◇水馬(あめんぼう)/今日の俳句◇
◇※第1360号※◇
2013年(平成25年)7月30日(火)
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※7月30日※
■ 梅干の日
和歌山県みなべ町の東農園が制定。
「梅干しを食べると難が去る」と昔から言われてきたことから「なん(7)がさ(3)る(0)」の語呂合せ。
【「ウィキペディア・フリー百科事典」より転載】
※ 宗祇忌
連歌師・宗祇の1502(文亀2)年の忌日。
※ 露伴忌,蝸牛忌
小説家・幸田露伴の1947年の忌日。
※ 谷崎忌,潤一郎忌
小説家・谷崎潤一郎の1965年の忌日。
※ 左千夫忌
歌人・小説家の伊藤左千夫の1913年の忌日。
■※伊藤左千夫(いとう-さちお) ※■
『1864年-1913年(元治1~大正2)』明治時代の歌人,小説家
出生時は幸次郎,養子縁組した川島家から復籍して幸治郎。幸二郎,孝次郎,孝二郎,幸郎とも。号に春園,無一塵庵主人,茅堂。
農家で小学校教員であった良作,なつの4男。上総国武射郡殿台村(千葉県成東町)生まれ。明治14(1881)年に政治家を志して上京し,明治法律学校(明大)に入学するも,眼病を病んで中退,帰郷。
18年,再び上京して牛乳店で働いたのち,22年に独立して本所区茅場町(墨田区江東橋)に牛乳搾取業を営む。30歳のころ,同業の伊藤並根に茶の湯と和歌を学び,春園と号す。
31年の「非新自讃歌論」などで小出粲,正岡子規と論争。33年の『日本』に短歌3首が入選したのを機に子規に入門,師事。根岸短歌会,万葉論講会などに加わり,写実的手法を学ぶ。
子規没後,根岸短歌会の機関誌『馬酔木』を36年に創刊。41年1月の廃刊後,同年10月創刊の『アララギ』に協力し,42年には自宅をその発行所とし,編集兼発行者として中心的立場に立つ。
『アララギ』の基盤を作り,後進の育成に当たった功績は大きい。他に写生文24編,小説30編を残している。小説の代表作「野菊の墓」(1906)は,いとこ同士で幼なじみの少年少女のプラトニック・ラブを描いている点で,明治の恋愛小説の特色を示している。著作集に『左千夫全集』全9巻がある。
<参考文献>藤岡武雄『伊藤左千夫』,永塚功『伊藤左千夫アルバム』
(佐伯順子)
【「デジタル版・日本人名大辞典」より転載】
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■※今日の俳句
余りにも一生懸命みづすまし
橋本榮冶
あめんぼう日暮は人を遠くする
児玉照代
水馬思ひ思ひの輪を重ね
関弥生
【季語の味に解説】
※ 水馬(あめんぼう)→あめんぼ・みづすまし・水蜘蛛。
「水蜘蛛」「川蜘蛛」とも言い、体長五ミリから二センチほどの細長い半翅目アメンボ科の昆虫。水面に落ちて溺れている昆虫を捕食し、一生を水上で過ごす。
三対の長い脚でバランスをとりながら、表面張力を利用して池や小川の面を軽快に走り回る。
体全体に微毛が生え、表面は油性の物質でおおわれており、水をはじく。飴のような匂いがあるのでこの名がある。
地方によってはアメンボをミズスマシと呼ぶところもあるが、両者は別な昆虫である。
【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】
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※わが友に贈る/寸鉄※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)7月30日(火)より転載】
■
※わが友に贈る※
未来部の育成は
広布の次代を開く
最も尊い聖業なり。
使命の深き担当者の皆様
いつも ありがとう!
