小説「新・人間革命」
【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)7月9日(火)より転載】
奮迅56(7/9)
山本伸一は、学会の役職について、戸田城聖が語っていたことを、かいつまんで話した。
質問した青年は、「わかりました。頑張ります」と言って、笑顔で頷いた。
途中から話を聴いていた壮年が、前に来て、頭をかきながら言った。
「いやー、耳が痛い話です」
伸一は、この壮年にも懇々と語っていった。
「学会の役職というのは、広宣流布のためのものです。
会社の役職や世間のさまざまな肩書と同じように考えてはならないと思います。
そして、学会の役職を受けるにあたっては、“仏意仏勅によって賜った”と受けとめ、全身全霊で責任を果たしていくべきであるというのが、戸田先生のご指導なんです。
したがって、いろいろと大変であっても、学会の役職は勇んで受けていこうという姿勢が大事ではないでしょうか。
多忙でも、幹部として仏法のため、同志のために尽くしていく。そのなかで、自分が磨かれ、境涯革命、人間革命がなされ、功徳、福運を積んでいくことができるんです」
伸一は、その後も、折々に、この壮年と語り合い、激励を重ねていった。
やがて壮年は、学会の役職にも就き、幹部として張り切って活動に励むようになった。
ところが、しばらくすると、また、「仕事が忙しいから」と言って、学会活動をなおざりにするようになった。
ほどなく株価の大暴落が起こった。
彼は、あれこれ手を尽くしたが、乗り切ることができず、会社は倒産してしまった。
壮年は、再び反省、奮起し、信心に励むと、業界で押されて新しい会社を任された。
だが、資金繰りに追われる日が続き、また、活動から遠ざかっていった。
その会社も、わずか八カ月で破綻したのである。
後年、この壮年は、「『体曲れば影ななめなり』(御書九九二頁)との御聖訓に絶対間違いはありません。
信心という根本を忘れて、二度も地獄を見た私が言うのですから、間違いありません」と、伸一に述懐している。
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【「聖教新聞」 2013年 (平成25年)7月9日(火)より転載】
奮迅56(7/9)
山本伸一は、学会の役職について、戸田城聖が語っていたことを、かいつまんで話した。
質問した青年は、「わかりました。頑張ります」と言って、笑顔で頷いた。
途中から話を聴いていた壮年が、前に来て、頭をかきながら言った。
「いやー、耳が痛い話です」
伸一は、この壮年にも懇々と語っていった。
「学会の役職というのは、広宣流布のためのものです。
会社の役職や世間のさまざまな肩書と同じように考えてはならないと思います。
そして、学会の役職を受けるにあたっては、“仏意仏勅によって賜った”と受けとめ、全身全霊で責任を果たしていくべきであるというのが、戸田先生のご指導なんです。
したがって、いろいろと大変であっても、学会の役職は勇んで受けていこうという姿勢が大事ではないでしょうか。
多忙でも、幹部として仏法のため、同志のために尽くしていく。そのなかで、自分が磨かれ、境涯革命、人間革命がなされ、功徳、福運を積んでいくことができるんです」
伸一は、その後も、折々に、この壮年と語り合い、激励を重ねていった。
やがて壮年は、学会の役職にも就き、幹部として張り切って活動に励むようになった。
ところが、しばらくすると、また、「仕事が忙しいから」と言って、学会活動をなおざりにするようになった。
ほどなく株価の大暴落が起こった。
彼は、あれこれ手を尽くしたが、乗り切ることができず、会社は倒産してしまった。
壮年は、再び反省、奮起し、信心に励むと、業界で押されて新しい会社を任された。
だが、資金繰りに追われる日が続き、また、活動から遠ざかっていった。
その会社も、わずか八カ月で破綻したのである。
後年、この壮年は、「『体曲れば影ななめなり』(御書九九二頁)との御聖訓に絶対間違いはありません。
信心という根本を忘れて、二度も地獄を見た私が言うのですから、間違いありません」と、伸一に述懐している。
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