和井弘希の蘇生

桂信子先生に師事。昭和45年「草苑」同人参加。現在「里」同人「迅雷句会」参加

大根/今日の俳句 ≪No. 1484≫

2014年01月29日 06時19分12秒 | 今日の俳句
     ☆大根/今日の俳句☆


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2014年(平成26年)1月29日(水)


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   ■1月29日(水)■

○ タウン情報の日
 タウン情報全国ネットワークが制定。
 1973(昭和48)年のこの日、日本初の地域情報誌『ながの情報』が発行された。

○ 昭和基地開設記念日
 1957(昭和32)年のこの日、日本の南極観測隊が南極・オングル島への上陸に成功し、昭和基地を開設した。
 この年から翌年にかけては「国際地球観測年」で、南極大陸には日本を始め12か国による観測網が敷かれた。

○ 人口調査記念日
 1872(明治5)年のこの日、日本初の全国戸籍調査が行われた。
 当時の人口は男1679万6158人、女1631万4667人で合計3311万825人だった。

※ 草城忌,東鶴忌,銀忌
 俳人・日野草城の1956(昭和31)年の忌日。
 日野草城は東京生れ。本名克修(よしのぶ)。1918年,17歳で《ホトトギス》雑詠に入選。三高在学中,京大三高俳句会を結成,また鈴鹿野風呂(すずかのぶろ)らと《京鹿子》を創刊した。
 21年,20歳で《ホトトギス》巻頭を占め,早熟の華麗な詩才を謳(うた)われた。24年京大法学部卒。27年には第1句集《花氷(はなごおり)》を上梓,その句風は〈わび〉的俳句概念を払拭した才気煥発,清新瀟洒なモダニズムで,昭和俳句の先駆的役割を果たした。

【「ウィキペディアフリー百科事典」より転載】


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  ■※今日の俳句※■


  大根の青首を見て老ゆる日ぞ
         木村虹雨


  大根ぬきに行く畑山にある
         尾崎放哉


  大根煮て息子古風に育てけり
         石川昌子


※ 大根→中央アジア原産とみられるアブラナ科の二年草。主に地下の多汁・多肉質の長大な根を食べるが、葉も食べられる。
 根の形と大きさは種によって多様で、櫻島大根などは直径三〇センチ。重さ十五キロ余りのものも珍しくない。
 「すずしろ」は古名。葱と同じく年中獲れるが旬は冬である。
→大根引・大根洗ふ・大根干す。

【「合本・俳句歳時記/第三版」(角川書店)より転載】


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※わが友に贈る/名字の言※


【「聖教新聞」2014年(平成26年)1月29日(水)より転載】


  ■※わが友に贈る※■


 今、祈ることだ!
 今、動くことだ!
 全力を尽くした分だけ
 偉大な未来は築かれる。
 断じて悔いを残すな!

        1月29日


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  ■※名字の言※■


今月の大学入試センター試験の日本史で、漫画家・手塚治虫氏に関する設問があり、話題になった。氏の生涯を追いつつ、当時の政治・経済状況を問う内容だった



問題用紙には、氏の自伝的作品「紙の砦」も掲載された。使われたのは、戦時下の軍需工場に動員された主人公が監視の目を盗み、工場の片隅で漫画を描き続けていた、という場面だ



“戦争で心が傷ついた子どもたちに、夢や希望を与えたい”と、終戦後、多くの少年少女雑誌が生まれた。手塚氏が活躍し始めるのは、このころ。若き日の池田名誉会長も、戸田第2代会長のもと、「冒険少年」(後に「少年日本」と改題)の編集長を務めた。後年、手塚氏は「自分から是非描きたいと思った雑誌は、当時はこの本くらいだった」と回想したという



共に昭和3年生まれの2人が出版の世界で出会うことはなかった。だが、“試練に負けるな!”と、子どもたちに注ぐ愛情と情熱は、強く共鳴していたと思える



「これからは、みなさんが思いきり夢を実現してくれることが、私の一番の夢です」。名誉会長は今、少年少女部に呼び掛ける(「希望の大空へ」)。子どもたちが存分に夢の翼を広げる時代をつくる。それは私たち大人に課せられた責務である。(代)

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