和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

共 戦(四十七)新・人間革命

2012年01月10日 12時35分31秒 | 今日の俳句
  新・人間革命

【「聖教新聞」平成24年1月10日(火)より転載】
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共戦47(1/10)
 五月二十一日、山本伸一は、朝から、揮毫の筆を執り続けていた。あの人も、この人も励ましておきたいと思うと、作業は、際限なく続いた。妻の峯子は、伸一が揮毫した書籍や色紙を受け取っては、手際よく並べて、墨を乾かしていった。

 この日の午後、彼は、四月に落成した徳山文化会館を訪問し、山口広布開拓二十周年を祝う記念勤行会に出席する予定であった。

 作業が一段落し、急いで昼食を取り始めた時、地元の幹部が告げた。

 「山口開拓指導の折、先生の話を聞いて入会した桃田ミツさんと、ご主人の吉太郎さんという高齢のご夫妻が、訪ねて来ております」

 「お会いします。よく存じ上げています」

 彼は箸を置くと、夫妻と会い、肩を抱きかかえるようにして会館の庭を歩いた。 「生命を結び合った共戦の同志を、私は、生涯、忘れません。私たちは、広宣流布の三世の旅路を、こうして、いつまでも一緒に歩いていくんです」

 創価の師弟、創価の同志とは、広宣流布の久遠の契りに結ばれた仏子の結合である。ゆえに、その絆は、何よりも固く、強い。

 伸一は、夫妻と記念のカメラにも納まり、固い握手を交わして見送った。彼らの目には、三世の広布旅を誓う、涙が光っていた。

 「さあ、時間だね。出発しよう!」
 夫妻を激励した伸一は、そのまま車で小郡駅に行き、新幹線で徳山駅に向かった。二十年ぶりの徳山訪問である。

 午後一時半前、徳山文化会館に到着すると、十人ほどのメンバーが出迎えてくれた。皆、見覚えのある人たちであった。

 「しばらくぶりだね!」 伸一が言うと、同行していた中国方面の責任者である副会長が、一人の壮年を紹介した。

 「こちらが、大山寿郎さんです。山口開拓指導で、先生が徳山で泊まられ、拠点になった『ちとせ旅館』の息子さんです。その時に、お母さんと一緒に入会しております」

 「よく覚えています。学生さんだったね」


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