◇7月30日◇
■
◇※寸 鉄※◇
会長(SGI)は世界の人権擁護の為に先頭に立って行動ー識者(アルゼンチン)。後継の陣列は磐石
◇
伝統の「夏季フリー研修」が開始(スタート)。学会精神を学び深めよ。家族で成長の夏
◇
「青年は高い理想がなければならぬ」恩師。広宣流布へ!迸る熱と力で挑め
◇
心の喜びは徳を行う事と良き生活から生まれるー文人(イギリス)。深き祈りから出発
◇
日中の大学生が討論会。「民間交流が一番重要」と若き力で友好の新時代を
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◇※第1360号※◇
2013年(平成25年)7月30日(火)
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※7月30日※
■ 梅干の日
和歌山県みなべ町の東農園が制定。
「梅干しを食べると難が去る」と昔から言われてきたことから「なん(7)がさ(3)る(0)」の語呂合せ。
【「ウィキペディア・フリー百科事典」より転載】
※ 宗祇忌
連歌師・宗祇の1502(文亀2)年の忌日。
※ 露伴忌,蝸牛忌
小説家・幸田露伴の1947年の忌日。
※ 谷崎忌,潤一郎忌
小説家・谷崎潤一郎の1965年の忌日。
※ 左千夫忌
歌人・小説家の伊藤左千夫の1913年の忌日。
■※伊藤左千夫(いとう-さちお) ※■
『1864年-1913年(元治1~大正2)』明治時代の歌人,小説家
出生時は幸次郎,養子縁組した川島家から復籍して幸治郎。幸二郎,孝次郎,孝二郎,幸郎とも。号に春園,無一塵庵主人,茅堂。
農家で小学校教員であった良作,なつの4男。上総国武射郡殿台村(千葉県成東町)生まれ。明治14(1881)年に政治家を志して上京し,明治法律学校(明大)に入学するも,眼病を病んで中退,帰郷。
18年,再び上京して牛乳店で働いたのち,22年に独立して本所区茅場町(墨田区江東橋)に牛乳搾取業を営む。30歳のころ,同業の伊藤並根に茶の湯と和歌を学び,春園と号す。
31年の「非新自讃歌論」などで小出粲,正岡子規と論争。33年の『日本』に短歌3首が入選したのを機に子規に入門,師事。根岸短歌会,万葉論講会などに加わり,写実的手法を学ぶ。
子規没後,根岸短歌会の機関誌『馬酔木』を36年に創刊。41年1月の廃刊後,同年10月創刊の『アララギ』に協力し,42年には自宅をその発行所とし,編集兼発行者として中心的立場に立つ。
『アララギ』の基盤を作り,後進の育成に当たった功績は大きい。他に写生文24編,小説30編を残している。小説の代表作「野菊の墓」(1906)は,いとこ同士で幼なじみの少年少女のプラトニック・ラブを描いている点で,明治の恋愛小説の特色を示している。著作集に『左千夫全集』全9巻がある。
<参考文献>藤岡武雄『伊藤左千夫』,永塚功『伊藤左千夫アルバム』
(佐伯順子)
【「デジタル版・日本人名大辞典」より転載】
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■※今日の俳句
余りにも一生懸命みづすまし
橋本榮冶
あめんぼう日暮は人を遠くする
児玉照代
水馬思ひ思ひの輪を重ね
関弥生
【季語の味に解説】
※ 水馬(あめんぼう)→あめんぼ・みづすまし・水蜘蛛。
「水蜘蛛」「川蜘蛛」とも言い、体長五ミリから二センチほどの細長い半翅目アメンボ科の昆虫。水面に落ちて溺れている昆虫を捕食し、一生を水上で過ごす。
三対の長い脚でバランスをとりながら、表面張力を利用して池や小川の面を軽快に走り回る。
体全体に微毛が生え、表面は油性の物質でおおわれており、水をはじく。飴のような匂いがあるのでこの名がある。
地方によってはアメンボをミズスマシと呼ぶところもあるが、両者は別な昆虫である。
【「新版・俳句歳時記/第四版/監修・桂信子ほか」(雄山閣)より転載】
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※わが友に贈る/寸鉄※
【「聖教新聞」2013年(平成25年)7月30日(火)より転載】
■
※わが友に贈る※
未来部の育成は
広布の次代を開く
最も尊い聖業なり。
使命の深き担当者の皆様
いつも ありがとう!
◇7月30日◇
■
◇※寸 鉄※◇
会長(SGI)は世界の人権擁護の為に先頭に立って行動ー識者(アルゼンチン)。後継の陣列は磐石
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伝統の「夏季フリー研修」が開始(スタート)。学会精神を学び深めよ。家族で成長の夏
◇
「青年は高い理想がなければならぬ」恩師。広宣流布へ!迸る熱と力で挑め
◇
心の喜びは徳を行う事と良き生活から生まれるー文人(イギリス)。深き祈りから出発
◇
日中の大学生が討論会。「民間交流が一番重要」と若き力で友好の新時代を
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