ・人間革命」

2013年04月17日 08時33分46秒 | 今日の俳句
      小説「新・人間革命」

【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)4月17日(水)より転載】

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勇将54(4/17)

 式次第は、表彰に移った。山本伸一が見守るなか、奈良支部の初代支部長・婦人部長の有田幸二郎・信子夫妻に、それぞれ、感謝の花束が贈られた。

 賞讃の大拍手が夫妻を包んだ。二人は、感激に目を潤ませた。

 有田夫妻は、一九五五年(昭和三十年)八月の入会以来、他宗派の古刹が甍を連ねる奈良にあって、ひたぶるに広布開拓に走り続けてきた。

 夫の幸二郎は、奈良市内で燃料店を営んでいた。かつては遊興にふけり、夜ごと、浴びるように酒を飲んだ。
入会の数年ほど前から、慢性の胃潰瘍と神経痛に苦しむようになった。胃潰瘍の薬は医師から処方してもらっていたが好転せず、神経痛は原因不明で、腹の右横に激しい痛みが起こるのだ。

 なんとか商売は続けていたものの、げっそりと痩せ細り、長身の彼は、物干し竿のような印象を与えた。それでも、過度の飲酒を重ね、儲けた分は、酒代、遊興費に消えていった。治るあてのない病に、半ば自暴自棄になっていたのだ。

 妻の信子は、先行きの不安から逃れるために、信仰にのめり込んでいった。さまざまな宗教を遍歴するが、不安はますます募るばかりであった。

 そんな折、信子は、隣家の婦人から学会の話を聞いて座談会に参加した。そこで、宗教には高低浅深があることを教えられ、彼女は入会を決意した。その話を夫の幸二郎にすると、「一緒に信心してみよう」と言いだしたのである。

 勤行に励むようになって三日目、お粥しか口にできなかった幸二郎が、漬物とお茶漬けを食べた。以来、少しずつ、かたいものが食べられるようになっていったのである。

 夫妻は、その現証に小躍りした。

 “この信心は間違いない!”――信子は、ようやく“本物”の宗教に出合ったと思った。

 実証に勝る説得力はない。一つの体験は、百万の言葉よりも重い。


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